プロローグ 命令
「其方の婚姻が決まった。フレール王国に嫁げ」
王の言葉に、私は静かに頭を下げた。
一方的な命令。
しかも、会った事のない人との婚姻。
……突然のことだったけれども、驚きはない。
私の名前は、ソレイユ・ルナ・ヴェルナンツ。
ヴェルナンツ王国第一王女。
つまり、目の前にいる王は私の父だ。
けれどもその声色に、親子の情は一切含まれていない。
……この人に、それを期待するだけ無駄だ。
だからこそ、突然の命令にも驚くことはなかった。
やがては、厄介払いされると分かっていたから。
そもそもで、だ。
事前の打診でも何でもない、決定事項にして純粋な命令。
それも、王女の婚姻。
そのような重要な議題を、家臣たちが集まる正式な場ではなく、父と私だけしかいない執務室で行うこと自体、王がこの婚姻をどうでも良いと思っている証拠だ。
その後もある意味期待通り、父の言葉は事務的なそればかりだった。
要約すると、結婚までの行事は極力簡略化、着の身着のままとはいかなくとも、最低限の支度を終えたらさっさと国を出て行け。
……そんなところか。
もう一度頭を下げて、部屋を出る。
「……おいたわしいことにございます。姫様が、フレール国のような小国に嫁ぐなどと……」
自室に帰ると、結婚の話を聞いたばあやが涙ながらにそう言った。
まあ、そうだよなぁ……と、内心頷く。
ヴェルナンツ王国は、大陸一と言っても過言ではない大国だ。
対して、フレール王国は山を越えた隣国ではあるが、ヴェルナンツ王国からすれば吹けば飛ぶ相手。
国力の差は、あまりにも大きい。
そして、ヴェルナンツ王国から第一王女が輿入れするほど重要な何かがある訳でもない。
それなのに、何故、私を彼の国に嫁がせるのか。
……答えは簡単。
私が、目障りだからだ。
そっと溜息を吐いて、周りを見回す。
相変わらず、薄暗い部屋だ。
ここは離宮。
昔々、罪を犯した王子だとか心が病んだ王妃等々を隔離する為に建てられた。
つまりは、厄介者を押し込める為の場所。
どれだけ私を邪魔に思っているのか、与えられた部屋を見ているだけで分かる。
「ばあや、妾は大丈夫。フレール王国に行った方が、良い暮らしができるかもしれぬしな」
そう言って、笑うしかない。
ばあやは、私を育ててくれた親同然の存在。
この離宮に押し込められても見捨てずに面倒を見てくれた、善良な人。
だからこそ、安心させたくて笑みを浮かべる。
「レリア。ばあやを落ち着かせてくれ。……後のことを、頼んだぞ」
側に控えていた私の専属侍女、レリアに声をかけた。
闇に溶け込むような黒よりも黒い髪色。そして黒曜石のような瞳。
透き通るような白い肌だけが、ぼんやりと暗い離宮の中で浮かぶように見える。
「畏まりました」
レリアは私の言葉に頭を下げると、未だに涙ぐむばあやを連れて出て行った。
窓に近づく。離宮に押し込んだ者が逃げられない、本当に小さな窓だ。
昔は鉄格子もハマっていたけれども、レリアが外してくれた。
鉄格子の跡に触れつつ、ぼうっと窓から景色を眺める。
……ヴェルナンツ王国。
愛しくて、憎い、我が母国。
まさか、こんな形で離れることになるとは。
愛しい母国から追放されるように離れることに対しては、勿論、怒りや苛立ちが胸の中で燻る。
一方で、離れることになって良かった、と思う自分もいた。
……この国には、思い出があり過ぎる。
愛しくて、悲しくて、誇らしくて、苦々しい。それら全てをひっくるめて、捨て難い思い出。
そして、それは鎖となり、私を縛り付けている。身動きが取れないほどに。
だからこそ、新たな国に旅立つのも悪くはない。
そう思う自分もいた。