「流石に犬の手は借りない」
俺、冬華さん、そして夏未。
三人の周りに激震が走る――。
「アナタは……子犬!」
「やっとみつけたよ! 泥棒猫!」
二人は睨み合うが、ふと我に帰って冬華さんは崩壊した壁を見てわなわなと震える。
「あ、アナタ……いったい何をしてやがりますの!?」
夏未はスコップで強引に壁を突き破ったのだ。
こればかりはまぁ……流石に同情する。
「夏未、そりゃだめだよ……」
「仕方ないよ! こればっかりはね!」
「ま、待ちなさい! ほら、一緒に謝ろう、な?」
理由があったとしても、壁を壊すのは立派な犯罪だ。器物破損だ。
これを幼馴染だから、妹のように面倒を見ているからと庇うのは人として駄目だろう。
「冬華さん、うちのが申し訳ない」
「ちょ、おにーちゃ……」
俺は強引に夏未の後頭部を掴み、俺と一緒に頭を下げる。
夏未はむすっとしている。
ここまで強情なのも珍しいな……何が彼女をそうさせるのか。
「……まったく、いきなり壁を壊すものですから強盗かと思ったわよ?」
「弁償はする。すぐに払うことはできないが、働いて返す」
民家のガラスを不意に割ってしまうのとはわけが違う。
修繕費の総額がどれくらいになるのか……正直な所わからない。
「別に構わないわよ」
だけど夏未の愚行に対し、冬華さんに怒っている気配はなかった。
そう言ってくれるのは有難いが……その言葉を正直に飲むのはよくないだろう。
「でもけじめはつけなきゃダメだよ。何かできることはないかな?」
「うーん、そうね……そこまでいうなら」
ほんの一瞬だけど……冬華さんが何か、少なくとも俺にとっては不都合なことを考えている……そんな顔を見せた。
そしてそれが過ぎると、上機嫌になりはじめる。
「一カ月、そう、一カ月よ」
「といいますと?」
「一カ月、私の執事として働きなさい」
「え?」
「別にこのくらいの破損、なんてことないけれど、アナタの気がおさまらない……ならば行動で返しなさい」
言っていることは、確かに合理的だ。
昔からお金が払えないなら働いて返す……なんてことはよくある。
完全にこちらの過失なので、落としどころとしてはこれ以上の着地点がないだろう。
「ほら、夏未、ちゃんと働くんだぞ。裁判沙汰になってもおかしくないのに、たった一カ月の労働で許してくれるのだから」
「ぐぬぬ……でも仕方ないか……」
頭がようやく冷えたのか、夏未も納得のようだ。
「何を言っているの? アナタが働くのよ」
「「え?」」
俺と夏未は同時に首を傾げる。
「星見誠司クン――光栄に思いなさい! アナタは今日、私の『所有物』兼『彼氏』兼『執事』になったのよ!」
フフン、とこれ以上ないドヤ顔を晒す彼女。
「いやその理屈はおかしい」
「と、通るわけないよ! そんな話!」
話が丸くおさまりかけていたのに……夏未は反論しはじめてしまった。
「へぇ、アナタは本来なら器物破損で咎められる場を超法規的措置で許されようっていうのに……それを捨てるというの? 駄犬も、愚かが過ぎると自滅するわよ」
「自分を国家と同列に並べて話す人初めて見た」
話が混乱しはじめた。
「……ぐぬぬ、こうなったら満月冬華の部屋もついでに荒らして……」
「落ち着け、もうそれは獣と変わらない」
だけど、じゃあ弁償しろと言われても困る。
だから落としどころとして、夏未に働かせるのが話の流れとして、筋も通っていると思うのだけど。
「ちょっと待ってほしい。どうして俺なんだ?」
「雇用主が雇用者を選ぶのは当然のこと。そして、私は星見君を選んだということよ」
「ちょ、わけわかんないよ!?」
今回に関しては基本的に素直に従うつもりだった夏未も口を出さずにはいられなかった。
「勿論、アナタの部屋を与えるわ。悪くない話だと思うけれど」
「え、俺、家に帰れないの?」
「元よりアナタは私の所有物よ。別の場所に大切なものを置いて帰る人がどこにいるというのよ」
どうしたものか。
このままでは、俺が軟禁されてしまう。
言葉では許す素振りを見せるが実際のところは冬華さん、かなり怒っているのではないのだろうか?
そこからどうして俺が働かせるのかはまるでわからないが、どうにか夏未を働かせる方向に誘導できるのではないだろうか。
「なぁ、冬華さん」
「なにかしら」
「夏未を雇ってやってくれないか。何なら壁の修繕もできるから、それで怒りを鎮めて」
「嫌よ、品のない人は」
だけど目論見もうまくいかず、そもそも取り付く島もない。
「ぐぬぅ……満月冬華!」
夏未の叫びに対し、冬華さんは優雅に振り返る。
「おにーちゃんを……渡す気はないから!」
「あら、随分というじゃない、駄犬。この極上たる私から奪い返してみなさい」
勝手に宣戦布告のような構図になっているが、そもそも……。
「俺で取引するのやめてもらえないかな……」
「そうね、星見君は既に私のモノなのだから、取引するのは間違いね。さ、ここよりは質が下がるけど他の浴場へ行きましょう」
ズボンが既に回収されていて、トランクス一丁である。
流石に恥ずかしい。
抵抗する間もなく、ぐいっと彼女は俺の手を掴み、連れていく。
「そういうことではなくてだな……てかまだお風呂あるのね」
俺に選択肢は……ないみたいですね。
「爺や! この者を丁寧に送り返しなさい。道中で美味しいものでも食べさせてあげなさいな。栄養が足りてないから頭が回っていないのよ、この駄犬は」
「御意に」
「安物では駄目よ、滅多に食べられない贅沢をさせてあげなさい」
「お、おに、おにーちゃん!?」
執事さんは優しく彼女を担ぎ上げ、風呂場を抜けていく。
「夏未! 父さんに俺は無事だって伝えておいてくれ!」
「こ、この恨み晴らしてやる~……」
夏未がこれほどアクティブ……いや、パッションなのは、多分初めてのことだ。
何が彼女を駆り立てるか、わからなかったけれど爺やに美味しいご飯は食べさせてもらったようで……。
追い払うのか丁重にもてなすのか、何がしたいのか理解に苦しむ。
ますます冬華さんという人となりがわからなくなってしまった。
永久就職、確定――――。