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07:馬車に揺られて

 首都を出発した馬車はガタガタと音を立てて、山道を走っていた。

 最も神聖な存在を乗せるこの馬車はそれに見合った豪華さを誇っているとは言えず、その外見も中身も通常の乗合馬車より『少し良い』といった程度だ。その『少し良い』のも具体的に言えば華美や絢爛といったことではなく、内部が十分に広く、作りが頑丈であるということにおいてである。

 それでも最も神聖な存在でありその愛らしさでも人々を魅了する聖女が、縁にレースをあしらったクッションをいくつか敷き詰めたその座席にちょこんと収まれば、それは『少し良い』程度の馬車ではなくまさに聖女のための乗り物になるのだ。これこそまさに聖女の威徳のなせるわざ。


 しかしながらアルカはそれに感動を覚える暇はまったく無かった。

 なぜなら首都を出発して以来、聖女から次々くり出される質問の雨に打たれまくっていたからだ。



「アルカってば、趣味まで薬に関することなのね」



 とは、休日には何をしているのかと聞かれたアルカが「趣味の薬草採集とか、漢方屋めぐりですかねえ」と答えたことに対する聖女の感想である。

 その声色は呆れたというようでもからかうというようでも無く、ただ素直に感嘆したといったようだ。



「それじゃあ次は……アルカが、スタッグと知り合ったきっかけはなあに?」

「えっ」



 聖女の言葉に、アルカは思わず驚いたように声を出した。

 今までずっとアルカの事ばかり聞いてきた聖女の口から、突然スタッグの名前が出たことに驚いたのだ。しかし目の前の聖女はアルカが驚いた様子など気にした様子も無く、一体何を期待しているのかわくわくして答えを待っている。

 そうなるといつまでも驚いてはいられず、アルカは「ええっと」と言いながら視線を伏せて、ぽつりぽつりと話し始めるのだった。




「きっかけ、は、私が騎士団の医務部に配属された、一年前のことですかね」



 それは、アルカが左遷されたと思い込んで落ち込んでいた頃のことだった。


 騎士団医務部はその名の通り、騎士団における医療的な仕事を担う部署である。その構成は騎士団の四つある各部隊から選出された数十人による。彼らの全てが己の所属する部隊と兼任する形であり、医務部の仕事を専門に行う団員は存在していなかった。

 そこへ医務部長として迎えられたのが、アルカだ。

 アルカには薬師として毒薬の研究という仕事もあったが、医務部長として医務室に常駐し、かつ医務部に所属する団員をとりまとめるという責任も課されていたのである。


 一方でスタッグ率いる騎士団第三部隊は、聖女の巡行に関する任務を担う部隊である。巡行の計画作成や警護等はもちろんだが、巡行の際に通る道の整備や管理も第三部隊の仕事だった。巡行路に倒木があれば行ってその木を撤去し、土砂崩れがあれば行ってその土を撤去する。何も無くとも行って定期的な点検は欠かさない。第三部隊の活動はそうした肉体労働のもとに成り立っているのだった。

 そして、そうした肉体労働には疲労や怪我がつきものだ。それに対応するのが、医務部の仕事である。

 アルカとスタッグの接点は、ここにあった。



「医務室に怪我人を運んできたのがスタッグ隊長だったんですけど、スタッグ隊長、怪我人よりひどい顔をしてるんですよ」



 アルカがそう言えばスタッグの怪我人よりもひどい顔が想像できたのか、聖女が「ああ……」と眉根を寄せた。次いで「ひどい顔だったものね」と相槌をうつ。

 その年はいつになく災害が多発した年で、第三部隊は巡行路の復旧や、聖女の被災地巡行の計画作成にと大忙しであった。質実剛健、真面目を絵に描いたようなスタッグは隊長としての責任感からかその全てを自らで指揮を執り、日々寝る間も惜しんで働いていたのだという。

 ちなみに運び込まれた怪我人のうちの一人がバックである。怪我人にも関わらずへらへらとして「いやあ、一度は処置される側になってみるもんすね」などと言っていたから、きっとその対比もスタッグの顔を酷く見せた原因だろう。



「あなたの方が酷い顔をしているから休んでいけって言っても聞いてくれなくて、仕方がないので薬草や漢方で栄養ドリンクを調合して、半ば押し付けるように渡したのが始まりだったんだと思います」



 アルカの言ったことに聖女が「そうだったの」と言う声が聞こえる。



「それから、どうなったの?」

「ええと、それからも放ってはおけなくて、定期的に栄養ドリンクを押し付けてたんです。そしたらスタッグ隊長の方から医務室を訪れるようになってくれて、それからまあ、親しくさせてもらってるん、ですかね」

「放っておけなかったのは、どうして?」



 聖女は続いて、そう聞いた。その言葉にアルカは思わず「どうして?」と繰り返すと、少しの間考え込んだ。

 医務部長として、疲労困憊の様相を呈するスタッグを放っておけないのは当然のことである。しかし本当に、それだけだっただろうか。聖女に『どうして』かと問われ、アルカはなぜだかそう思ってしまったのだった。



「……スタッグ隊長のような人は、初めてで」



 ようやくアルカがそう言葉を発すると、聖女は「うんうん」と言う。アルカは目を伏せていてその顔を見てはいなかったが、聖女は何か期待に満ちた表情をしていた。



「人の上に立つ人で、あんな人は、見たことが無かったんです」



 初めてスタッグと言葉を交わしたあの日、アルカはとても驚いたのだった。

 医務室に幾人かの怪我人を運び込んできた、目の下に濃いクマを作って疲労困憊といった体のスタッグ。驚いたのはもちろんそのひどい顔にもだったが、それよりもスタッグが言った言葉に対してだった。

『俺の事はいいから、部下を早く診てやってくれ。』

 アルカがその酷い顔を指摘して休むよう言うと、スタッグは首を横に振ってそう言ったのだ。



「すごく真面目で、責任感が強くて自分に厳しい人」



 アルカはすぐに次の仕事に向おうとするスタッグを必死で引き留め、なんとか少し待ってもらうことに成功すると急いで薬草や漢方で栄養ドリンクを調合してスタッグに押し付けた。スタッグは驚きや困惑に目を白黒させていたが、アルカが強引に栄養ドリンクの入った小瓶を握らせると観念したようにそれを受け取ったのだった。

 そうしてスタッグを見送った後、彼の部下にアルカが言われたことは「ありがとうございます」という感謝の言葉である。――ちなみに実際は感謝の言葉はかなり激しく、「ありがとうございますう!」やら「隊長の命の恩人です!」やら、暑苦しさすら感じる熱量だった――



「それに、部下にもちゃんと慕われてる、そんな人は見たことが無くて、だからそういう人が疲労を溜めこんでいるのは、見ていられなくて、なんというか、財産のような人ですから」



 話しながら、アルカは己の中に何か得体の知れない感情が湧き上がっているような気がしていた。

 胸のあたりで何か渦を巻くような、ぐるぐるとした感情。いいや、ぐるぐるとしているのはもう少し下のあたりだろうか。そこからぐるぐるとした何かが湧き上がって、こみあげてくるような……。



「だから、無理している姿から目が離せないというか、そんなスタッグ隊長が……気持ち悪い」

「えっ? きゃあ! アルカったらなんて顔色をしてるの! まるで全盛期のスタッグみたいよ!」

「マジですか……それはひどい……う、気持ち悪い」

「気をしっかりアルカ! スタッグ! スタッグ止まって!」



 聖女が慌てて馬車を止めるよう呼びかけると、スタッグが『止まれ!』と号令をかける声がして馬車が止まった。馬車が止まると聖女はアルカの隣に駆け寄り、その背中に労わるように手を添える。聖女がそうしたのとほぼ同時に、馬車の扉が勢いよく開かれてスタッグが飛び込んできた。



「聖女様、どうされ……アルカ!」

「ああスタッグ、アルカがひどく酔ってしまって……外へ出してあげてちょうだい」

「はい……アルカ、こっちに」



 スタッグがそう言い、アルカに向かって手を差し伸べる。正直襲い来る気持ち悪さに立ち上がるのも辛いほどだが、聖女の言うとおり外へ出た方がいいだろう。聖女が優しく背中を押す手にも促されて、アルカはなんとか力を振り絞って立ち上がるとスタッグの方へと歩み寄り、その手を取って馬車を降りるのだった。





 馬車を降りてもやはり足にはうまく力が入らず、アルカはスタッグの手を借りてようやく立っている状況であった。

 うかつだった。下を向いていると馬車酔いしやすいと、どこかで聞きかじったそんな知識は一応あったというのに。いやむしろ、聞きかじった程度の知識だったせいか。



「うおえっぷ……すみません……」



 申し訳なさにアルカが必死に謝罪の言葉を告げれば、スタッグは「いや、気にするな」と首を横に振る。



「馬車に慣れていないのなら、酔うのも仕方がない。それに、こうも己を頼ってくれる小さな柔らかい手を堪能出来るのも馬車酔いのおかげだと思えば苦ではない、ああ、少し汗ばんでいるな」

「スタッグたいちょうおえっぷ」



 続いて吐き気交じりにアルカが必死に制止の言葉を告げれば、スタッグは「……すまない」と首を深く前に垂れる。



「……その、まあ、しかし、休むにしてもここで立ち止まるよりも、この先の町まで行って休んだ方がいいだろう」

「そうですね……うえぷ」

「そうだな……それなら、俺の馬に乗るといい」



 スタッグはそう言うと、馬車の窓から顔を出していた聖女に「ひとまず、俺の馬に乗せて次の町まで向かうことにします」と告げた。報告を受けた聖女は「そうしてあげてちょうだい」と返し、心配そうな表情を残したまま馬車の中に戻っていく。

 その会話を聞いていたアルカはスタッグに手を引かれるままに歩きだした。そうしてスタッグの手を借りながら、よじのぼるようにしてなんとか馬の背にまたがる。

 直後にスタッグがひらりと背側に乗った気配がしたと思うと手綱を握るよう言われ、それに従ったアルカの手が、スタッグの手に握られた。



「アルカ、馬が進む方向に集中していろ」



 スタッグの声が聞こえ、アルカは前を向く。馬車の中では見えなかった景色が広がり、思わず大きく息をした。肺の中に清涼な空気が取り込まれると、わずかながら気分が良くなっていくようである。

 スタッグが足で馬の腹を押すと、馬がゆっくりと歩きだす。ふわりと過ぎた風はその滑らかな体で、アルカの頬を撫でて去って行くのだった。








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