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12:聖女の威徳

「それで、夕べはスタッグと何かあった?」



 町を出発して間もない馬車の中で、アルカは聖女の質問に「ぶふ」と吹きだした。

 夕べの話題は今朝言われた「アルカもスタッグもよく眠れたのね、よかった」という言葉で終わっていたと思っていたのだ。まさか今になってそんな踏み込んだことを聞かれるとは。いや、今、馬車に二人きりになったからこそか……。

 聖女はアルカの反応にも特に驚いた様子は無く、毎度のように何を期待しているのかわくわくとして返事を待っている。



「ああ、すみません……ええと、あの、何かあったかと聞かれると、何も無いです……としか、答えられないです……はい」



 思わず吹きだしたことの謝罪を述べつつ、歯切れ悪くそう答えを返せば聖女が「何も?」と聞き返す。余裕のある声色は『本当に?』の意味合いを含んでいて、アルカは得体のしれないプレッシャーを感じるのだった。



「いえ、その……スタッグ隊長が眠るときに、その、抱き枕のようにされたぐらいで……そのことの他は、何も」



 アルカが恥ずかしさに耐えながらそう告白すると、聖女が何かいろんなものを含んだような声色で「そう」と言う声が聞こえる。しかし含まれた『いろんなもの』が何なのかはアルカにはわからず、また推察する余裕も無かった。

 だから聖女が小さな声でつぶやいた「抱き枕は意外だったけれど、やっぱり何も無かったのね、残念だけれど想定内かしら」という言葉は、アルカの耳には届かなかったのである。






 今日初めに訪れたのは、前に訪れた町よりもずっと小さな町だった。

 それでも小さな教会前の小さな広場には大勢の町人が詰めかけ、聖女の来訪を歓迎した。その熱量は前に訪れた町のものにも劣らず、やはり聖女がいかに愛されているかをうかがい知ることができる。


 そうして聖女が教会で祈りを捧げ、町の中を歩いて回っている時だった。

 群衆の向こうから突然聞こえてきたのは、男の怒声。それも一つではない。

 その声に警戒を示すようにスタッグが聖女の前に立ち、アルカも聖女の傍へと寄った。



「どうした、何があった」



 スタッグが険しい顔で騒然とする群衆に呼びかけるとざわめきがやみ、その場の人々は皆目を伏せてしまう。しかし目を伏せつつも、その視線がちらちらと向かう先は一点だ。

 スタッグが歩き出すよりも先に、聖女が群衆に向かって歩き出した。聖女が一歩踏み出すたびに人の海が割れ、道が現れる。スタッグとアルカもそれに続いて歩いていく。

 そうしてついに開けたその場所に居たのは数人の男女と、地面に座り込んだ一人の女性だった。

 年の頃は、アルカの母親と同じような年齢といったところか。聖女の姿を見るとはっと息をのみ、拝むように両手を合わせて頭を垂れた。その姿に彼女を見下ろしていたうちの一人が激高して「今すぐ立ち去れと言ってるだろう!」と声を上げる。



「あなたは、どうしてこの人に怒っているの?」



 それは、激高した男の声よりもずっと小さく、しかしそれよりもずっと強く凛としてその場に響いた。

 声の主である聖女の顔に笑みは無い。それどころか眉が少し怒り、険しい表情で声を上げた男を見つめる。聖女に険しい表情を向けられた男は委縮しながらも、その問いに答えるべく口を開いた。



「こ、この女は、別派の人間です、聖女様にお目にかかれる人間では無いのに、この場に現れたので……立ち去れ、と」



 答えを聞いた聖女はその険しい表情のままで「そう」と言った。


 別派。

 それは、国教である一派とは異なる解釈を持つ集団だ。

 その起こりは古く、初代の聖女が亡くなり次代の聖女が誕生した時代にさかのぼる。

 別派は初代の聖女こそが神であり、次代の聖女はまさに初代の聖女が姿を変えただけなのであるという解釈を持つ。それは歴代の聖女に関しても同様であった。別派はその全てが初代の聖女が形を変えた姿であり、聖女とはすなわち神そのものであるという解釈に基づく信仰を持っているのである。

 しかし解釈の違いがあっても聖女という存在を信仰していることは変わらず、両者の関係は良好だった。


 その関係が変わったのは、ここ最近のことだ。

 別派の一部が、国教の一派が聖女の神の力を封印していると非難し、各地でそれを喧伝して回り始めたのである。


 聖女に神の力があると知られれば、それを危険視する国に国教の立場を追われかねない。だから司祭たちが共謀して聖女を騙し、その力を封印しているのだ。神たる聖女を騙してその力を封印するなどということは不敬極まりない。というのが、彼らの主張である。

 しかし、果たして司祭が集まったところで聖女の神の力を封印する力があるのか。そもそも神の力を封印する力というものがこの世に存在するのか。そして、果たして聖女が司祭に騙されるような人物であるのか。これらの疑問に多くの人々はそんなことはありえないと首を横に振り、それを喧伝して回る彼らを白い目で見た。

 それでも別派の一部は世間のそんな目をものともせず喧伝を続け、時に国教の教会へと押し入って喧伝することもあった。その押し入り方は乱暴で、先日も慌てて逃げようとした老人が転んでけがをしたという。

 これはあくまで別派の一部の動きなのだが、この動きによって別派全体への不信感や嫌悪感が生まれているのが現状である。




「けれど、わたしは別派の人だから会わないということは無いわ」



 聖女が力強く言い切ると、その場の何人かが息をのむ音がした。



「それだけじゃない、信じる者でなくたって、わたしのことを知らないという人にだって、わたしが会わない理由はどこにも無いわ。わたしが、会えない存在になる理由はどこにも無いの」



 その言葉は、もはや男にだけ向けられたものでは無かった。その場にいる全員が聖女の言葉を聞き、噛みしめる。



「別派だからって、その人がわたしに会えない存在になる理由は、どこにも無いわ」



 静まり返った往来には、聖女がそう言い切る声だけが響き渡った。群衆のひしめきすら聞こえないようである。



「で、でも、別派の奴らは教会を」



 そんな中で、そう言ったのは始めに口を開いた男だ。それに声を上げてそうだと賛同する声は無い。しかし群衆の沈黙は、男の言葉を否定するものでも無かった。



「その人が、別派だからという理由で、教会に、あなたたちに、何かをしたのかしら」



 その声を聞き、聖女はもう一つの問いを投げかけた。『あなたたち』と言ったそれは男だけではなく、群衆に向けられた問いである。しかしそれに答えを返せる人間は、誰一人居ない。今声を上げた男すら、その口をぐっと閉じてしまった。

 その場にいる誰もに、思い当たることなど何も無いのだ。思い当たることがあるとすれば、むしろ。



「別派だからという理由でこの人に何かをしたのは、あなたたちのほうじゃないのかしら」



 言い当てられて、誰もが後ろめたさに目を伏せる。胸に手を当てたり、口元を押さえる者も居た。



「……聖女様の、おっしゃる通りだよ」



 静寂の中で、誰かが、そう声を上げた。



「わたしら、ほんの少し前まではなんのわだかまりも無く、仲良くしてたじゃないか。この人はちょっと気が弱くて、でもそれは優しいからだって、わたしら知ってたんだ」



 女性の言葉に「そうだよ」と言う声があがった。一つではない、二つ、三つと肯定の声があがる。



「だからこの人、自分から町の外れにいったんだ、それをわたしら、別派の人間だから仕方ないって、正しいんだって……」



 群衆の中から数人の女性が飛び出て、座り込んだ女性の元へと駆け寄っていく。口々に言うのは女性の名と、「ごめんよ」という言葉だ。その声は、震えている。顔を上げ、信じられないというように目を見開きながらもそれに答える女性の声もまた、震えていた。そうして彼女らは、はらはらと涙を流して互いの手を取り合う。

 聖女はその傍へ寄り、視線を合わせるように膝をついた。その表情には笑みが湛えられていて、彼女らを見つめるその瞳は慈しみにあふれているようである。

 それに気が付いた女性らは息をのみ、深く頭を垂れると「ありがとうございます……!」と感謝の言葉を告げた。しかし聖女は笑みを浮かべたままで首を横に振る。



「ううん、これは、あなたが優しい人であったおかげよ、そして、皆がそのことを知っていた、それだけのことだわ」



 そうして聖女がそう告げれば、女性らは再び頭を垂れて感極まったように感謝の言葉を口にする。

 この時アルカが見た聖女の背中は、確かに、強く、気高く、揺るぎないものに見えていたのだった。








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