10:また受難
アルカがスタッグの顔をもう一度見ることができたのは、町をぐるりと見て回った聖女が教会に戻ってきた時だった。
「スタッグ、なんだか疲れた顔をしているんじゃない?」
聖女が言った言葉にアルカとスタッグが同時に「えっ」と言った。
アルカが思わず気まずさも忘れてスタッグの顔を見ると、その眉間には稀に見るほどの数と深さのしわが刻まれていた。スタッグは「いえ……」と否定するがその語気は弱く、恐らく自分でも疲れが溜まっているという自覚はあるのだろう。正確に言うならば、指摘されて気が付いたと言うべきか。目頭を押さえるその姿は、たしかに『なんだか疲れた顔』をしている。
「その顔は十分に眠れていないときの顔ね、今日はもう外には出ないから、スタッグはもう休みなさい」
「いえ、しかし……」
「もう、休みなさいってば」
次いで「聖女のお願いよ」と聖女にいつになく険しい表情で詰め寄られてしまえばスタッグはそれ以上口答えは出来ず、その疲れた顔で「わかりました」と返事をするしかできないのだった。
今日の予定はほぼ終わり、後は教会の中で司祭と夕食を共にするぐらいである。その後は、教会に用意された部屋で眠って明日に備えるだけだ。聖女が「後はバックに頼むわ」と言う通り、後はバックに任せて問題が無いだろう。
「それじゃあアルカ、スタッグの事をお願いね」
「えっ」
くるりと振り返った聖女にそう言われ、アルカは思わずそう声をあげる。
「アルカが傍にいないとダメなんでしょう?」
笑顔でそう言ってのける聖女の言葉はもっともだ。しかしいろいろとタイミングが悪い。アルカが思わずえっと声をあげてしまったのはそのためだった。
それでもやはり聖女の言葉は正しく、疲れた様子のスタッグのことも気がかりである。アルカもまたそれ以上の葛藤の余地は無く、「はい」と答えることしかできなかった。
教会の中に用意された一室で、アルカとスタッグが向き合う。
互いに互いを意識し合っていたため気まずい空気が流れるが、なんとかしなければと口を開いたのはアルカだった。
「あの、スタッグ隊長、よく眠れなかったんですか」
意を決して発した声は思いのほか小さい。しかししんと静まり返ったこの部屋ではその小さな声でもよく通る。
「……すまない」
同様にスタッグが絞り出すような声で言ったその言葉も、はっきりとアルカの耳に入った。その謝罪は、アルカの問いに対して肯定を示している。
「正直に言うと、夕べは一睡もできていないんだ」
続いた衝撃の告白に、アルカは思わず「えっ」と声が出た。
「扉の向こうにはアルカがいる、そう自分に言い聞かせたんだが……結局は眠れなかった」
「そ、それは……なんというか、すみません……」
あまりのことに驚いてしまったが、考えてみればそれも惚れ薬のせいなのだろう。そして惚れ薬のせいということはつまり、自分の責任である。そう思えばアルカの口からはやはり謝罪の言葉が出た。スタッグが条件反射とばかりに「いや……」と言う声が聞こえる。
その声にアルカは、ああ違う、と思い直した。今すべきことは謝罪ではなく、スタッグに安眠してもらうことだ。
「あの、そういうことなら今すぐ寝ましょう! 服をぬ……ぐのは、とりあえず上着だけ脱いでシャツの前をくつろげるぐらいで、とにかく横になってください!」
そうしなければ、と思えば驚いたような顔で立ち尽くすスタッグがもどかしく、アルカはスタッグの背中に回るとその体をぐいと両手で押した。強くたくましいスタッグの体は普段ならば非力なアルカが押してもびくともしないだろうが、度重なる出来事に心労極まっていた体は簡単に動き、つんのめるように足が前に出る。
スタッグが慌てて「いや、わかった、わかった」と言いアルカの腕を制すると、ようやくアルカの動きが止まった。
「あ、すみません、ああ、いや、わかったんなら上着を脱いで、あ、脱いだら貸してくださいハンガーにかけておくので」
「あ、ああ……」
アルカの動きは止まり謝罪の言葉は出るが就寝の促進は止まらず、スタッグが上着を脱いで渡せば次は「じゃあシャツの前をくつろげて、横になってくださいね!」と急かされた。呆気にとられつつもスタッグがブーツを脱いでベッドに横たわると、ぱたぱたと足音がしてすぐ傍にアルカの気配を感じる。
「スタッグ隊長、なにか、私に出来ることはありますか」
そう声がしたと思うと、アルカがこちらを見下ろす姿が視界に入った。
スタッグは思わずばっと両目を片手で覆って「いや……」と答えるが、その声は小さい。当然それがスタッグの本音とは思えず、アルカは畳み掛けるように言葉を続ける。
「スタッグ隊長は、今はぐっすり眠ることだけを考えてください、そんな体で、聖女様を守れるんですか」
アルカが続けたその言葉は、スタッグの耳に入って確かに頭の中を揺らした。
スタッグはゆっくりと両目を覆っていた手を外すと、ベッドのわきからこちらを見下ろすアルカの顔を見る。その表情は怒っているような、それでいて心配そうな目をしている。
それからスタッグが、ゆっくりとアルカの方へ手を差し出す。差し出されたそれにアルカがそっと自分の手を重ねると、途端にぎゅうと強く握られた。
それぐらいでは驚きはしなかったが、直後にぐいと強い力で引かれアルカは「うわあ!」と声をあげる。思いもしていなかったことに抵抗する術も無く、アルカの体はベッドに横たわるスタッグの上に倒れ込んでしまった。
反射的に起き上がろうとするが、どうしたことが体が動かない。もがく間も無く、首筋のあたりで「すまない」と吐息交じりの声がして、思わずアルカの肩がびくりと跳ねた。
「……眠れない間は、ずっと、こうして眠れたら、どんなにいいかと」
それは絞り出すような、何か苦しそうな声。頬にどくんどくんという鼓動が伝わり、アルカはスタッグに抱きしめられているのだと理解した。
「あ、あの、重たくないですか」
「いや……むしろ、それが、心地いい」
重さが心地いいと言われてしまうと複雑な心境だが、それ以上にアルカはこの状況に緊張していた。
スタッグが呼吸をするたびその息がアルカの首筋に当たり、体が小さくぶるりと震える。体をよじろうにもスタッグの腕が肩と腰のあたりをがっちりと固めているので、身じろぐことしかできない。
しかしそれもスタッグの安眠の妨げになるのでは、と思えばアルカはやがて諦めてすっかりスタッグに身をゆだねてしまうしかないのだった。
そうしてみると次第に気持ちも落ち着いて、多少の冷静さを取り戻していくようである。
スタッグの腕はアルカの体をがっちりと固めているとは言ったが、その力は今までで一番柔らかい。まるで、幼子がお気に入りの毛布かぬいぐるみをぎゅうと抱きしめて眠るような……。
そう思えばアルカの気がかりは自分の心臓が持つだろうかということではなく、自分の心臓の音がスタッグの眠りの妨げにならないか、ということだった。
やがてその腕の力がふっと緩んだのを感じると、アルカは少し体を動かしてみた。
アルカの体をがっちりと固めていた腕はすっかり力が抜けていたようで、身動きが取れる。アルカがゆっくりと体を起こすと、スタッグの腕がするりと動いてベッドに落ちた。アルカは慌ててスタッグの様子を見るが、どうやら深い眠りに落ちているらしく身じろぐ気配すら無い。
アルカはほっと息をつき、それでもスタッグの眠りの妨げにならないようにと慎重に体を動かしてベッドから降りた。
「はー……自分の責任とはいえ、心臓持たないよ……」
思わずそうつぶやき、項垂れる。
なんて心臓に悪い……昨日からこの言葉を何度つぶやいただろうか。今しがた起きた出来事については多少は覚悟していたものの、いざそうなるとやはり心臓が痛い。そもそもあれは想定していた以上である、まさか手を引かれて、抱き枕のようにされてしまうとは……。
思い出してどうしようもない恥ずかしさに苛まれつつ、アルカはなんとかカーテンを閉めることに思い至り窓へ向かう。そうしてあまり音を立てぬようゆっくりとカーテンを閉めると、ふらふらとソファの方へと向かい腰掛けた。それから力尽きたように、上半身を倒れ込ませる。二人掛けらしいソファは、アルカが体を横たえるのには十分な大きさだ。
「あ……眠い」
横になると急に眠気がおそい、そう口をついて出る。それから、そういえば自分も寝不足なのだったと思い出すと、今朝の出来事を思い出すよりも早く眠気が加速した。
すぐに目を開けているのが辛くなり、何かを考える暇も無くアルカは意識を手放すのだった。




