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08:とある困惑

 次の町が見えてきたころ、スタッグの「止まれ」という号令で聖女の一行はゆっくりとその足を止めた。

 一行を止めたスタッグは騎士団員に「もうすぐ町に着く、みだしなみを整えろ」と通知をすると、次いでアルカの名を呼んだ。



「アルカ、気分はどうだ?」

「はい、おかげさまで大分良くなりました」



 アルカがそう答えるとスタッグは「そうか」と言う。



「では、すまないが一度馬車へ戻ってくれるか」



 その言葉の理由がもうすぐ町に着くからだと理解すればアルカはすぐに「わかりました」と返事を返し、再びスタッグの手を借りてなんとか馬を降りた。

 そうしてスタッグの手からアルカの手が離れようとした瞬間、アルカはふと動きを止めてしまう。それからなぜだか、離れようとしていたスタッグの手をぎゅっと握った。

 スタッグが小さく息をのむ音が聞こえ、アルカははっと我に返ると慌ててスタッグの手を離す。そしてすぐに「すみません」と言うと、その場から逃げ出すように聖女の待つ馬車へと戻っていくのだった。


――なにやってるんだ、私


 その短い道中に、アルカは心の中で自らを叱る。

 しかしああした理由は自分でもわからず、アルカは自らを叱る反面で、自らに対して困惑もしていた。なぜ名残惜しいというように、スタッグの手をぎゅうと握ってしまったのか……。

 困惑するアルカに追い打ちをかけるように手にはスタッグが触れた温もりがよみがえり、何とも言えない感情にアルカは思わずぎゅうと拳を握りしめた。


 戻った馬車でアルカを出迎えたのは、聖女が自分の名前を呼ぶ声だった。



「アルカ、もう平気なの?」

「はい、ご心配をおかけしまして、すみません」

「ううん、心配したのは事実だけれど、謝る必要は無いわ」

「聖女様……ありがとう、ございます」



 聖女の言葉に戸惑いつつアルカがそうお礼の言葉を告げれば、聖女はふわりとした笑みをその顔に浮かべる。その屈託のない笑みはアルカの心にじわりと沁みて、抱えていた困惑をひと時の間忘れさせてしまうようだった。






 小さな町の教会前の広場は多くの人で賑わっていた。そこに聖女を乗せた馬車が現れると、聖女の来訪を歓迎する声があちらこちらからあがって広場を包み込む。その歓声は首都を出発した時のものにも劣らず、この小さな町でも聖女が人々から愛される存在であることがわかるようだ。

 そうして停まった馬車の中から現れた聖女を出迎えたのは、より一層沸き立つ歓声と、一人の老齢の男性だった。身にまとうゆったりとした薄青のローブは教会の主たる証である。



「こんにちは、司祭」



 聖女が彼に向けてそう言うと、司祭は恭しく頭を下げた。それから司祭は聖女の来訪について感謝の言葉を述べ、「では」と言い教会の中へと促す。聖女はそれに頷くと一度群集の方を振り返り、にこやかな笑顔で手を振った。

 そうして再び湧き上がった歓声を背に、聖女はスタッグとアルカを連れて教会の中へと歩いていくのだった。



 日差しの差し込む礼拝堂で、初代の聖女をかたどった石像の前に膝をついた聖女が祈りを捧げる。

 その光景は息をのむほどに美しく、尚且つ、息をするのもはばかられるほどに神聖であった。

 アルカはまさに神聖である聖女の姿から目を離すことが出来ず、じっとその姿を見つめていた。その姿には昨日見たスタッグをからかう聖女の面影は無く、また馬車の中でアルカを質問攻めにした姿ともまったく違う。そこにあるのは、最も神聖な存在である聖女の姿そのものである。

 しかしその姿を前にして、アルカの心に困惑は無かった。神聖さの欠片も見受けられない無邪気な姿も、こうして祈りを捧げる神聖さしか見えない姿も、どちらも聖女の真の姿である。アルカがそう受け止めることができたのは、わずかな時間ながらも聖女と同じ空間で同じ時を過ごし、言葉を交わしたからだったかもしれない。

 そうさせる力が、聖女にはある。いや、そういう力があるからこそ、聖女と呼ばれるのだろう。

 そして、だからこそ人々は聖女を慕い、時にはその姿に涙を流すのだ。

 聖女の姿を見つめるアルカもまたこの場では、涙こそ流しはしないが、確かに聖女を慕う一人であった。



「それじゃあ少し休ませてもらったら、町に出ましょうか」



 祈りを終えた聖女がそう言うと、司祭は頷いて「ではこちらへ」と聖女を促した。先導する司祭について聖女が歩き出すと、スタッグが並走するようにその横につく。アルカは聖女の後ろを歩き、前を歩く三人の背中を追った。

 とりわけ視線がいくのはなぜかスタッグの背中で、見ているとその背中がふと立ち止まる。

 それは、聖女が足を止めたからだった。聖女に腕をぽんぽんと叩かれたスタッグは耳を貸すように言われたようで、腰を折ってその頭を聖女へ近づける。スタッグの耳元へ顔を近づけた聖女はその口元を隠し、ひそひそと何かを告げたようだ。


 その光景に、アルカは何か気持ちがもやりとするのを感じた。

 それに気が付いた一瞬の後、アルカを襲った感情は、困惑、である。それは、町に入る前にアルカを襲った困惑に似ていた。いや、似ているのではなく、それはその困惑そのものである。聖女の笑顔でひと時の間忘れたと思っていただけで、それがアルカの中で急激に鎌首をもたげたのだ。

 そのきっかけはたった今アルカが目にした光景であることは明白だが、いったいその光景の何が原因なのか、その困惑が何者なのか、それはまったくわからない。ただ確かなことは胸のあたりがもやりとして、少しだけ苦しくなるということか。

 そのもやりは、案内された部屋で出されたミントの香る清涼感溢れた水を飲んでも晴れることは無く、アルカはただ時々スタッグの方を見やり、心臓のあたりをきゅっと掴んでみる事しかできなかった。







 町に出た聖女が向かったのは、露店の並ぶ市場だった。

 スタッグをはじめとした何人かの騎士団が聖女の周りを固めてはいるが、市場を歩く聖女とそれを歓迎する露天商や町民との間に壁はほとんど感じられない。聖女のすぐ傍を歩くアルカにはそれがとりわけ良くわかるのだった。



「だいぶたくさん育ったのね」



 とは、色とりどりの野菜が並ぶ露店の前で足を止めた聖女の言葉である。その言葉に露店の店主がにこやかに「ええ」と返した。



「騎士団の皆さんが、畑の回復に尽力してくださったおかげです」

「そうね、けれど作物がここまで育ったのはあなたたちが愛情を込めてお世話をしたおかげだわ」



 そう言って聖女がイモやキャベツといった野菜を愛しげに眺めるのは、ほんの一年前はそれらがここに並んではいなかったためである。

 一年前は各地で災害が多く発生した。この町もまた、大雨による土砂災害に見舞われたのである。畑は土砂によって覆われ、収穫を待っていた作物は商品としてだけではなく、食材としての命も断たれてしまった。

 土砂に覆われた畑もまた畑としての命を絶たれようとしていたが、聖女の被災地巡行とともに訪れた騎士団が土壌の回復に尽力し、なんとかその命をつなぎとめたのだ。その畑で育まれた作物が、こうして目の前にある。それは、つなぎとめた命が無事にその営みを続け、新たに命を育んだ証だった。

 聖女と店主の会話を聞いていたアルカがスタッグの方をちらりと見やると、スタッグもまた露店に並ぶ野菜をじっと見つめていた。こうして自分が尽力した成果が形となって表れているのは嬉しいのだろう。微笑みこそ無いものの、その眉間がすっかり和らいでいることから察することが出来る。



「聖女様、そちらのほうでこのイモを焼いて売っていますから、ぜひ食べていってください」



 店主がそう言うと、聖女はぱっと表情を明るくして「まあ!」と声をあげた。それから「ぜひいただくわ」と言うとくるりと方向を変え、店主が指した方向へ走り出そうとして……



「わっ」



 わずかな石畳の段差につまずいたのか、聖女の体がつんのめる。

 思わずアルカが「あっ」と声をあげて聖女の腕に手を伸ばしたが、それよりもはやく動いたスタッグがその体をがしりと受け止めた。



「聖女様、気を付けてください」

「ごめんなさいスタッグ、ありがとう」



 聖女が自分を受け止めたスタッグの腕に手をかけ、その目をじっと見つめてそう言う。その表情は少し恥ずかしげで、なんとも愛らしいではないか。心なしかスタッグの聖女に向ける目もどこか優しいように見える。

 その光景に、アルカは心の中であっと声をあげた。

 まただ。また胸のあたりで、何かもやりとした。しかしなぜなのか、何に起因しているのか、理由はまったくわからない。ただ確からしいのは、スタッグが関係しているということ。

 そしてその困惑が襲ったとき、ただただ、きゅっと心臓のあたりを掴んでみることしか出来ないのだということだった。








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