「涙はもう流し終えたからね!」
「夏未さんが……」
大っぴらに話すことではないが、近所に住む限り察しはつく。
夏未の話を知った時、だいたい今の冬華さんと同じような反応となる。
「……いいえ、勝手に考えて同情するのは……傲慢よね」
だが、その反応は最初だけで……冬華さんは違ったようだ。
さっきの母さんの話と同じで――人っていうのは勝手に同情したり慮ったりする。
だけど、当人からすれば……意外と的外れなことが多い。
事実、夏未も同情されても困る……と語っていた。
そんな冬華さんの成長の様子を見て俺は、ふと思う。
彼女の中で、何か決して揺らぐことのない芯のようなものが備わっているように見える。
表現することは難しいけれど、彼女は一般的に連想される金持ちとは違う。
無茶振りをしながらも、現実と言うか、常識と言うか……そういうものの過酷さを彼女は知っている。
なんていうか、俺や夏未と同じ側な気がしてならないわけだ。
「何があったか、聞かせてもらえるのよね?」
「ああ」
といっても、ややこしい話じゃない。
「育児放棄だよ」
「…………」
「この辺はさ、父さんの地元なんだ。で、夏未の親もまぁ、知ってたんだ、父さんは」
父さん曰く、有名になるくらいやんちゃをしていた男女が夫婦になったそうだ。
夫婦ともに半端な悪戯程度ではなく、本格的に警察にお世話になることもしょっちゅうだった。
「結婚した時はそういうのもおさまると、父さん含めて皆考えたんだけどさ」
人っていうのはそう変わらないもので。
「…………最低よっ、そんなの」
冬華さんは、そう口にする。
それは夏未に向けたわけではない。
彼女を捨てた父母に対しての言葉だった。
「……どんな理屈があっても、親が子を捨てるなんてっ……最悪よ」
心からの拒絶だ。
そして今にでも泣き出しそうなくらいに、弱々しい顔をしていた。
「そして、私も馬鹿よ」
「冬華さん?」
「あー!! アンタ! 性懲りもなく家に来て何なのよー!」
絶妙なタイミングで夏未が帰ってきた。
見計らっていたのかと疑えるくらいだ。
「……観賀さん」
「な、なに、どうしたの……とっても空気が重いけれど、おにーちゃん、なんかした?」
「失敬な」
流石に、普段の冬華さんと違う様子を悟ったか……攻め立てるのを止める。
「さっきまで父さんと話してたんだ」
「え、おにーちゃん、満月冬華をお父さんに紹介したの……?」
「話がややこしくなるからそれは後でな」
俺は心配になって、冬華さんを見る。
握られた拳が震えている。
だが、少しすると――それが止まる。
そして、力強く立ち上がり、夏未に対して指を突き立てる。
「観賀さん――いいえ、夏未!」
「えっ、急に距離感が近まった!?」
急な立ち直りに、夏未は困惑を隠せない。
かくいう俺もそうだけど――冬華さんの瞳の色が、変わった気がする。
それは彼女の考える“極上”を目指すべく、ストイックにあり続ける……ヘリコプターの前で彼女が語った時と同じ顔だ。
その顔を見ていると、不思議と悪い気がしない。
彼女が彼女自身を奮い立てる行為が、自然と俺の体さえも蹴り上げられる……そんな気がするのだ。
「夏未! 私の屋敷で働きなさい!」
「はぁ!?」
そう来たか。
「熱心に働いているのはえらいけれど、そんな安月給じゃ一生かかっても弁償できないわ」
「ぐ、ぐぬぬ」
「だから、働かせてあげると言っているの」
「……どういう風の吹き回し?」
夏未は俺の方を見る。すると察したように、再び冬華さんを見る。
「可哀そうに思っているのなら、私は――」
「おーほっほっほ! けほっ! ……ほんと駄犬ね! 何を勘違いしているのかしら?」
「なっ……」
冬華さんは、あえて夏未に見せつけるように……自分の腕を俺の腕に絡ませる。
それだけではない。
照れるのを必死に隠す彼女は俺の頬に――口づけした。
「最初は貴女が無様に汗水流して働いているうちに星見君を独占するつもりだったわ。だけど、それよりもっといい方法を思いついたわ! 夏未、貴女が働いているすぐ傍でこうやって見せつける方が駄犬にとっていい躾けになると思っただけよ!」
「な、舐められてる……」
明確な宣戦布告。
だけど、どうしてか、生い立ちを知られたと夏未が察したときは険悪になりかけた空気が消え去っていた。
気が付けば、いつもの犬猿の仲に戻っている。
「おやおや、天下の満月家のお嬢様が、おにーちゃんの心をそうでもしないと繋ぎ止められないなんて結構なことだねっ! だけどその言葉、受けて立つよ」
そして夏未は力強く足をつけ、冬華さんの目の前に立つ。
「だけどおにーちゃんは渡さない。もう奪ったっていう気でいるならそれは大きな勘違いってこと、教えてあげるよ」
「ふん、弱い犬程よく吠えるとはこのことね! 安心なさい、馬車馬のように働いたらたまには話をさせてあげるからせいぜい頑張ることね! 爺や!」
そう呼ぶと、室外で待機していた爺やさんが入ってくる。
「爺やさん、どうかされましたか」
「はい、こちらの方が屋敷で働くとのことですので……研修を」
「えっ」
そういい、先日のように夏未を抱えた爺やさんは去っていく。
「はーめーらーれーたー!」
叫びは無情に消えて、彼女は連れ去られていった……。
「はぁ、兄離れしてほしいものだが」
「彼女の行動を兄離れの一言で済ます星見君も大概ではなくて? ま、いいわ。さぁ、せっかくだからお話しましょう?」
勝ち誇った表情をした冬華さんは座布団に座り、俺を誘う。
まったく、本当に――この令嬢はいい性格をしている、と俺は思う。
とはいえ、せっかく時間がるのだ。
俺は俺で気になっている質問を彼女にしようと思うのだった。




