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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

理由あって【勇者パーティーの飼い犬】に甘んじていたけど、追放されたので真の実力を発揮させてもらう。~今さら戻って来いと言われても断る。汚い手を使って従わせようとしてるけど、遠慮なく徹底的にやり返すな?

「ルーク・グレイ、この役立たずが……!! いい加減、我慢の限界だ。『おまえを俺様の勇者パーティーから追放する!!』」


 勇者ディランがそう叫んだ瞬間、俺を縛りつけていた力がパリンッと音を立てて消滅した。

 心と体がすっと軽くなった感覚。

 契約の呪詛が解かれたのだ。


 ――ここは魔族領北西部に位置するダンジョンの中。

 その最上階にある『焔の間』の中央には、巨大な魔物が倒れている。


 魔物の体からは、皮の焦げる生ぐさい臭いとともに白煙が上がっている。

 ぴくりとも動かないその塊は、たった今勇者パーティーによって倒された【魔王四天王・炎の使い手】のものだ。


「――俺様がこの化け物を倒している間だって、おまえは一体何をしていた? 形ばかり魔法盾を構えて、突っ立ていただけだ! そもそも、俺様ほど最強の剣士なら、タンクなんていなくても圧勝できるんだよ」


【炎の使い手】に自らが止めを刺したと思い込んでいる勇者ディランは、剣を鞘に戻しながら厭味な笑いを俺に向けてきた。


「……へえ。ようやく俺を解放してくれるのか」


 そう呟いた俺の声は、ディランの耳には届かなかったらしい。

 そうでなかったら、変わらずニヤついていられるわけがない。


 この国の第二王子でもあるディランは、短気で唯我独尊的思考をしている。

 彼は、自分が見下している俺に言い返されることを何より嫌う。

 ただ視線を向けるだけでも『生意気な目で睨んできやがった』などと言いがかりをつけられ、殴りつけられるのだ。


 しかし、そんな目に遭うのもこれで終わりだ。

 俺を理不尽な運命に縛りつけていた呪いは解かれた。

 ディランの放った決定的な言葉によって――。


「それにしても、この化け物も雑魚過ぎただろ。四天王の名が笑わせる」


 そう言ってディランは、【炎の使い手】の死体を蹴りつけた。

【炎の使い手】は、竜とトカゲを掛け合わせたような醜悪な見た目をしている。

 とくにグロテスクなのは、全身を覆う赤黒くゴツゴツした無数の鱗だ。

 勇者パーティーの女たちは、口々に気持ち悪いと言っていたが、床に倒れて動かなくなった今となっては、単なる巨大な岩石にしか見えない。


「なあ、ルーク。おまえ並みに弱かったんじゃないか?」

「あはっ。本当に! ディラン様のお力をもってすれば他愛もなかったわね!」


 小柄な体に不釣り合いな巨乳を揺らしながらディランに駆け寄ったのは、勇者パーティーのヒーラーであるステラだ。

 胸を強調した仕草で媚を売るステラの腰を、ディランが満足げに抱き寄せる。

 ステラはまんざらでもないという表情で、ディランにしなだれかかった。

 見た目だけは正統派王子様という美形ディランと、くりっとしたつぶらな瞳を持つ美少女ステラは、並ぶだけ絵になる。

 ただし、二人とも性根の悪さが表情に滲んでしまっているのだが。


「歴代最強の四天王というから、どんなものかと思えば。【炎の使い手】がこの程度なら、残りの三人の実力も知れてるな。こんなことなら父上の言うことを聞いて、魔王軍討伐の準備に、二年間も費やすことはなかった。時間を無駄にしたようなものだ。父上ももうお年だ。判断能力が鈍ってきたのかもしれないな」


 時間を無駄にしたという部分に関しては同意見だ。

 そのせいで、十五歳からの二年間、俺は地獄の日々を過ごすことになったのだから。


「もぉう、ディランたら。陛下のことをそんなふうに言ったらだめじゃない」


 ステラが甘ったるい猫なで声で諫める。

 ディランは悪びれることなくステラの尻を撫でた。


「そんなことを言って、おまえだって父上の命令は意味不明だと思うだろ? この役立たずに関する命はとくにな!」


 しばらくの間、自分の強さに酔いしれたり、ステラといちゃつくのに夢中になっていたディランの関心が再び俺に戻ってきた。


「まったく、なぜ父上は『絶対にルーク・グレイ』をパーティーから外すな』と言ってきかなかったのか」

「……恐れながら、ディラン殿下。先ほどルークをパーティーから追放するとおっしゃられましたが、本当にいいのでしょうか……? 陛下に叱責されてしまうのでは……」


 勇者パーティーの賢者であるマデリンが、眼鏡を直しながら遠慮がちに意見を言う。


「父上が俺に甘いことぐらいおまえだって知っているだろ。たしかに父上のしつこい命令に背くことにはなるが、俺のストレスだって限界なんだよ。この足手まといの顔を見てるだけで虫唾が走るぐらいなんだから。それともまさかおまえは、ルークを追放すべきじゃないと思ってるのか?」

「ま、まさか! 私もルークが勇者パーティーに席を置いていることを、ずっと忌々しく感じています……! いつもいつもディラン様を戦わせて、自分はただ眺めているだけなんて、何様のつもりなのでしょう……!」

「だろ? 俺は間違ってない。父上だってきっとわかってくれるさ」


 ディランに心酔しているマデリンは、それ以上反論せず、頬をぽっと染めながらこくこくと頷いた。


「ディラン様、それじゃあほんとにルークを追放するんだあ!? やったあああ! ペネロペずうっとこうなるのを待ってたんだから!」


 クセの強い髪をツインテールにした少女ペネロペが、両手をあげてぴょんぴょんと跳ねる。

 神童といわれるペネロペは魔導士である。

 その隣で、俺に嘲笑を向けている長身の女はグレース。

 筋肉質な肌をやたらと露出させているが、ああ見えて彼女は拳闘士だ。

 あんな肌をさらした鎧で、身を守れるのかと思うが、グレースは防御の確かさよりも、見栄えを重視していた。


 勇者パーティーの女たちは、王子であるディランに気に入られ、なんとか彼の寵愛を手に入れたいと思っていることを誰一人隠そうとしない。


 これが勇者パーティーの全メンバー。

 ステラを筆頭に四人の女たちはすべてディラン自身が選抜に関わっており、巷の噂では「実力だけでなく、見た目も完璧でないと勇者パーティーには入れない」と言われるほど、全員、見目がよかった。


「この寄生虫の顔を金輪際見なくて済むなんて、最高だわ」


 ぽってりとした厚い唇を歪ませてグレースが言う。


「てか追い出されるまでしがみついてるなんて、信じらないよぉ! 役立たずなだけじゃなく、空気も読めないなんて、ほんと最悪。バーカ、バーカ!」

「ぷっ、はははっ! ペネロペは笑わせてくれるな。10歳の子供にまで馬鹿にされてさんざんだなぁ、ルーク? そのうえ、誰もお前を引き留める者はいないらしい。満場一致でおまえの追放が決定したってわけだ」


「ありがとう、これで忌々しい呪縛から解き放たれるよ」


 俺は満面の笑みを浮かべた。

 それはこいつらの前で初めて見せるものだった。


「は? ……おい、貴様、何がおかしい?」


 さすがに違和感を覚えたのか、ディランが微かに警戒しながら尋ねてくる。

 俺は返事の代わりに肩を軽く竦めてみせた。


「ふん、どうせ強がってるんだろう!? 役立たずのおまえを雇うパーティーなんてどこにも存在しない。路頭に迷って野垂れ死ぬのがオチだな」

「それはどうかな?」


『おまえは決して目立たず、すべての華を我が息子に与えよ。木偶の坊を演じながら、すべての敵を息子に変わって倒すのだ。万が一、この命に背いたならおまえの大切なものは、我が掌の中で粉々に砕け散る。よいな?』


 ディランの父である国王から放たれた言葉が脳裏を過る。


 俺と国王の間で交わされたやりとりなど何も知らないディランは、俺の反抗的な態度に相当苛立ったらしく、真っ赤な顔で怒鳴り声をあげた。


「んなっ……!! なんだその生意気な態度は!? ふざけやがって、この……!!」


 いつもの調子でディランが殴り飛ばそうとしてきた。

 瞬時に頭を右に倒し、難なく躱す。

 いつだってこうすることができたが、今までは理由あって一度も避けたことがなかった。


「えっ」


 まさか俺が避けられるとは微塵も思っていなかったのだろう。

 ディランはあんぐりと口を開けたまま、間の抜けた顔で瞬きを繰り返した。

 今起こったことが信じられないようだ。


 俺はディランを筆頭に戸惑っている勇者パーティーをよそに、撤退するための支度をはじめた。


 ゆっくりと広々とした部屋の中を歩き回り、室内にかけておいた複数の防御魔法を解除していく。

 俺が室内に入った瞬間、施したこの魔法によって、【炎の使い手】が弱体化したことを勇者パーティーの誰一人気づいていなかった。

 おそらく今俺が何をしているのかすらわかっていないだろう。


「ディラン、どういうことなの……?」


 ステラがディランの腕を揺さぶりながら問いかける。

 先ほどまでステラを甘やかしていたディランは、煩わし気にその手を払いのけた。


「知るか! 俺でなくあの役立たずに聞け!!」

「……っ」


 ディランに恫喝されたステラは、ほんの束の間、本性剝き出しの顔で憎々しげに唇を噛みしめた。

 相手が王子だってことを忘れてるようだけど、いいのかな?

 まあ、俺にはディランとステラの繰り広げるいざこざなんて関係ない話だけど。


「――さて。パーティーから追放された俺は、ここで離脱させてもらうよ。せいぜい魔王退治がんばってくれ。あんたらの実力じゃ秒殺されるだろうけど。じゃあな」

「お、おい、ちょっと待て……! おまえさっきからいったい何を言ってる!? すべて説明しろ!!」

「断る」

「ぬわんだとぉ!?」

「もうお前の命令に従う義務はない。俺は一刻も早く向かわなけばならないところがあるんだ。お前にかまっている時間はない」

「んなああああ、きさまあああ、誰に口をきいているうううう!?!!」


 俺が無視して背を向けた瞬間、ディランは刀を抜いて襲い掛かった。


「くそがあああああ! ふざけやがってー!!!!」


 振り返るまでもない。

 俺は肩越しに右手をかざし、自らの周囲にバリアを張った。


「……ぐはッッッ!?」

「ディラン様ッッ……!!」


 ディランの鈍い悲鳴と、剣が弾き飛ばされるキーンという高音が重なる。

 一瞬遅れで、壁まで弾き飛ばされたディランが、石の床にドサッと倒れる音がした。


「ば、馬鹿な……」


 ちらっと視線を向けると、痛みのあまり起き上がれないでいるディランが、床に蹲っていた。

 唇の端からは、赤々とした血が流れている。

 わなわなと震える指先で自分の血に触れたディランは、一瞬間を置いた後、「ひっ」と女子のような悲鳴を上げて失神した。


「きゃあああっ!! ディランさままあああ!?!」


 慌ててディランに駆け寄る女たちが俺の脇をすり抜けていく。

 俺はそんな彼らを置き去りにして、【焔の間】を後にした。


 と、こんな流れで、俺は晴れて勇者パーティーを追放されたのだった。

 

 ◇◇◇

 

  ダンジョンを脱出し、目的地である王都を目指して歩いていた俺は、荒野の真ん中で足を止めた。

 空気が張りつめるような微かな気配。

 その直後、激しい落雷が轟き、黄金色の稲妻が不穏な空を駆け抜けた。

 不自然なくらい勢いを増した風が、どす黒い雲を東の空から連れてくる。

 叩きつけるような大粒の雨が降りはじめたとき、ひときわ激しい雷が落ちた。


 雷によってえぐられた大地の真ん中に、黒々とした影が見える。

 ゆらりと顔を上げたのは、巨大な魔物だ。

 毒々しい黄金色に輝く皮膚をしたその怪物の頭部からは、蛇のような複数の触覚が生えており、それぞれが別個の意思を持っているかのようにうねっている。



「――そこの豆粒。四天王が一人である【炎の使い手】を倒したのは貴様か?」


 地を這う雷鳴のようにドスのきいた声が問いかけてくる。

 手合わせをしなくても、相手が放つ殺気の種類でこいつが何者なのかなんてことは想像がついた。


 ――四天王【雷の使い手】か。

 大方【炎の使い手】の気配が消滅したことを察知して、様子を見に来たのだろう。


 まあ、勇者パーティーの一員でなくなった俺にとってはどうでもいいことだ。


 魔物の問いかけを無視して、俺はそのまま立ち去ろうとした。


「待て、小僧。我を誰だと思っている」

「四天王の一人【雷の使い手】だろ? こんなわかりやすい天候の中登場されれば、嫌でもわかる」

「人間風情が随分と生意気な態度を取ってくれる。まあ、いい。我の質問に答えてもらおうか。」

「悪いけど、あんたにかまってる時間はない」

「答えぬならここを通すわけにはいかぬな」


【雷の使い手】は背負っていた大剣を抜くと、俺の行く手を塞ぐように振り下ろした。

 鼻先数センチのところに、ギラギラと煌めく切っ先がある。

 俺は軽くため息を吐いて、【雷の使い手】に視線を向けた。


 背丈だけでも優に俺の五倍はある。

 聳え立つ壁のようだ。


 一触即発。

 そんな緊迫した状況の最中、力が抜けるような声が聞こえてきた。


「ぎゃあああ、なんなんだよおおおおこの魔物の大群はああああ!!」

「ディランっっっ!! いつもみたいに倒してよおおおお!!」

「馬鹿言うな、ステラ! 敵の数が多すぎるんだよ!!!! おい、ペネロペ! 魔法でまとめて吹き飛ばせ!!」

「ひえええん、防御魔法陣がないと詠唱してる間に攻撃されちゃうもんっっ」


 叫び声をあげて猛ダッシュするディランたちのあとを、無数の魔物が追いかけてくる。


「ちょうどよかった」


 この面倒ごとをすべてディランたちに押し付けてしまおう。

 そう思った俺は右手を掲げると、ディランたちを追い回していた魔物たちに向かい攻撃魔法を放った。

 ちょっと威力が強すぎたが、とりあえずすべての魔物を殲滅できた。

 木っ端微塵に吹き飛んだ魔物の残骸をその身にびっしょりと浴びたディランたちは、青い魔物血を拭うこともなく、信じられないという表情を浮かべて俺を見ている。


「あいつらは勇者パーティーだ。話ならあいつらに聞けよ」


【雷の使い手】はディランたちをちらっと見ると、鼻で笑った。


「あんな雑魚どもでは、何百人集まろうと四天王を倒せるわけがない」

「お、おい、だ、誰が雑魚だとぉ!?」


 ディランがほとんど反射的に言い返す。


「負け知らずの勇者と呼ばれた俺様の実力、思い知らせてやる!!」


 たった今、醜態をさらしていたはずだが、ディランの中ではなかったことになったらしい。


「何者だか知らないが、俺様が葬ってやる。おまえたち、援護は任せたぞ!」


 ディランは渾身の力で剣を突き刺そうとした。

 剣は【雷の使い手】の皮膚にはじかれ、キーンという音をたてて、宙に舞った。


「くそっ、体が硬すぎるな! 俺の剣とは相性が悪いらしい。ペネロペ、魔法で吹っ飛ばせ!」

「了解だよおおお」


 ディランの指示通り、ペネロペが水魔法を繰り出す。

 しかし、結果は変わらない。

【雷の使い手】はまったく動じずに顎を搔いている。


「何をしているのよ、ペネロペ! 遊んでるつもり!?」


 叱責するようにグレースがペネロペを怒鳴る。


「ち、ちが……っ」

「――マデリン、二人がかりでいくわよ!!」


 グレースがマデリンに合図を送る。

 頷き返したマデリンが両手で杖を構える。

 マデリンの詠唱がはじまるのと同時に、両手に爪を装備したグレースが大地を蹴った。


 グレースの拳が殴りつけた【雷の使い手】の腹へ向かい、追い打ちをかけるようにマデリンが攻撃魔法を撃ち込む。

 息を切らしたグレースが地面に着地し、【雷の使い手】を振り返る。

 その目が驚愕のあまり大きくなった。


「そんな……無傷なんて……」


 唖然としているのはグレースだけではない。

 すっかり青ざめたディランが、震える声で呟く。


「……は、はは……。こんなの何かの間違いだ……。俺たちの攻撃が効かないなど……。俺たちは【焔の使い手】を倒したパーティーなんだぞ……!?」


「さて、茶番は終わりだ」


 退屈そうにそう言って、【雷の使い手】が放った稲光がディランを襲う。


「ヒッ……!? うぐああああッッ……」


 攻撃はディランの右目を狙ったものだった。


「ひぎっ、痛てぇええええ……ぐああああ俺の目があああッッ」


 右目を焼かれたディランが、絶叫しながらのたうち回る。

 その姿を見て、【雷の使い手】が歪んだ笑いを浮かべるのを俺は見逃さなかった。

【雷の使い手】は敢えて力を加減し、痛めつけるための攻撃を繰り出したのだ。


「あ、ああ……っ……そんな……っ」


 ステラたちは恐怖のあまり、目を見開いて立ち尽くすばかりだ。


 ディランたちが戦っている隙にさっさと立ち去るつもりだったが、残念ながら彼らには時間稼ぎをする能力さえなかったらしい。


「ふん。準備運動にもならんな。さて――。ここを通りたいなら、俺を倒していけ」


 ディランたちなど止めを刺すまでもないという態度で、【雷の使い手】が俺に向き直る。


「どうやらそうするしかなさそうだな」


 俺は覚悟を決め、雷雨で濡れた前髪を掻き上げた。

 両足を広げて構えを取る。


「三十秒で終わらせる」

「ぬかせ!」


 叫ぶのと同時に、【雷の使い手】が、大剣を振り回しながら突進してきた。


「はああああッッ!!」

「はっ、遅いな」


 バリアを張るまでもない。

 左右に身をかわして、しつこく繰り出される攻撃を避けていく。



「もっとスピードをあげないと、俺にはついてこれない」

「だったらこれならどうだあああああ!!!!」


【雷の使い手】が大剣を天に向かって掲げると、空から轟音とともに雷が落ちた。

【雷の使い手】は、雷を宿らせた大剣を縦横矛盾に振り回し、無数の稲妻を放ってきた。


 どれか一発でも食らえば、ひとたまりもなさそうだ。

 頑強な砦さえ、あっさり吹き飛ばすほどの威力がある。


 とはいえ、食らわなければいいだけだ。


「次はこっちの番だ」


 その瞬間、何が起きたのか【雷の使い手】は理解できなかったようだ。


「あんたは俺には遅すぎた」


【雷の使い手】の目の前で、口元だけに笑みを浮かべてそう伝える。


「なっ……!?」


【雷の使い手】の爬虫類を連想させる瞳が驚愕のあまり見開かれる。


「なぜ"豆粒”のはずのおまえが、俺と同じ目線にいる……!?」


 それは俺に向けられた質問ではなく、突きつけられた現実を嘆くための言葉だった。


【雷の使い手】の目の前にかざしていた俺の右手から、燃えるような力が湧き上がってくる。

 すでに詠唱は終えている。

 俺は自分の攻撃魔法の威力に耐えるため、息を止めながら光のエネルギーを放った。

 雨雲が呼び起こした闇を蹂躙するほどの強烈な光が、周囲に満ちる。


「!? ……ッぐあああああッッッ……」


 攻撃をまともに食らった【雷の使い手】は、地面を抉る音を立てながら数百メートル先まで吹っ飛んでいった。


 手ごたえは十分あったが、念のため、【雷の使い手】が倒れている場所まで様子を見に行く。

 仰向けに倒れた【雷の使い手】は、先ほどの攻撃によって、右手と左足を吹き飛ばされていた。

 腹の真ん中には、巨大な穴が開いている。

 その中から、グロテスクな内臓がぶらりと釣り下がっていた。


 回復魔法を使おうと、手遅れなのは一目瞭然だった。

 それ以前に、【雷の使い手】にはもう、自らに回復魔法を施す力さえ残っていない。


「ごふっ……どうなっている……。おまえは……遠く離れた地上にいたはずなのに……。俺の攻撃をすべて交わしたうえ……地上から飛び上がり、詠唱までしたというのか……。すべてをこの一瞬で……? ありえない……」

「残念だったな。スピードにはちょっと自信があるんだ」


 国王の命どおりディランの手柄だと勘違いさせるため、ディランたちに気づかれないよう、一瞬の間で敵を倒してきたから。

 もともと俊敏な方だったけれど、そんなふうに実践を積んだおかげで、俺の攻撃速度は二年前に比べてかなり上がっていた。


 状況を理解したのか、その瞬間、【雷の使い手】の目の中に、恐怖と絶望が滲んだ。


「そんな……ここまで桁外れに強い人間がいたとは……とても敵わぬ……」


【雷の使い手】の瞳が濁っていく。

 虫の息だった【雷の使い手】はその言葉を最後に、ぴくりとも動かなくなった。

 

 【雷の使い手】の死を見届けて戻ると、ステラがディランの目を治癒していた。

しかし、傷口は塞がったものの、右目の視力は戻らないようだ。


「どうなってる……! 右目が見えないままだぞッ!」

「回復魔法は万能じゃないってわかってるでしょ……。これが精いっぱいなの」

「くそっ。この役立たずが!!」


八つ当たりするようにステラを突き飛ばしたがディランが、俺のほうを振り返る。


「おい、ルーク!! 王都まで俺様を護衛しろ。仕方ないから、パーティーに戻してやる」

「今さら何を言ってる?」

「なんだと……?」

「戻って来いと言われても断る。じゃあな」

「……っ! 貴様、待て!! おいっ!!!! ふざけるなああああああ!!!!」


俺は喚き散らしているディランを無視し、今度こそ本当に勇者パーティーと袂を分かったのだった。

 

◇◇◇


 道中、時折魔物が襲ってきたが、俺を足止めできるほどの実力を持つものは一体もいなかった。


 それから夜通し歩き続け――。

 太陽が真上に昇る頃、俺は目的の街へ辿り着いた。


 王都の隣に位置するこの大都市ウィンストンは、冒険者ギルドをはじめとする様々なギルドの本部がある。

 毎日大量の人間が出入りするこの大きな街の片隅に、俺の会いたい相手が暮らしている。


「ミアとおじさん、元気にしてるかな」


 二年前、最後に目にした二人の姿を思い描く。

 離れている間だって、一度たりとも忘れたことはない。


 ミアは一歳年下の幼馴染だ。

 九歳の時に、俺の両親とミアの母親は、馬車の事故にあって亡くなっている。

 その事故以降、俺はミアの父親のもとで、ミアとともに育てられた。

 ミアもおじさんも、俺のことを本当の家族のように愛してくれた。

 天涯孤独になってしまった俺にとって、二人の存在がどれほど救いになったか……。


 勇者パーティーの面々に理不尽な目に遭わされている日々においても、記憶の中にあるミアの笑顔と、家族三人で暮らす穏やかな日々の思い出だけが支えだった。


 そんな大事な家族と、どうして会うことが叶わなくなったのか――。


 ◇◇◇


 それは二年前の冬。

 俺は冒険者ギルドで受けた魔物討伐依頼を果たすため、馬車で片道五日はかかる遠方の村を訪れた。

 依頼はSランクの難易度だったが、とくに問題が起こることはなく、当初の予定通り十日間で帰宅できた。

 道中、宿場町でミアが気に入りそうなお土産を買うことも忘れなかった。


 寂しがり屋なところがあるミアは、たった十日といえ、俺が家を空けると拗ねてしまうのだ。

 今回も出発の間際まで、俺の傍らにくっついたまま、掴んだ服の裾をなかなか放そうとしなかった。


 最近、Sランクの依頼を受けることが多くなったからな。


 難易度が高い依頼は、地方のギルドでは解決できず、本部へ回されたものが多い。

 そのため、遠方へ行かされる率が高く、俺は家にいられないことが増えた。

 Sランクの依頼で、自分の実力を試すのは単純に楽しい。

 だから、ついつい好んで受けてしまうのだが、ミアを寂しがらせること自体は俺の本望ではなかった。


 ……ミア、お土産を気に入ってくれるといいんだけど。


『もおー! お兄ちゃんったら、お土産で私の機嫌が簡単に治ると思ってるんでしょ」

『治らなかったか?』

『むうっ……』

『ん?』

『……っ、治ったよぉ……。どうせ、ちょろい妹ですよーだ! ……でも、ありがと、うれしい……。それに無事で帰ってきてくれてよかった』


 前回、家を留守にしたときにミアと交わしたやりとりを思い出し、口元が自然と綻ぶ。


 家に辿り着いた俺は、笑みを浮かべたままドアノブに手をかけようとした。

 そのとき、偶然、扉が内側から開けられた。

 ぶつかりそうになったミアが目を見開いて顔を上げる。

 その青ざめた顔を見て、息を呑む。

 こんなミア、見たことがない。


「ミア、どうした?」

「お兄ちゃん……! お父さんが……っ、お父さんがぁ……!」

「……!」


 貧血を起こしたのか、よろめいたミアを慌てて支える。


「大丈夫か、ミア。おじさんに一体何があったんだ」

「うぅ……」


 ミアを支えながら、部屋に入る。

 ソファーに寝かせようとしたが、ミアは弱弱しく首を横に振った。

 仕方ないので、ミアを座らせ、その隣に寄り添って支える。


「……ごめんなさい、もう大丈夫」

「本当に?」

「うん……」

「ゆっくりでいいから、何があったか話せるか?」


 ミアがこくりと頷く。


「三日前、お父さんは王都に出かけていったの。もうすぐお兄ちゃんの誕生日でしょう? だから、プレゼントを探してくるって。その帰り道に、魔物に襲われて……」

「……!」

「お父さんに嚙みついた魔物の唾液には、強力な毒があったみたいで……」

「くそっ……。なんてことだ……。……それでおじさんは?」

「うん、予断は許さない状況だけど、一命はとりとめてくれた。……でも、解毒してくれた回復士様が言うには……うっ……お父さん、もう首から下は二度と動かないって……」

「……っ。……そんな……」


 あまりの事態に目の前が真っ暗になる。

 ……だめだ、俺がしっかりしてミアを支えないと。


「おじさんは寝室?」


 頷いたミアの肩を軽く押さえてから、立ち上がる。

 そっと寝室の扉を開く。


 声が漏れそうになり、慌てて口を掌で覆う。


 ベッドの上で眠るおじさんは、皮膚がしなびて、九〇過ぎの老人のような見た目になっていた。

 魔物はただおじさんを噛んだんじゃない。

 傷口から生気を吸い取ったのだ。

 ミアも当然そう説明を受けているだろうけれど、そこまで言葉にできなかったのだ。


 なんでこんなことになってしまったんだ……。

 俺の誕生日なんて、そんなことのために……!!


「……俺が家を留守にしていたせいだ……」

「違う、お兄ちゃんは何も悪くな――」


 ミアの声をかき消すように、扉が三度叩かれた。

 ミアの肩がびくっと揺れる。


 ……誰だ?


 俺が扉を開けると、そこにはいかにも金を持っていそうな商人風の男と、屈強な用心棒の姿があった。

 一目で堅気の人間ではないとわかる。

 なんでこんなやつらがうちに?


 男たちは俺を一瞥すると、視線を室内に向けた。


「約束通り迎えにきたぞ。心の準備はできているだろうな?」


 俺を押しのけ、商人風の男が勝手に部屋の中に入っていこうとする。


「おい、待て。何の話をしてる?」

「なんだ、この娘から何も聞いてないのか。くくっ」


 口元に下卑た笑みを浮かべながら男が振り返る。


「……待ってください。私から説明するので」


 さっき以上に、色を失った顔をしたミアがふらつきながら立ち上がる。

 慌てて駆け寄り、支えようとした手を、今度はやんわりと拒まれた。


「ミア……?」

「……お父さんの体から毒を消すには、特別な治癒薬が必要だったの。それが信じられないくらい高額で……。でも私、どうしてもお父さんを助けたくて……」

「こいつらに金を借りたのか……」

「百万ゴールドな」


 商人ではなく、高利貸だった男が口を挟んできた。


「なっ……。毒の治療に、いくらなんでも高すぎる……!!」

「おいおい、俺はただ金を貸しただけだ。文句なら治療代をぼったくった回復術士に言うがいい」

「最初に見せたお医者様も、その次に見せた人も、治療できないって断られてしまったの……。その間にも、お父さんの容態はどんどん悪くなっていって……。だから……ごめんなさい……」


 ミアを責めることはできない。

 足元を見て、ありえない金額を請求した回復術士のことは決して許せないが。

 俺は乱れた感情を落ち着かせるために、深く息を吐いた。


「状況は理解した。ただ、今すぐに百万ゴールドを返すのは無理だ。何か方法を考えるから、少し時間をもらえないか?」

「なあに、おまえがない頭を使わずとも支払方法は決まっている。――この娘が身売りする話になっているのでな」


 舌なめずりをしながら、高利貸しがミアを見る。


「……っ、ふざけるな!! ミアにそんなこと絶対させない!!」


 思わずカッとなって胸倉を掴むと、用心棒の男が割って入ってきた。


「やれやれ、これだから貧乏人は粗暴でいかんな。この娘を売らないというのなら、お前が今すぐ百万ゴールド返せばいいだけの話だ。それができないなら黙っていろ」

「くっ……。金は必ずなんとかする……! だから時間をくれ……!!」

「『時間をくれ』ねえ? 口のきき方がなってないな」

「……時間をください」

「まだまだ誠意が足りんなあ。そうだ。土下座でもしてみるか?」

「……」


 ミアのためなら、プライドなどいらない。

 俺が床に膝をつくと、ミアが慌てて止めに入ってきた。


「お兄ちゃん、私のためにそんなことしないで……!」

「いいから、下がっているんだ」


 ミアの手をそっと振りほどき、両手を着く。


「……どうか、金を用意する時間をください」

「ぷっ! ぷははははっ! 本当に土下座したぞ、こいつぁ傑作だ!!」


 高利貸しがげらげら笑いながら、俺の頭をぐりぐりと踏みつける。


「お兄ちゃん……!!!」

「いいから!!」

「ははははは! まあ、今日のところは麗しい兄弟愛に免じて見逃してやる。またこちらから連絡するから待っていろ」


 置き土産のように、高利貸しが俺の頭を蹴り上げる。

 こんな男の攻撃なんてことはない。

 ただ、ミアがあげが悲痛な叫び声は、俺の心を深く傷つけた。

 

◇◇◇


 高利貸しが尋ねてきた翌日、俺はなぜか王城から呼び出しを受けた。


 俺の父は、事故で亡くなるまでの十五年間、王立騎士団に所属しており、そのうち八年間は騎士団長の地位にあった。

 何度も戦場で活躍し、いくつもの勲功章を授与していたため、今でも伝説の男として語り継がれている。

 生前は、その功績のおかげで、王子二人の剣術の師範も任されていたぐらいだ。


 しかし城との関係は、父が死んで以来ずっと途絶えたままだ。


 心当たりのないまま、俺は城の謁見の間へと向かった。

 本当は今日は借金返済のための方法を探したかったのだけれど、王城からの呼び出しを断るわけにはいかない。


 玉座にはすでに国王が座しており、その左右には側近の大臣たちが並んでいた。

 作法にのっとって、膝を付き、低く頭を下げる。


「ルークか。そうかしこまらずともよい。面を上げよ」

「はっ」

「そなたの顔を見るのは久方ぶりだな。息災にしておったか?」

「ご無沙汰しております。新しい家族と元気に暮らしております」


 内心、戸惑いながらもなんとか返事をすることができた。

 俺は幼い頃に一度、国王に会ったことがある。

 まさかそのときのことを国王が覚えていたなんて……。


「そうか、そなたは確か、グウェンダルの友人に引き取られたのだったな。――実に惜しい男を亡くした。今でも度々グウェンダルが傍にいて、儂の補佐をしてくれたならと考えることがある」

「勿体ないお言葉です」


 こんな話をするために呼んだのか……?

 相変わらずわけがわからないまま、頭を下げる。


「何が起きているのかわからないという顔だな。早速本題に入ろう。実は、その新しい家族に大変な不幸があったそうだな」

「……!」


 驚きのあまり、思わず顔を上げてしまった。


「どうしてそれを……」

「そなたの義父ジョシュアを治療した回復士の報告が、ギルド経由で入ったのだ。ジョシュアを襲った魔物は、特殊な毒使いだったのだろう。そういったものに遭遇した冒険者には、ギルドへの報告が義務付けられているであろう。ギルドは、それを城へ報告せねばならぬのだ。グウェンダルには世話になった。その息子が困っていると聞けば、放ってはおけぬ」


 国王が俺の身に起きたことを知っていた理由については納得はしたが、なかなか話の展開に頭がついていかない。


「どうだ? 儂とある契約を交わさぬか?」

「契約、ですか?」

「そなた、第二王子ディランと共にグウェンダルの剣術修行を受けたことを覚えているか?」

「もちろんです」


 俺は九歳のときから一年半ほど、第二王子の修行の相手を務めたことがある。

 第二王子のディランと俺が同い年だったので、手合わせをさせるのにちょうどいいと判断されたのだ。

 修行中一度だけ、国王が様子を見に来たことがある。

 俺が国王と会ったというのは、そのときのことだ。


「さすが、国一番の実力者と言われたグウェンダルの息子だけあって、そなたは身体能力に優れ、剣術だけでなく、魔法や体術、どんなことをやらせても恐るべき才能を見せつけた。そのうえ、まだ幼いというのに真面目で勤勉家でもあった。そなたの成長がどれほど目を見張るものだったかは、訓練場に出入りしていた様々な者の口から聞いてしっていた。それに比べて我が息子ディランがどれほど話にならなかったかもな……。そのくせ、実戦には出たがるのだから、どれほど肝を冷やさせられたか」


 俺は曖昧な表情で頷いた。

 ディランのことを忘れているわけじゃない。

 ただ、ディランは当時、俺を目の敵にしていたから、どう反応していいかわからなかったのだ。

 それに、どうして国王はこんな昔話を唐突にはじめたのかも謎だった。

 なんだか王城に呼び出されたことを筆頭に、こちらを煙に巻くような状況が続いている気がする。

 俺の中で少しずつ警戒心が芽生えはじめた。


「本題に入ろう。先日、ディランが十五になった。もう十分、大人といえる年齢だ。そのため、魔王討伐のためのパーティーを組みたいというディランの願いを引き延ばすのにも限界がきてしまった。パーティーを組むのはやむを得ないとして、儂はディランの身を守ってくれるような者を探していたのだ。もう言いたいことはわかるな? 借金を肩代わりする代わりに、そなたには我が息子のパーティーに入り、我が息子を陰ながら支えてほしいのじゃ」


 ディランは、幼少期からずっと、成人したら魔王を討伐に行くと息まいていた。

 俺が知っている頃からどれだけ努力しても、彼が魔王を討伐できるとは到底思えない。

 国王が心配するのも仕方のない話だ。


 ……ただ、陰ながらというのはどういう意味だ?


 俺が尋ねる前に、国王が答えを与えてくれた。


「陰ながらというのはつまり、息子の傍らに寄り添い、代わりにすべての敵を倒すのだ。ただし、そなたが倒していることが、我が息子にもそのほかの仲間にも決して悟られてはならん。そんなこと事実を、気位の高い我が息子が受け入れられるわけがない。そなたは影のようにディランに寄り添い、ディランの為の盾となり剣となるのだ」


 とんでもないことを考えたものだ。

 ディランの攻撃に合わせて動き、ディランに見えぬ速度で敵を倒せば、彼が倒したと思い込ませるのは確かに可能だ。

 国王が、下の息子を溺愛していることは提案の内容からも十分伝わってきたが、その愛し方はまったくディランのためにならないと思った。

 そんな意見を言える立場にはないので、もちろん心の中に留めたが。


「……恐れながら陛下、どうして私なんでしょうか? 腕のたつ者ならいくらでもいるはずです」

「謙遜するな。そなたの評判は我が耳にも届いておる。それにパーティーというのは、四六時中一緒に過ごすのだろう? ディランとそなたは、ともに修行を受けたという繋がりがある。赤の他人より、安心して任せることができるのだ」

「はあ……」

「さあ、答えを聞かせてくれ」

「……」


 借金を返す方法を何とか探すと高利貸しには言ったが、百万ゴールドという大金を返す手が俺にはない。

 しかし、渡りに船だと喜べない自分がいる。

 ここまでの国王とのやり取りのどこに、これほど胸騒ぎを覚えるのか。


 ……それでも、今の俺には選択の余地なんてないよな。


 ミアのことを思えば、背に腹は代えられない。

 俺は覚悟を決めて、視線を上げた。


「私でよければ、そのお役目を引き受けさせて下さい」

「ふはは! そう言ってくれると信じておったぞ。――あれをここに」


 国王が合図を出すと、傍らに控えていた側近が、羽ペンと一枚の書状を持ってきた。

 真ん中で分けられた前髪の下の細い目が、ほんの束の間俺に向けられた。


 ……なんだ? 嗤われた……?


「この羊皮紙にサインをし、血判を押したまえ」


 国王の代わりに黒髪の男が指示を出す。

 男は俺が答える前に、魔法で書き物机を具現化させた。

 渡された羊皮紙を広げた俺は、そこに記された文言を読んで絶句した。


「これは……魔法契約証……!?」


『魔法契約』とは、契約を交わす者同士の血を用いて、闇魔法を発動させ、魔力の力で契約に両者を拘束することをいう。

 魔法による拘束は絶対で、血を用いた契約履行者以外が解除することはできない。

 かつて奴隷の売買が行われていた時代の負の遺産である。

 現在では、こんな契約書が交わされるのは、決して裏切られるわけにはいかない犯罪者同士の闇商売の場ぐらいだし、それもよっぽど大掛かりな取引の時だけだと聞いたことがある。

 あまりに拘束力が強いうえ、闇魔法などという危険な魔法を用いることもあって、まともな人間は手を出しはしないのだ。

 それを一国の王が出してくるなんて……。


「何を戸惑っている? 怖気づいたか?」

「それは……」

「そなたがこの話を拒んだら、借金を背負ったジョシュアの娘はどうなるのだ?」

「……っ」


 あごひげを撫でながら、王が唇を歪める。

 相変わらず人のよさそうな笑みを貼りつけているが、それがどれほど冷たく心を感じられないものなのか、さすがに気づいた。

 そういえば、ディランもよくこんな目をしていた。


「……普通の契約ではいけないのでしょうか?」

「王子の名誉に関わる取引を交わすだということをわかっていないようだな。こういってはなんだが、ディランは我がままに育てたすぎた。そのせいで、性格にかなり難がある。まともな人間は、すぐに愛想を尽かして見放すだろう。だからなにがあっても王子のパーティーから離脱しないという契約を交わしてもらわねばならぬのだよ」


 この先、どんな目に遭うのか、当然想像はついた。

 ……ディランに奴隷扱いされるんだろうな。


「もちろん、この契約のことはここにいる者以外には明かさぬ。当のディランさえも、知らぬのだしな」


 書状には、すでにディランの血判が押されていた。

 このことを知らないというのなら、何か理由をつけて契約書に名前を書かされたのだろう。

 こんなとんでもない契約書に、何の理解もなく血判を押してしまう者のために命をかける生活がはじまるのか……。


 俺はため息を吐きたくなる気持ちを押し殺し、自分の親指の皮膚を嚙みちぎった。


 ◇◇◇


 帰宅後。ミアには国王が父親の功績への礼だと言って、借金を肩代わりくれたとだけ伝えた。

「私のせいでお兄ちゃんに迷惑ばかりかけて……ごめんなさい」でも、ありがとう。本当は身売りなんか絶対したくなくて怖かったの」

「謝ることなんてない。とにかく、これでもう何の心配もいらないから。安心して」

「お兄ちゃん……」


 俺は泣き虫なミアの頭にポンと手を置いて微笑みかけた。


◇◇◇


 この一件の五日後、誕生日の日の朝に、俺は勇者パーティーと合流するため家を出た。


『自分の実力を試したくて、特別な依頼を受けた。当分の間戻ってこれないと思う。どうか元気で』


 そうしたためた置手紙を、ミアに残して――。

 

◇◇◇


 ――あれから二年。

 

「やっと戻ってこられたんだ……」


 おじさんとミアが住む家は、町の繁華街から少し離れた静かな場所にある。

 ただ、おそらくこの時間、ミアは商業地区にある【スミス薬剤調合店】で売り子の仕事をしているはずだ。

 商業地区は、おじさんの家に向かう途中に通るので、試しに店を覗いていくことにした。


 一刻も早くミアに戻ってこれたことを知らせたい。

 これからは昔と同じようにこの町で暮らし、おじさんとミアの生活を傍で支えられるのだと話したい。

 騒がしい雑踏の中、はやる気持ちのまま進んでいく。


【スミス薬剤調合店】。

 木製の看板にかかれた店名を確認してから、扉を開ける。

 真鍮のドアベルがカランカランと音を立てる。

 その音を聞き、カウンターの向こうで薬の整理をしていた少女が笑顔で振り返った。


「いらっしゃいま――」


 明るくかけられた声が途中で止まる。


「……っ」


 くりっとした大きな瞳から涙が溢れ出す。

 いつだって感情を素直に表すミアは、整った顔をくしゃくしゃにして泣き出した。


 二年前と比べて明らかに大人びたと感じたのに、途端に子供っぽくなる。


 懐かしさと愛しさが募る。

 思わず苦笑した俺のもとに、ミアがなりふり構わず駆け寄ってくる。

 揺れるスカートがぶつかり、積み上げられていた空箱が倒れてしまったことに慌てながらも一目散に。

 そのままの勢いで、俺の腕の中に飛び込んできた。


「お兄ちゃん……! 会いたかった……!」


 くぐもったミアの声が震えている。

 細い両手が絶対に俺を離すまいとでもいうように、ぎゅっとしがみついてくる。

 俺もミアを抱きしめ返した。


「無事でよかった……!! 心配したんだよ……!」

「ああ……。ごめん」


 少ししてミアが落ち着いたところで、俺は体を離した。

 たまたま店内に他の客がいないタイミングでよかった。

 こんなやりとりを見られたら、何事かと驚かれてしまう。


「もういなくなったりしないよね? それだけは約束して……」


 俺が口を開こうとしたタイミングで、奥の調合室から店主である小柄な老人が姿を見せた。


「ミアちゃん、知り合いかい? 休憩時間だし、店の裏で話してきていいよ。――って、んんっ!? ルークじゃないか!? 戻ってきたのか!!」

「スミスさん、ご無沙汰してます」

「ほんとだよ! ミアちゃんも私もどれだけ心配したことか……!! いやいや、それでも帰ってきてくれてよかった」


 スミスさんは皺だらけの手で、俺の腕を叩いた。

 温かく迎えてもらえて照れくさい。


 それから俺とミアは、スミスさんの言葉に甘えて店の外へと移動した。

 改めて向き合うと、やはり歳月を感じずにはいられない。

 長く伸びた髪のせいか、今のミアは女の子というより女性という感じがして、少し戸惑った。

 もともと可愛らしい容姿をしていたが、ここまで美人に成長したら、周りの男たちが放っておかないだろう。


「会わない間にすっかり大人びたな。綺麗になった」

「……! も、もう! 恥ずかしいよう……。お兄ちゃんこそ、そんなに素敵になって、彼女いっぱいいそう!」


 泣きすぎて上気した顔にあどけない笑みを浮かべて、ミアがからかってくる。


「なんだよ、いっぱいって。いるわけないだろ」

「ならよかった。私もいないからね。えへ」


 二年間の時の流れが俺たちをぎこちなくさせるのか、二人ともすぐには確信についた話題に入れなくて、そんな他愛もないやりとりを交わした。


「……ねえ、お兄ちゃん、戻ってきてくれて本当にありがとう。……どこで何をしてたか聞いてもいい?」

「置手紙に書いたとおり、依頼をこなしてたんだ。仕事の具体的な内容に関しては話せない。ごめんな」


 ミアは黙ったまま、ふるふると首を振った。


 ミアには申し訳ないが、なぜ突然行方をくらましたのか、この二年何をしていたのか、正直に打ち明けるつもりはなかった。

 そんなことをしたら、ミアが自分を責めるのはわかりきっている。

 国王の要求を吞んだとき思った『ミアの笑顔を守るためならなんだってする』という気持ちは今も変わらない。

 ミアに隠し事をしたり、嘘を吐くのはもちろん良心が咎めたが、ミアを傷つけないためにはいくらでも悪者になれる。


「話せないことがあるのはわかったよ。……だけど、どうして手紙だけを残していなくなっちゃったの……?」

「それは……」


 ミアの顔を見たら、別れるのが辛すぎたから。

 あのときは、もう二度と会えないかもしれないと思っていたから、余計に旅立ちが苦しかった。

 俺が黙り込んだ意味を誤解したのか、ミアが消え入りそうな声で呟いた。


「……いなくなっちゃったのは、私のことが嫌になったから……?」

「え?」

「お兄ちゃんが家を出ていってしまう直前に、私がお父さんのことですごく迷惑をかけたでしょ……? それで嫌われちゃったのかなって……」


 散々思い悩んできたのか、ミアが言葉を詰まらせながら、不安だった胸の内を吐露した。

 まさか、ミアがそんなふうに思っていたなんて。

 俺は慌てて、ミアの肩を両手で掴んだ。


「それだけは何があってもない!!」

「本当に……?」

「ああ! 俺がミアを嫌いになるなんてありえない!! たとえミアが泥棒になっても、殺人を犯しても、世界中を敵に回したって、俺にとってミアは大事な家族のままだよ!」

「さ、さつじん!?」


 それまでしょんぼりしていたミアが素っ頓狂な声で繰り返す。


「もう、お兄ちゃんったら! 私を犯罪者にしないでくださいっ」

「ご、ごめん。つい勢いで」

「……ぷっ、ふふふっ。もうっ。ひどいんだから」


 最初はすまないと思っていた俺も、ミアの楽し気な笑い声に釣られて、いつの間にか笑っていた。


 ようやくミアの明るい笑顔が見れてうれしかったのもある。

 これが本来のミアだ。

 根っから明るくて、コロコロと声を上げ笑う。


「はぁ……笑った……。こんなふうに笑えたの久しぶり」

「勝手にいなくなったこと許してくれるか?」

「許すなんて、そんなこと……! 責めたわけじゃないの。……ただ、寂しかっただけ。お兄ちゃんがいなくなって……お父さんがいなくなって……私、ひとりぼっちになっちゃったから」

「……! ……おじさんが?」


 すぐに言葉が出てこない。

 息が詰まるのを感じながらなんとかそう聞き返すと、ミアは小さくこくりと頷いた。

 ミアの表情は再び曇ってしまった。


「……半年前に。ずっと寝たきりで、長くはないとお医者様からは言われてたの……」

「……」


 ミアが涙を流さなかったことが、俺にはショックだった。

 涙を流さず話せるようになるまで、どれだけ一人で悲しみと向き合ったのか。

 傍にいられなかったことを悔やみながら、俺は思わずミアの肩を抱き寄せた。


「おじさんに何の恩返しもできなかったな……。……ミア、ほんとにごめん……」

「ううん。お父さんはお兄ちゃんが家族になってくれただけで幸せだって、いつも言ってたよ。それに私も……」


 甘えるように、俺の胸元にミアがすり寄ってくる。


「実はね、私、いつも仕事のない日は、お兄ちゃんを探して、冒険者ギルドの辺りをうろうろしてたの。王都まで行ったこともあるんだよ。見つけることはできなかったけれど……」

「ミア……」

「もう一度会えてうれしい……」


 俺は、自分も同じ気持ちだと伝えながら、ミアの肩を抱いている腕にぎゅっと力を込めた。

 

◇◇◇


 一方その頃――。

 勇者パーティーは行く先々で遭遇する魔物の襲来から命からがら逃げ延び、なんとか城まで帰還したところだった。

 疲労のあまりボロボロだというのに、休む間もなくディランは国王から呼び出された。


「……いいか、おまえら。四天王の炎も雷も、いつもどおり俺の力で倒したんだ。父上の前で余計なことは死んでも言うなよ」


 ディランにそう脅され、ステラたち仲間は慌てて頷いた。

 玉座の間の扉の前まできたディランは、顎をあげ、自信満々な顔を無理に作った。


「失礼します。ディラン、四天王のうち二体を討伐し、ただいま戻りま――」

「こんの馬鹿者があああああっっ!!」

「ひっ!?」


 父王の怒声とともに、王笏が飛んできた。


「痛ッ……!?」


 思い切り頭にぶつかり、ディランは非難の声を上げた。


「父上! 大事な息子に何をなさるのですか!?」

「おまえがあまりにも馬鹿だからだ!! ルークをどうした!!」


 右目に負った怪我を心配するより先に、ルークのことを尋ねてくるなんて。

 ディランはむすっとしながら、腰に手を当てた。


「あの足手まといの役立たずがなんです? あいつはパーティーから追放してやりましたよ」

「お前は何もわかっていない……」

「そもそもパーティーメンバーの選抜がよくなかったようです。この女たちも俺の目は治せないわ、魔法や武力も大したことがないわ。やれやれ、どいつもこいつも私の足を引っ張るばかりでしたから」

「なっ! ひどい……! 私はちゃんと治療をしたわ!」

「ペネロペたちだってしっかり戦ったもん! 敵が強すぎただけだよ!」


ステラやペネロペをはじめ、パーティーメンバーたちは、信じられないものをみるようにディランを睨んだ。


「ふん、どうやらどいつもこいつも猫をかぶっていたようだな! 見ましたか、父上! 私はクソパーティーを押し付けられた被害者ですよ!」

「……おまえというやつは……。あれほど言い聞かせておいたものを」


 国王は額に手を当て、重い溜息をついた。


「ディラン以外の者は席を外せ」


 ステラたちは、戸惑った表情を浮かべながらも玉座の間から出ていった。


「こうなった今、さすがにお前には現実を教える必要がある。ディラン、おまえは絶望的に弱い」

「……は?」

「幼少期からまったく成長していない。そのうえ自分の弱さを理解できないほどの馬鹿者ときている」

「な、何を言ってるんです、父上。どうかしてしまったのですか?」

「どうかしているのはおまえのほうだ……」

「私は四天王を倒してきたのですよ!? 私のどこが弱いというのです!?」

「四天王を倒したのはルークだ」

「はっ、ははっ! 笑わせないでください。あいつはただ棒立ちをしているだけのボンクラですよ」

「無能のふりをしながら、おまえの代わりに敵を倒すよう、儂が命じていたからだ」

「そんな、話を信じると思うのですか!」

「逆にお前に尋ねるが、その目の傷、それはお前がルークを追放したあとに負ったものではないのか?」

「そ、それは……」

「……今まではルークがお前を守っていたのだ。最強の盾を放り出すとは……」


 国王がルークと交わした魔法契約の話を聞かせると、ディランの顔が徐々に青ざめていった。


「……それでは、私はこれからどうすればいいんですか。最強の名を手放すなんてことは絶対にしたくないですよ!!」

「どんな方法を使っても、ルークを呼び戻すのだ! 戻ってくるよう説得するしかないだろう」

「くそ……!! あれほど見下していた奴を頼らなければならないなんて、こんな屈辱的な話があるかッ」


 悔しさのあまり頽れたディランは、両の拳で大理石の床を叩いた。


「……こうなったらどんな方法を使ってでも、あいつを再び俺の奴隷にしてやる……! 待っていろよ……!!」


 そう決意したディランだったが、結局どんな方法を使ってもルークを呼び戻すことはできず、「今さら戻ってこいだって? 笑わせないでくれ。それより、馬鹿王子。あんたの犯した罪を後悔させてやるよ。遠慮なく報復させてもらう」と言われ、方々の体で追い返されることになる。


 次第にディランこそが真の無能であったと国中に広まってしまうのだった。

 勇者パーティーは当然解散となり、ルークを馬鹿にしていたステラたちは、路頭に迷うことになる。


 ディランと国王は、歴代一の馬鹿親子として、国の歴史に名を残すことになるが、それはもう少し未来の話である――。

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本作のヒロインも主人公だいすきっ子です

『国中から嘲笑された無能スキル【退行魔術式】のせいで実家を追放されたけど、最強の力が覚醒したので気ままに無双する。 〜国が滅亡しそうだから掌返して追放撤回? いや、その国滅ぼそうとしてるの俺の部下だし。〜』

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