22:墓地の戦い
黒いベール越しに、スタッグの背中が見える。アルカは慣れない丈の服にその裾を踏んづけてしまわないよう、慎重に足を前に出した。聖女に扮したアルカの後ろを歩くのはバックと、そしてセンレンだ。
町はずれにある墓地は、まるで陰気やおどろおどろしいといったことはなく、午後の陽ざしに輝く芝生が美しい場所である。その爽やかさたるや、一見すると住民憩いの広場のようではないか。しかし青々とした芝生に転々と広がる墓石が、ここが住民憩いの広場などではなく、死者憩いの墓地であることを示している。
短く手入れのされた芝生をさくさくと踏みしめてアルカ扮する聖女の一行が向かうのは、東側にある慰霊碑だ。それは、かつてこの地が大変な災害に見舞われた際の犠牲者を悼むものである。それを別派をおびきだすのに利用する、というのはいささか不謹慎なことであるかもしれないが、聖女の為とどうか容赦してほしい。
周囲を警戒するようにゆっくりと歩を進め、一行は慰霊碑の前にたどり着いた。
慰霊碑のすぐ後ろには木が茂り、その葉が慰霊碑の石の肌を午後の日差しから守るように影を落としている。
スタッグがアルカを振り返り「聖女様」と呼びかけた。アルカはそれに小さくうなずくだけで返し、スタッグの前を過ぎて慰霊碑の前へと進んでいこうとして……
「おあっ!」
と、直後に襲った後ろへ引っ張られる衝撃に悲鳴をあげた。スタッグがアルカの腕を掴み、強い力で引っ張ったのだ。アルカの後頭部がスタッグの胸板に当たると、何事かと声をあげる間も無くその熱い腕の中に閉じ込められてしまう。
それと同時に聞こえたのは、岩が崩れ落ちるような大きな音だ。
アルカがスタッグの腕の中で「ひゃあ!」と声をあげる。
「気づいたか、やっぱりてめえは、厄介な奴だ」
次に聞こえたそれは、聞き慣れたものではなかった。しかし初めて聞くかといえばそうではなく、恐らく、聞いたことのある声だ。言い切ることが出来ないのは、それはアルカがもうろうとした意識の時に聞いた声であるからだった。
スタッグはアルカを腕に抱えたまま、慰霊碑のあった場所に立つその人間を厳しい表情でじっと見据える。その人間が立つ場所には石の破片が散らばっていた。それはつい先ほどまで、慰霊碑だった石だ。
「聖女をこちらに渡せ」
鋭い目の男がそう言うと、突風が吹いたように木々が揺れる音がした。そうして瞬く間に囲まれてしまう。しかしスタッグは動じることは無く、力強い瞳で男を睨み続けた。
「渡すわけが無い、と言えば、どうするつもりだ」
スタッグがそう言えば、男はふんと鼻を鳴らした。
「こちらの目的を告げるために一応言ってやっただけだ、渡そうが渡すまいがどうでもいい、こちらは力尽くで奪うだけだからな」
すら、と剣が鞘にすれる音がする。取り囲んだ敵が剣を抜く音。そして、アルカとスタッグの後ろにいる二人が剣を抜く音だ。
男が何か合図をしたのか、取り囲んだ敵が一斉に襲いかかろうとした、その時だ。
低い雄たけびが響き渡る。
取り囲んでいた敵が次々に悲鳴をあげ、倒れ伏していった。
彼らを取り押さえるのは、騎士団の制服に身を包んだ一団だ。飛び交う雄たけびと怒号に、アルカはスタッグの腕の中で息をのむ。それが聞こえたのか、スタッグの腕にぐっと力が入った。
そうして男を睨み付けるスタッグの背中を狙う剣先があった。
「おっと」
動き出そうとしたその腕が掴まれる。軽いかけ声とは裏腹に、腕を掴むその手の力は非常に強い。スタッグの背中を狙う剣を持った腕は、少しも動かすことが出来なかった。
「その剣を、誰に突き刺すつもりだ?」
そう言って強い瞳でこちらを睨みつけるバックに、センレンはひゅうと息をのんだ。
「俺さあ、応援の伝令を出したこと、うっかり全員に伝え忘れてたんだよな、それに気づいたのは、あいつが襲われたって知らせが入ったときだ、案の定隊長には怒られたよ」
「……お前は」
真面目な顔で自らの失態を告白するバックに、センレンは呆れて二の句が継げない。
「でもそれはつまり、応援の伝令を出したのを知ってたのは俺と隊長とあいつと、他に盗み聞きしてるやつが居なければ、あいつと組んで警備してたお前だけだったってことなんだよな」
バックが続けた言葉に、ぎりと奥歯をかみしめる。
呆れたというのはもちろんバックの失態にもだが、その実自分自身に対してだ。そういえば応援の伝令を出したと、全員集まっての通達は無かった。限られた人間しか知るはずの無い情報が流れたならば、疑われてしまうのは当然ではないか。そんなことにも考えが回らなかったのか、自分は。
「なあ、おふくろさんのためなんだろ?」
そう言ってセンレンをじっと見つめるバックの表情には、先ほどのような力強さは欠けていた。代わりに欠けた部分を埋めるのは、何かすがるような必死さだ。まるで、母親のためだと言ってくれと訴えているように。
バックにそう言われ、センレンは気まずげに目を伏せてしまう。そして、絞り出すような声で答えを返した。
「……もしも、本当に、聖女様に力が戻れば、おふくろの病気は治るかもしれない、俺には、俺たちには、もうそんなことにすがることしか、出来なかったんだよ」
「そんなに、悪かったのか」
バックがそう聞くが、返事は無い。
「言えよ、そういうのは」
「言って何になるんだよ、何も出来ねえだろ」
「そりゃあおふくろさんのことは何も出来ねえけど、お前がこんな事する前に止めることは出来た」
そう言った途端、センレンがひゅっと息を吸い込む音が聞こえた。
「……お前に、何がわかるんだよ!」
そうして顔を上げると、激しい形相でそう叫ぶ。
「おふくろのことで何も出来ないなら、何を話したって空しいだけだけなんだよ! 相談して何になるってんだ! 何にもならねえだろ! だったら! 根拠は無くても救いがある、別派の話にすがるしかないんだよ!」
悲痛な叫びをあげる姿を、バックは目をそらさずにじっと見つめていた。いつになく真面目なその表情は驚いたようでも無ければ、同情したようでもない。バックは荒い呼吸を繰り返すセンレンの腕から、ゆっくりと手を離した。
驚いたような顔をするセンレンに向って、バックはその口を開く。
「わかった。お前がそこまで本気なら、俺を刺してからいけよ」
カシャン、と音がした。バックが剣を捨てたのだ。そうして刀身を踏みつける。
「本気なら俺を刺して、隊長を刺して、それで聖女様を奪ってみせろよ! お前にそんだけの覚悟があるなら俺は! お前を裏切り者とは呼ばない!」
バックが激しい語調でそう怒鳴りつけると、センレンの構えた剣の切っ先が揺れた。ずっと構えていた腕が疲れたからではない。そう、わかっていた。
だからこそ震える剣は、その手を離れて地面へと吸い込まれていくのだった。
鋭い目の男は、味方が次々捉えられていく様を見渡すとチッと舌打ちをした。そして忌々しげな表情で「そういうことか」とつぶやく。
それでも短刀を構えたその姿に焦りは見えず、スタッグは警戒するようにその姿をじっと睨み付けていた。聖女の姿をしたアルカはまだ腕の中だ。
「まあ、だが、あれらが捕まろうがどうでもいい」
男はそう言うとその鋭い目をスタッグに向け、ゆらりと短刀を動かした。
「てめえを始末して聖女を貰う、目的はそれだけだ」
次いで男はスタッグに向って「抜けよ」と言う。何をとは言うまでも無い、剣を抜けと言っているのだ。不意打ちも可能なこの状況でわざわざそう言って寄越すとは、よほど腕に自信があるのか。それともこちらを挑発しているのか。あるいはその両方かもしれない。
いずれにせよスタッグが剣を抜かない理由は無かった。アルカを抱いていた腕を慎重に外し、アルカを自身の背中へやる。そうして剣に手をかけると、すらりと鞘から抜いた。
構えた途端、スタッグの目の前で火花が散った。
男が弾丸のようにスタッグの間合いに飛び込んできたのだ。受け止めたその短剣は、予想以上に重い。スタッグはぐっと力を溜め、かけ声と共に剣を握った手を思い切り前へと突き出す。そうして押し負けた男がバランスを崩したのを、スタッグは決して見逃さない。
ひゅ、と風を切る音がするほどに素早く剣を突き出す。男の足を狙ったその剣先は狙い通りに男の足を切り裂いた。しかしスタッグは悔しげに顔をゆがめる。本当に狙い通りならば、男の足を突き刺したはずだったのだ。
次の手を考える間も無く短刀が迫るのが見え、スタッグはすぐに剣を己の前に構えた。金属同士がぶつかる高い音が鳴り、衝撃が剣を伝って手に伝わる。受け止めた短剣はやはり重い。いったいどこからその力が出て来るのか。それにこの素早い動き、一瞬たりとも気が抜けない。これでは、背中にかばったアルカを気に掛けることも出来ないではないか……。
男と剣戟を繰り広げるスタッグの背中を見つめ、アルカはただそこに立ち尽くすことしか出来ないでいた。
スタッグの傍を離れることは出来ない。しかしこの場に居てもアルカが出来ることは、何も出来ないのだ。ただ心配そうにスタッグの背中を見つめていると、誰かが肩に触れた。
「聖女様、こちらに」
それは、聖女の身を案じた一人の団員だった。肩を後ろへと引かれこの場を離れるよう促される。
「え、でも」
咄嗟に声が出てしまい、アルカは慌てて口を閉じる。幸い団員が声が違うということに気付くことは無かった。しかし彼はアルカの体を引くことをやめない。アルカが戸惑いながらもそれに抵抗していると、ふとその手がぴたりと止まる。
そうして、小さく囁くような声が聞こえた。
「……聖女様、すみません」
それにえっと反応する間も無く、アルカを衝撃が襲った。




