#1 うねる黒雲、《レイニー・ホエール》 1
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ブクマヨロスクオナシャス。
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そいつはコンクリの地面を、まるでそれが太平洋の柔らかい海面であるかのように、滑らかな動きで潜っていった。それでも建物群が倒壊することはなく、あくまで平然と、震度4の地震が起こった程度にしか振動していなかった。
「これじゃあどこにいるか判らないわね」
「ああ、まったくだ」
制服姿のナギサの言葉に、俺は頷いた。
「どうする? このまま適当に地面目がけて攻撃してもいいけど……」
「ああ、駄目だ。それは。余計に被害が出る」
「そうだな」
同じく制服のシュロムが言い、僕が答えた。
俺とナギサとシュロムは今、とある都銀のビルの屋上から、荒れ狂う地上を見下ろしていた。人々は逃げ惑い、電線はおろか、電柱まで一本残らずなぎ倒され、地割れしていない事の方が不自然だった。
厄介なのは、《奴》が吐き出す有毒の体液、《消失液》。ものの一分で物体を完全に分解し、気体にさせる。《消失液》はすでにこの街全体に蔓延しており、今俺たちがいるこのビルも、もとは二十五階まであったのに、液体に溶かされ、今では五階程度の高さしかなく、微妙に斜めっている。今にも倒壊しそうだった。
「幸い、奴が体液を飛ばせる高さはせいぜい五メートルだ。俺たちに直接かかる心配はない」
「でも早くしないと犠牲者が……」
「ああ、蘇生できる遺体は死後十五分以内と限られてるしな」
「あ、見ろ!」
シュロムが遠くの方を指さす。
「! ……まずいな、こりゃ」
ここから百メートルほど離れた大通りに、奴は姿を現した。――といっても、全身の約二割ほどだけだが。
大渋滞でサイレンやクラクションや悲鳴が飛び交う中、奴は道路からいきなりその真っ黒な肌を露にした。
もともと道路にいた自動車たちは無慈悲に吹っ飛ばされ、やがて他の車と衝突し、発火・炎上した。
ゴゴゴゴゴゴ、という耳をつんざくような《奴》の鳴き声に、ナギサは思わず耳を塞いだ。
「な、何⁉」
「あの《鯨》、また潮を噴くんだ」
シュロムの言った通り、鯨――《レイニー・ホエール》はその体液を背中から撒き散らした。ものすごい熱風。ここからでも少し、気体状になった奴の体液を浴びているのだと思うと、俺は思わず息を止めた。
《消失液》の噴水を浴びた信号機が、一瞬火花を散らせたかと思うと、まるで手品のようにその場から蒸発した。自動車や人間たちも同じ末路を一緒に辿っていくのを見ると、胸が痛くなる。
――蒸発した人たちは助かるんだろうか……。
少し不安になった。
「じっとしていても始まらない」、と俺は声を張り上げた。
「ナギサ、お前の水源能で、この辺り一帯を水浸しにさせてくれ」
「え……」
なぜ、と首を傾げるナギサ。
「水に浸すことで、少しでも消失液が薄まるようにしてくれ」
「え……でも、その水も消されちゃうんじゃ……」
「大丈夫さ、液体が相手なんだから……それに、もしそうだとしても、水圧で食い止めるくらいのことはできるだろう?」
「ああ、そうね」
うんうん、と頷くナギサ。
「アタシは何をすればいい」
シュロムが訊ねた。
「シュロムは、鯨を感電させてくれ」
「……それは、ナギサが放った水流に電気を流して、アイツを倒すって事か?」
「いや、それは無理だ。第一、奴は地面だけは溶かさないから、電気を地上に流したところで、地下に潜っている奴には利かない」
「じゃあ、どうやって……」
「奴が呼吸をするために地上に出た瞬間を狙うんだ。そして奴が液体をばら撒いたそのとき、奴の噴水に雷を落としてくれ」
「‼ ――ああ、なるほど」
「電流は消失液を辿って奴の体内に流れ込むはずだ。――そして」
「私がやっつけるわけね?」
ナギサが微笑む。
「……ああ」
俺もそれに応え、静かに笑い返した。
「任せて」
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ナギサとシュロムはいつものように呼吸を整えると、銀色のカッターナイフを取り出し、刃を出した。
「「皇帝のものは皇帝に。――神のものは神に返しなさい……」」
ふたりは、息を揃えて台詞を唱えた。
「「お借りします――――神様」」
ジャキッ。
と、ふたりは同時に、自分の手首をカッターで切り付けた。
赤い液体が傷口からじわじわと溢れる。
見ているだけで痛そうだが、ふたりは平気な顔をしている。この《儀式》を今まで何度も経験してきた彼女たちにとっては、もううんざりなのだろう。
手首の血の雫を、地面に落とす。
何もない、コンクリートの地面。
そこに彼女たちの血潮が一滴垂れただけで、
波紋のように広がっていく、――模様。
「「変身」」
その言葉を発した、それだけで。
地面に描かれた波紋は、魔法陣のように白く輝き、
その閃光は、彼女たちを包み込んだ。
『************!!!』
神が、語り掛ける。
彼女たちは、両手を合わせ、祈るだけ。
その光の筒の中で、ナギサとシュロムは、一瞬全裸になり、やがてその肌に《何か》が浮かび上がり、まとわりついた。原子や細胞が誕生したようにも見えた。
彼女たちは、祈り続ける。
やがて身体にベージュの《隊服》と《武器》が浮かび上がった。ナギサは銛で、シュロムは銅線だ。
やがて髪が光り始めた。毛先が浮き上がり、徐々に白みがかってくる。やがてナギサは群青、シュロムは山吹色。
閃光は、見えなくなった。
シュロムとナギサは祈りを捧げていた手を下げると、己の《武器》をしっかりと握り直した。
見ると瞳の色も髪と同じ色に変化していた。
こうしている間も、《レイニー・ホエール》の被害は拡大を続けていた。
「悪いな、いつも」
俺が毎度毎度の台詞を言う。
「いいんだよ、別にさ。あんたが悪いわけじゃないし」
ナギサもいつも通りだ。
「じゃあ、行くよ」
シュロムが振り向きざまに言った。
「おう」
ナギサが準備万端とばかりに指を鳴らす。
そうしてふたりは、屋上から跳んだ。
ブクマありがとうございました。
え?つけてない?
……まあいいさ、次に進むがいい。