遠雷
愛されるが故の苦しみを、君は知っているか。
『遠雷』
遠雷が響く夜中にそれは鳴った。まるで私を監視していたかのようにタイミングを見計らって。どきりとした、私は丁度それの近くにいたのだ。
「もしもし」
前半部分が掠れたのは喉の渇き故か、それとも焦り故か。そんな事は分かりようも知りようも無かった。ただ電話口の向こうから聞こえる、スーッスーッという息の渇いた音が酷く不気味であっただけだった。もう時計は重なり合う時間から二時間も越えていた。未だに電話口からは何も聞こえない。閃光が部屋に瞬く間に、私は電話に苛立ちをぶつけた。
「どなたですかっ」
より焦り、湿った声になったのは力を入れすぎたせいだろう。だらりと汗が首筋を伝う。
「あいしてる」
はっきりと、電話口の向こうからそう聞こえた。寒気や嫌悪感が一気に体を駆け巡る。受話器が大きな音を立てて戻される。呼吸が荒くなる。そしてまたそれが鳴る。今度は恐怖しか感じなかった。
一体何なの。
私は鳴り続けるそれを無視して寝室へ向かう。未だに耳にこびり付くスーッスーッという渇いた息。それとは反対に湿り続ける体。まるで耳元でそれを当てられているような、ぞくぞくする感覚。自然と足は速まっていた。
音を立ててベッドに倒れる。誰があんな電話を寄越したのだろうか。タチの悪い冗談にしてはやりすぎである。そしてそこで気付く、私はこんな時間に誰に電話を掛けようとしていたのだろうか。友人だったか、それとも田舎の両親だったか、それとも。
どうしても思い出せずに拳をぎゅっと握る。そして何かを忘れるように、目を閉じる。目蓋の裏は暗い。当たり前の筈なのに、黒の世界が非常に恐ろしい。遠雷も電話のコール音も、もう止んでいた。
くだらない。
うつ伏せになり、枕に顔を押し付ける。上から何かがぎしりと音を立てて乗った。否、乗っていない。私が乗った。
誰があんな事を。
電話が頭に浮かぶ、鮮明に遠雷の音が聞こえる。コールの音は聞こえない。思い出せば、何かが微妙に噛み合っていない。馬鹿らしくなって私はシーツにくるまる。それでも思考は止まない。渇いた音が耳元で聞こえる、それはシーツの擦れる音だった。
息を吐けば、枕によって湿って返ってくる温度。生々しさと憂いを帯びている。どこかで似た感覚を覚えた。どこかでかは覚えていない。
コールがまた遠くで鳴る、遠雷はどんどん遠ざかっていく。何故か心が締め付けられた。コールは鳴っている、私の耳に届いている。電話は寝室に子機がある。それは鳴っていない、親機だけが鳴っている。
ありえない。
リビングへと駆ける。違和感はこれだったのだろうか。私は鳴り続ける電話を再度持ち上げた。先同様にスーッスーッという渇いた音が聞こえる。よく聴けばそれは息の音ではない。どこかで聞いた。物が擦れる音。誰かの絶叫が木魂する。恐怖が恐怖で覆われてそれが膨らんでいく。大きくなったそれをあやす事は私には出来ない。
戻る事も逃げる事も出来なくなった私は立ちつくす。寝室への道の電気はいつ消したのだろうか。真っ暗なそこは口を大きく開けて待っている。そこへ行く勇気など、私にはもう無かった。遠雷が一際大きく鳴った。一瞬意識が飛ぶ。
「あなたがすきよ」
聞き覚えのある声だ。そう思った。ぼんやりと意識が還る。
妙に冷静になっていく頭。それとは反対に汗を掻き続ける体。まるで自分のではないみたいに言う事を聞いてはくれない。私は頭を抱える事も自分を抱き締める事も出来ずにいた。
スーッスーッと音がする。向こう側で湿った行為も聴こえてくる。もう理解出来ていた。頭の中のフィルターのせいで、音が鮮明に聞き取れていなかった。がさがさと鈍い擦れる音が、本当は聴こえていた。
いつ、一体いつ。
それはいつぞやの諸事。寂しさ故に重ねた回数すら、忘れてしまったような。そんな諸事。私の頭には盗聴器の三文字が踊り続けている。どこへ逃げればいいのかがまったく分からない。
それなのに未だに違和感が頭にこびりついている。何が差異をもたらしているのか、私には見当もつかない。
受話器を強引に置く。静寂が部屋を包んでくれる筈だった。部屋の中には誰かがいるような温い空気が流れている。それは頬から手から、全身の皮膚から私の頭に警鐘を鳴らす。
逃げられない。そう直感する。
私は覚束無い足取りで、シンクへと向かう。コップへ水を注ぐ手が震えた。そこへ誰かがそっと手を添える。ある筈の無いの手が、そこに見えた。絶叫が木魂する。誰かが来るかもしれないだなんて、今の私には考えが追いつかない事だった。
絶叫がわんわんと鳴る。またどこかが詰まる。コップは落ちてはいない、震えながらも持ったそれからは水がぼとぼとと零れている。なのに床は濡れない。誰かが拭いたかのように、綺麗なままだ。
飲む気になれず、そのままシンクの内側へそれを置いた。頭が揺れる。ソファーに倒れこむ。
助けて。とそれだけを渇望する頭が働く。どうしようも無い恐怖と違和感。部屋にいる存在。全てが何かおかしかった。
立ち上がり、手が電話へと伸びる。コールは鳴らない。安心して受話器を上げる。親の声が聞きたい。純粋にそう思い、ボタンを押す。耳に受話器を当てると、遠雷が響いた。
コール音が聞こえない。私は急いで耳から受話器を離す。よく見ればどこからも光を発していない。ただの塊だった。
停電?
違うと一蹴する、リビングにはしっかりと電気が点いている。ならどうしてだ、と心で叫ぶ。
そして、また渇いた音が聴こえる。湿った声も聞こえる。コールは鳴らない。手を電話へ伸ばす。そこで気付いた。この状況に覚えがあった。電話の近くに佇む自分と、鳴り響く遠雷。聞こえる不気味な音。正確には聞こえている気がする音。
誰がいる、誰かがいる。私は受話器に触れる。遠雷が鳴る。あいしていると私の口が動く。意識が底へと沈んでいく。諸事がまどろむ意識の中聴こえる。私の声だけが聴こえる。
私以外に、誰も部屋にはいない。
fin.
某企画の開催期間はネット上にいない。参加したかったなあ作品。
誤字脱字、矛盾の為改訂……ちゃんと書いてから上げます。今度から(反省
一時間……短い時間という事は荒さが目立つだけですよね、すみません。
纏まりが悪い文章となりました。
あ、此処では初めてのR15です。
愛するのは良いのですが、程々に。世界が酷く狭く感じられるお話になりました。
タグを見ると、この訳の分からん話が少しだけ分かります←
では、失礼。




