05:鍛錬場にて
聖女の部屋を後にして、アルカとスタッグは騎士団の鍛錬場を訪れていた。
その目的は、バックが帰りにでも寄って持っていってくれと言った明日からの巡行警護のローテーション表だ。バックの言った通りそれは鍛錬場の入口に置かれていて早々に目的を済ますことは出来たのだが、せっかくだからとスタッグはアルカに断って鍛錬場の中に足を踏み入れていたのである。
騎士団の鍛錬場は半分が地下に埋まった建物で、入口のある地上はこれから鍛錬を始める団員や鍛錬を終えて仕事や家に戻る団員の、いわば更衣室のような場所になっていた。騎士団の施設は国によっていわゆる福利厚生がしっかりとなされていて、更衣室にはシャワーの他に湯船も用意されている。そのためスタッグに気付いて挨拶をする団員の中には、腰にタオルを巻いただけの姿をした団員もいるのだった。皆、その直後に慌てて着替えようとしている。
その光景にアルカが呆れて視線をそらし、スタッグがみっともない……と眉間にしわを寄せていると、そのうちの一人がアルカとスタッグに気が付いて駆け寄ってきた。
……バックだ。
「あれ隊長、また医務部長と一緒っすか?」
腰に巻いたタオルの裾を翻し、駆け寄ってきた後の第一声がそれである。直後に思い出したように「あ、お疲れ様です」と言ったが、本来ならそれが先に来るべきだろう。
しかしやはり今更それをきつく叱る気も無いスタッグは呆れたように息をつくと、ただ一言「服を着ろ」とだけ言うのだった。バックは第一声に返事をもらえず不満そうな顔をしたが、スタッグのもっともな指摘に「へえい」と返事をすると渋々といったように退散していった。
その背中をスタッグが呆れた視線で見送り、再び歩き出すとすぐに新たな声がかけられた。今度はしっかりと鍛錬着に身を包んだ団員で、四人ほど居る。
「お疲れ様です隊長、あの、これから鍛錬されますか? されるのでしたら、稽古をつけて頂きたいんです」
団員の言葉に、スタッグはアルカの方を少しだけ振り返って「いいか?」と聞いた。そうしてアルカから「はい、どうぞ」という返事を貰うと、スタッグは再び四人の団員に向き直る。
「わかった、用意をするから先に降りていろ」
スタッグがそう言うと、四人の団員は元気よく「はい!」と返事をしてから口々に「失礼します」と言って去って行った。
その背中を見送ったスタッグはまたアルカを少しだけ振り返ると「すまないな」と言う。
「いいえ、私も隊長が体を動かした時の影響が見られるので、助かります」
「……そうか」
帰ってきたアルカの声に頼もしさを感じればスタッグはアルカの顔を見るわけには行かず、そう言葉を返すとさっさと歩きはじめるのだった。
この建物の半分地下に埋まった場所。地上とはがらりと雰囲気を変えたその場所こそが、この鍛錬場の真の姿である。石造りの壁はところどころ黒ずみ、その全てが団員の汗と涙とその他もろもろが染みこんだ跡だと思うと鍛錬の激しさがうかがえるようだ。染みの中には手形に見えるようなものさえある。
鍛錬場の開放時間はそろそろ終わりに近づいたころで、そこに残るのは先ほどスタッグに声をかけてきた四人のみだった。四人は声と剣戟の音をあげて鍛錬をしていたが、スタッグが入って来るのに気が付くとすぐに駆け寄ってくる。
「隊長! よろしくお願いします!」
気合いの入った声をあげる四人に、スタッグは「ああ」と返事をした。
「では、一人ずつかかってこい」
スタッグがそう言い、鍛錬所の中央の方へ移動して稽古が始まる。
アルカは途中までその後を追い、それからスタッグとの距離を測るように移動を始めた。あまり近づき過ぎず、しかしまずはスタッグの視線に入る、かつその表情を確認できる位置へ。
さっそく最初の一人と打ち合いを始めたスタッグが、先ほどまでとはうって変わって厳しい表情をしているのが見える。その目と視線が合うことは無く、どうやら集中できているようだとアルカはひとまず胸を撫でおろした。
それからアルカは徐々にスタッグとの距離を広めるが、スタッグの動きに鈍さは無いように見える。しかしまああくまで素人目なので、後でスタッグにきちんと感想を聞かなければいけないなと考えつつ、アルカは更に移動していく。
木剣同士がぶつかる音、そして弾き飛ばされる音。更には人が地面に倒れる音がしたと思うとすかさずスタッグの「次!」という号令が響く。それに呼応するのは四人の団員の力強い「はい!」という返事だ。なんと気持ちがいい光景だろうか。……まあ、同時に男臭くもあるがそれはそれとして。
「……すごいなあ、騎士団は」
思わずため息交じりにそうつぶやく。
隊長を尊敬し教えを乞う団員たち。それを厳しくも優しく包み込む隊長。隊長たるスタッグは誰よりも責任感を強く持ち、誰よりもしっかりと仕事をこなす。そんなスタッグであるから、周囲もまた彼を慕い、目標とするのだ。
……やはり軍の研究所とは、大違いだ。
そう思う心は、少しだけアルカの心を締め付けた。
スタッグが「よし、ここまでだ」と言う声が鍛錬場に響く。
次いで団員が口々に「ありがとうございます」と言う声がした。そんな彼らにスタッグは解散とは言わず、「お前たち」と呼びかけるのだった。
「すまないが、最後に俺の稽古に付き合ってくれないか」
四人の顔を見回して言ったスタッグの言葉に、彼らは間を置かず「はい!」や「光栄です!」との返事を口々に返した。
アルカがその様子をスタッグの後方から見ていると、スタッグが突然こちらを振り向く。その迷いの無さは、まるでアルカがここにいると把握していたようではないか。少し驚いたような顔をするアルカに、スタッグは「アルカ」と呼びかけた。
「そこの木箱を持って、こっちに来てくれ」
次いで言われた指示に、アルカはまた驚く。しかしスタッグを待たせるわけにはいかない。アルカは指示に従ってそこにあった木箱を一つ両手で持ち上げると、スタッグの方へと歩いていった。
スタッグの元へたどり着くと、次に木箱を置いてそこに座るよう指示される。やはり指示の意図はわからなかったが、アルカは続いてそれにも従った。
そうして木箱に座ったアルカの前に、木剣を構えたスタッグが背を向けて立った。
「さあ、俺から警護対象を奪ってみせろ」
スタッグが四人の団員に向って言った言葉に、アルカはやっとスタッグの指示の意図を理解した。
なるほどこれは、まさにスタッグの稽古である。いいや、もしかするとスタッグの稽古はもっと前から始まっていて、稽古をつけている最中、移動するアルカの位置をずっと把握していたのかもしれない。だから迷いなく、後方に居たアルカを振り返ったのだ。
そして今から行われるこれを含め、それらは明日からの巡行のための稽古なのである。
スタッグの「来い!」という号令を合図に、一人がスタッグに向かっていく。カン!と木剣同士が高い音を立ててぶつかり合った。
「何をしている、全員で来い! 賊は一人とは限らないだろう!」
スタッグが檄を飛ばし、それに決起した他の団員が一呼吸の後一斉にスタッグへ向かう。
時に互いへの目配せで連携を図りつつスタッグに挑み続ける四人は、もはや『警護対象を奪ってみせろ』というスタッグの言葉は忘れているようだ。それともスタッグに挑みつつ警護対象であるアルカを奪う隙を狙っているが、その隙を見つけられないのか。ただの警護対象であるアルカに、それはわかるはずもなかった。
いいや、しかし、とアルカはふと思い直す。
本来なら明日からの巡行での警護対象は、聖女である。そしてアルカはその聖女の傍にいることを義務付られているのだから、いざという時の最期の砦はもしかすると、自分自身ではないのだろうか。それに、今は稽古であるから木剣を使っているが、実践ではそれは鉄製の剣になるのだ。そうなると剣戟の音は更に激しくなり、その場の緊張感はこの場の比では無いだろう。それはきっと、『恐怖』と言い換えることの出来るほどのものに違いない。その時、自分は聖女様を守れるように動けるようでいなければ。
そう気を引き締めたと同時に警戒心の感覚が研ぎ澄まされたのか、アルカは背後に気配を感じて振り返った。
剣を構えたバックと目が合う。
思わず「あ」と言ったのはどちらだっただろうか、あるいは両方か。しかしそんなことは考える間も無く、「あ」の一瞬の後に背筋がぞくりとする寒気が襲った。
それからのことは、瞬間的だった。
アルカの体がぐいと強い力で引っ張られたかと思うと、カン!という高い音がしてバックの握っていた木剣が弾き飛ばされる。
そして、間髪をいれずバックの喉元に木剣が突きつけられた。
「ひえっ」
というバックの悲鳴が上がり、反射的に両手を挙げる。
そしてアルカは、たくましい胸板と腕の間で押しつぶされて「ふぎゅう」と声をあげた。
「いや、ほら、賊に伏兵がいないとは限らないじゃないっすか、うん」
両手を挙げながら冷や汗をたらしてそう言い訳をするバックに、木剣を突きつけたスタッグは大きく息をつくと目を閉じて、さっと木剣を下ろした。
我に返ったのだ。
バックがこっそりと鍛錬場に忍び入り、こちらに近づいていることはわかっていた。しかしいざアルカが襲われようとしているのに気が付いた一瞬の記憶が無い。気が付けばバックの喉元に木剣を突きつけていて……。
「た、隊長、スタッグ隊長、苦しい……」
スタッグの腕が弱弱しい力でばしばしと叩かれる。いや、ぺちぺちといった表現の方がふさわしいだろうか。
どうやら記憶を失った一瞬の間に、アルカをぎゅうと腕の中に閉じ込めることもしてしまっていたらしい。その顔は腕と胸板の間にすっぽりと埋もれていて見えないが、苦しそうに訴えた声からしてきっと頬に赤みが差しているのだろう。加えて腕をぺちぺちと叩く姿は、不謹慎ながらも、まさに愛らしさの塊のようではないか……。
「スタッグ隊長! マジで死ぬ……!」
「はっ!」
先ほどよりも強い訴えの声があがり、スタッグがはっと我に返る。
慌てて腕の力を緩め、アルカを解放した。ぜえぜえと必死に肩で息をするアルカを見下ろし、スタッグは一段と深いしわをその眉間に刻むと
「すまない……!」
と、一段と重々しい謝罪の言葉を述べるのだった。