thank you
以前書いた『ありがとう』を膨らませて書き直しました。随分毛色が変わりましたが、初めての三千字に届いた短編です。
少しでも心に届けば嬉しいです。
両親の期待に応えることが出来なかった。月謝の高い塾にも行かせてもらったのに、第一志望校の大学は不合格という結果だった。だから、体面を保つ為だけに本来学びたかった学部もない、第二志望の大学に進学した。
入りたい部活もあった。だが勉強の邪魔になるからと母親は部活動に対して否定的だった。最終的に空気を読んで帰宅部を選択したのは自分だった。期待に応えようと努力はしてきたつもりだ。
高校受験までは上手くいっていた。高校に合格したとき両親は、特別な祝い事があったときしか行かないレストランに私を連れて行って
「何でも頼みなさい」
厳しい表情が多い父が、珍しく笑顔をみせて言ってくれた。私は嬉しくてオムライスとビーフシチューとオニオングラタンスープをお腹に詰め込んだ。
今回は進学先が決まると、母親は気まずい顔をし、父親は落胆した様子で
「まあ、大学だけで人生が決まる訳じゃないし」
と言っていたが、その言葉に慰められることはなかった。
***
綺麗にお化粧をして、カラフルな服装を身に着けた同級生たちは熱帯魚のようだった。入学当初私は、化粧もさして上手くなく、制服がなくなって何を着たらいいのかさえよくわからなかった。心も姿もちぐはぐだった。
私は周りの学生に追い付こうと、ファッション雑誌を片っ端から読んで流行りの服装に身を包むようになる。いつの間にかアイプチで二重を慣れた手つきで作れるようになっていた。眉毛だって巧く描けるし、ルージュもレッドを好んでひいて鏡の中の自分に満足していた。
この頃から親との関係に綻びが生じ始める。派手になっていく娘の様子が両親の喧嘩の原因になっていることもしっていた。それでも私は自分好みの洋服を選び派手な化粧を止めなかった。高校で勉強に身を捧げていた反動だったのだろう。
私は芋っぽい同級生たちには目もくれず出会い系アプリに夢中になっていた。若いというのはそれでだけで強みになるようだった。毎日、数十通のメールが届いた。その中から、一回り年上の男性と顔合わせをすることにした。決め手は、メールからもわかる気配り。マメさがありながら深追いはしてこないところに関心を惹かれたのだ。
「元気にしてる?」
「はい、毎日退屈しながらも学校に行っています」
「退屈か~。学校は行っときなさい。卒業するまで気晴らしをしながら好きなことが見付かれば御の字さ」
「そういうもんですか? 亮さん。卒業までに好きなことを見付けられればいいのですが……」
「麗子ちゃんは、まだ若いんだから視野を広く持った方がいい。世間は広いよ」
亮さんは時々私を諭す。お互い本名は知らない。サイトで使っているハンドルネームで呼び合っていた。彼は同級生の男性よりがっついてなくて気が許せた。メールでのやりとりだけという気安さのせいだったとは思いたくなかった。
***
初めて駅前の喫茶店で待ち合わせした時、亮さんは仕立てのいいスーツを身にまとって素敵なブルーのネクタイをして現れた。十九歳の小娘は一目で簡単に心を奪われた。
「可愛いらしい恰好をして来てくれてありがとう」
彼の言葉に自然と笑顔がこぼれる。
「亮さんも素敵です。流石スーツが似合いますね」
「僕の戦闘服だからね」
穏やかな話し方、柔らかな物腰、どこにも欠点は見当たらなかった。
喫茶店に入ると、彼はコーヒー、私はオレンジジュースを注文した。グラスが汗をかくくらいには、話は弾んだ。
「亮さんは、今日は仕事大丈夫なんですか?」
「営業が中心だから商談は終わらせて来たよ。出来る男は時間を作るものさ」
「すいません。都合を合わせて頂いて」
「学生さんと話す機会なんてなかなかないからね」
亮さんは目を細めて私を見つめていた。そのとき彼が何を考えていたかはわからなかった。
しばらくすると、彼の二台あるうちの一台の携帯が鳴りだした。その場では取らず、軽く詫びると席を外してしまった。忙しい人なんだなと思いながら私はある計画を立てつつあった。
***
それは、両親への復讐だったのかもしれない。私はヴァージンを捨てたかった。捨てたかったのだ。相手は誰でもよかった。亮さんと数回デートのようなものを重ね、彼が非道な人でないことはわかった。ただ、一人の女性で満足出来るタイプの人物でないことも何となく感じていた。憧れや淡い恋心はあったが、彼は私の若さにひかれているだけのようだった。叶わない恋を続けるには自分の妙なプライドは邪魔でしかなかったのかもしれない。
そしてある日、
「亮さん、頼みがあるの。私の初めてをもらって欲しいんだけど」
と切り出した。
「麗ちゃん、いいのかい? そんな大事なこと僕に任せて。嬉しいけど、ちょっと考えさせて欲しい」
返事は気持ちが決まり次第連絡すると約束してくれた。
一週間が経って、彼から連絡のメールがきた。
「僕でよければ、もらうよ」
「ありがとうございます」
決行の日、家族といつも通りに静かな朝食を済ませ、大学の講義も上の空できいていた。そして待ち合わせの時間は迫って来る。
全く怖くないといえば嘘になる。でも自分の大事なものを誰かに踏みにじって欲しかった。そうしなければ、私は潰れてしまいそうだった。
シティホテルに部屋を取ってくれた亮さんは私を部屋に招いてゆっくりベッドの上に座らせて、とても優しく私を抱きしめた。すぐに押し倒されるかと思っていた私は戸惑った。そして襟元をくつろげると、緊張している私の耳元に
「もらうね」
と囁いた。目を瞑り体を固くして次の瞬間を待っていた。
「目を開けてごらん」
亮さんはカーテンを開けて階下の夜景をみせてくれた。
「麗ちゃん、自分を粗末にしちゃいけないよ」
と厳しい表情で言い放った。顔から火が出そうだった。
「どうしてですか? 自分のことなんだからどうしようと勝手じゃないですか」
語気が荒くなる。
「自分のことでもだよ。未来の自分が悲しむことはするべきではないよ。麗ちゃん、何か不満があるなら自分を殺すんじゃなくて、相手を殺すくらいの勢いでぶつかってごらん」
「そんなこと、なんで亮さんに分かるんですか?」
腹立たし気に言った。
「年の功かな」
彼は寂しげに笑った。
「麗ちゃん、君は自分が思うほどすれっからしじゃないんだ。育ちの良さや真面目さが少ないデートの中でも見てとれた。優しいし、思いやりもある。僕や他の男が遊んでいい女性ではない。本当に相手が遊んでほしいなら、僕だって考えるけど。君は違う」
穏やかな顔でお説教をされ、
「亮さん、どんな形であれ私貴方のことが好きでした」
雫がこぼれる。初めて人に涙をみせて泣いた。亮さんは泣きじゃくる私を抱っこして長い間、背中をさすってくれた。
私の嗚咽が止まるころ、亮さんは一人部屋を出ようとしていた。私は彼に最後のお願いをした。
「授業料とって下さい」
「しょうがないな」
そう言うと、私に深いキスをくれた。
***
それからの私は、背伸びを止めてむやみに着飾ることもしなくなった。亮さんのことは、気になったし簡単に忘れられることでもなかった。彼がくれた優しさを無駄にしない為に親ともぶつかるようになった。そんな私を、両親は激しく言い合いをしながらも歓迎してくれているようだった。
「今日は私がお弁当作るね」
「ありがとう、麗子」
「ううん、お母さんずっとお弁当作ってくれてこっちこそありがとう」
こんなこそばゆい会話が出来るようになったのも、亮さんのお陰だ。
亮さんの素性は正確にはわからない。メールアドレスは残っている。あれから一年が経っていた。
会えなくとも送りたいメッセージがある。貴方のおかげで自分を大切に思えるようになったこと。
何より愛おしい貴方へ心からの『ありがとう』を。
読んで下さってありがとうございます。