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17:闖入者

 時間いっぱいに町を歩いて回った聖女は盛大な見送りを受け、次の町へと向かった。

 聖女が巡行の際に使う道はいくつかあり、その全ては騎士団第三部隊によって管理されている。ひとつの町からひとつの町へ向かう道はいくつか用意されていて、それらは状況によって使い分けられているのだ。例えば、ひとつの道が土砂崩れ等で使えなくなった場合、もうひとつの道を利用する。そういう時のために、道はいつでも使えるように整備されていた。

 山道を進む馬車は道が整備されているおかげで酷い揺れではなかった。それでも平地よりは起伏のある道を進む馬車はガタガタと音を立てて揺れながら進んでいく。

 事前に酔い止めを飲んで馬車酔い対策はばっちりなアルカの向かいでは、酔い止めも必要とせずにけろりとした聖女が今日もアルカに話しかけるのだった。



「さっきの兄妹は、本当に微笑ましかったわね」



 聖女がにこやかにそう言い、アルカも笑みを浮かべて「はい」と返す。



「まるで小さい頃のわたしとスタッグを見ているようだったわ」



 聖女がそう語る兄妹とは、先ほどの町で出会った幼い兄と妹の事だった。

 聖女が教会で朝食と祈りを終え町の中を歩いて回っていると、せいじょさま、と舌足らずな声で聖女を呼び駆け寄ってきた一人の小さな女の子がいたのだ。それを追って現れたのは、慌てた様子の兄だった。どうやら人ごみの中で妹とはぐれてしまったらしい。自分の手を離してはだめだと言っただろう、と妹を叱る兄を聖女が優しくたしなめたのだった。

 それから聖女が兄の膝に巻かれた包帯を見つけてどうしたのかと聞くと、川辺で遊んでいる時に転びそうになった妹を守って怪我をしたのだという。



「大きくなったら騎士団に入りたいと言っていたわね、楽しみだわ」



 兄の言うことには、そのためにまずは妹をちゃんと守れる兄になるんだ、という事だった。まだ幼いというのに、なんと真面目な少年なのだろうか。



「でも少しだけ心配ね、スタッグみたいに仕事馬鹿になって婚期を逃しそうになるなんて事にならなければいいのだけど」

「婚期」



 アルカは突如として飛び出た衝撃的な単語を思わず繰り返してしまった。しかし聖女はまったく気にしたようではなく、憂い顔のまま頬に手を添えて言葉を続ける。



「まあスタッグの婚期を一番心配している人といったらわたしよりもおじさんね、ああ、おじさんというのはスタッグのお父さんのことなのだけど、アルカは会ったことはある? 首都の教会で副司祭を務めているのよ」



 副司祭とは首都の教会における司祭長の下にあたる役職である。司祭長の補佐を主な仕事とするその役職に就く人数は、十人だ。



「副司祭たちには医務部に配属されたその日に会う機会がありましたけど、そのどなたがスタッグ隊長のお父上だったかは……すみません」

「ううん、いいのよ、その内会えると思うから」



 そのうち会えるとは、とアルカは少し疑問に思うが、口にはしなかった。たぶん、微笑まれるだけで答えてはもらえないだろうと思ったからだ。



「そういえば、アルカのご両親について聞いていなかったわね、どういう方かしら?」



 次いで聖女にそう聞かれ、アルカは自然と頭を切り替えて口を開こうとした、その時だった。



「きゃあ!」

「わっ!」



 車輪がきしむ高い音がして、突然馬車が止まった。アルカと聖女が声を上げたのは、馬車が急に止まったせいで聖女の体が走っていた勢いのままに投げ出され、アルカの方へと飛んでしまったからである。しかしアルカが何とかその体を受け止めた。



「アルカ! 大丈夫?」

「だ、大丈夫です、聖女様こそ、どこか打ったりしてませんか」

「平気よ、アルカが受け止めてくれたから」



 聖女がそう答え、アルカの腕の中に収まったまま窓の方へ視線をやる。何があったのか、という思いを口にするよりも早く、外のざわめきが聞こえてきた。

 『敵襲だ!』と聞こえたそれは、バックの声か。アルカは自分の心臓がどくんと跳ねたのがわかった。次いで手が震える。これは、恐怖だ、とわかった。あの日、鍛錬場で想像したことだ。



「……防ぐことが、出来なかったのね」



 聖女が悲しげにつぶやく声が聞こえて、アルカははっとした。そうだ、こういう時に聖女様を守るのは自分だと、そうも思ったはずだ。そう思い出せば、恐怖で手を震えさせている場合ではない。

 アルカは深く呼吸をして「聖女様」と呼んだ。そうしてこちらを見た聖女の顔を、じっと見つめる。



「聖女様は、私が守ります」



 決意の表れのように少し震えた声でそう言えば、聖女はアルカを見つめ返して力強くうんと頷いた。その表情にアルカはやはりしっかりしないと、と気合を入れる。



 その途端、気合いを入れたアルカを嘲笑うように鳴り響いたのは心臓にまで響いてくる衝撃音だった。

 思わず聖女と二人しっかりと抱き合い「ひゃああ!」と悲鳴を上げる。

 衝撃音に思わず目を閉じてしまったのは一瞬で、アルカはすぐに何が起きたのか、と目を開けた。その瞬間、木の破片がぱらりと降ったのが見える。

 それから目の前に見えたのは、そこに立ってこちらを見下ろす二人の人間。

 片や恐ろしいほどの満面の笑みを浮かべ、片や射殺されてしまうのではないかと思うほどの鋭い瞳だ。その二人の頭越しに木々の緑が見え、馬車の天井を突き破って侵入してきたのだと理解した。



「アルカ! 聖女様!」



 アルカと聖女を呼ぶ声と共に勢いよく扉が開かれる音がして、アルカはばっとそちらに視線を向ける。その瞬間、何かがひゅっと動いた気がしたと思うと、馬車の扉を開いたスタッグの喉元に短刀が突きつけられていた。突きつけているのは、鋭い瞳の男だ。短剣の先が食い込んだのか、スタッグが悔しげに唸る声が聞こえた。



「ああ……聖女様、やっと、こうしてお会いすることが出来た」



 それから聞こえたのは、恍惚とした声。それは、恐ろしいほどの満面の笑みを浮かべた男のものだ。まるで夢を見ているようなその瞳はアルカの方へ向けられているようで、しかしまったくこちらが見えていないようである。アルカは恐怖を押してその顔をじっと睨み付け、そして気が付いた。

 あの夢を見ているような瞳は、ただ聖女様だけを見ているのだ、と。



「あなたは、誰なの?」



 アルカの腕の中で聖女がきっぱりと言う。しかしアルカには伝わっていた。その手が少し震えているのが。

 満面の笑みを浮かべていた男の顔が、ふっと暗くなるのが見えた。



「……やはり、こうしてお会いしても、思い出してはいただけないのですね。ああ、あの司祭どもが、聖女様の記憶までをも封じ込めているから……」



 そうつぶやいたその顔に浮かぶのは、憎悪の表情だった。しかしそれは一瞬の事で、すぐに「聖女様」と呼んでその顔に再び笑みを浮かべた。恍惚とした、恐ろしいほどの満面の笑みだ。



「僕は、聖女様を司祭どもから御救いしたくて来たんです」



 そう言って、ゆっくりとひざまずく。



「どうか、僕と一緒に」



 そして恭しく手を差し伸べた。聖女はその顔にまったく笑みを浮かべず、かといって険しい表情をするわけでもなく、ただじっと男の笑みが浮かぶ顔を見つめ返す。



「いいえ、わたしは、一緒には行けないわ」



 きっぱりと、そう答えた。男の目が大きく見開かれる。



「あなたの言う記憶がわたしにあったとしても、きっとその答えは変わらない」



 アルカに触れる聖女の手は、やはり少し震えていた。やはり、怖いのだ。何か得体のしれない恐怖が、聖女の手を通してアルカに伝わってくるようである。アルカは震える聖女の手をそっと握った。弱弱しく、握り返される。

 そうだ、聖女様は私が守りますと、そう言ったじゃないか。

 そしてそれは、スタッグ隊長との約束でもあるのだ。

 アルカはスタッグに視線をやり、それから目の前の男をじっと睨み付ける。男は先ほどまでの満面の笑みをすっかりなくしていた。



「……どうして」



 代わりにその表情に見えるのは、先ほど一瞬見えた、憎悪の表情だ。



「どうして、昔も、今も、邪魔をされるんだ! 聖女様は、聖女様の本心は、僕の傍にいたいに決まっているのに! それなのに司祭どもが聖女様に呪いをかけて、だから聖女様は……! ああ、司祭どもは、聖女様を失って自分たちの地位が無くなることが惜しいだけの、愚かな奴らだというのに……聖女様を本当に、愛しているのは、僕だけだというのに……!」



 それは、アルカや聖女の理解を越えた言葉だった。

 しかしその姿に、アルカはひとつ理解する。得体のしれない恐怖の理由は、きっと、この男が自分の理解を越えた存在であるためなのだ、と。理解出来ないことを恐ろしいと思ってしまうのは人間の性だろうか。業であるとも言えるかもしれない。

 そうした恐怖を押してまでもなお、アルカは男をじっと睨み付けた。すると突然、その目と視線が合う。

 まるで夢を見るような目で、聖女しか見えていないようだったその目と、視線が合ったのだ。

 心臓が、どくん、と飛び跳ねたのがわかった。恐怖だ。怖い、手が震える、出来る事なら立ち向かうことをやめてしまいたい。しかし、今聖女を守ることが出来るのは自分だけだ。そう思えばアルカはその悪夢を見ているようなその目から視線をそらすことはしなかった。



「……この三日間、聖女様の傍にはいつもお前がひっついていた、僕を、差し置いて……ああ、お前が、聖女様を呪っているんだ……!」



 懐から、ギラリ、と光る何かを取り出したのが見えた。短刀だ、とわかったのは一瞬だ。次の瞬間には、男がそれを持って襲い掛かってくるのが見えた。

 避けなければ、と思うが、アルカの体はそのようには動かなかった。恐怖のためではない。自分が避ければ聖女が刺されてしまうのではないか。すぐにそう思い直したためだ。

 アルカは腕に抱えた聖女を庇って、短刀を突き出す男に背を向けた。







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