皇帝初心者とうさみ 12
対象が月の海へ落下した。
真ウーサー六万五千五百三十五世はお餅をつきながらその報告を聞いた。
月のウサギたるもの、お餅をつくのは最も重要な責務であり、それは皇帝たる真ウーサー六万五千五百三十五世であっても変わらない。
月というのはすなわちお餅と言ってもよいのだ。
だからこそ率先して皇帝がお餅をつかなければならない。
餅が月を満たしてこそ、月面帝国パラウサの存在意義を果たせるのだから。
月のウサギのだれもが持つ念動力で、杵を動かし、餅をこねる。
特別製の大型の臼と杵は皇帝専用であり、これを扱えるのも皇帝の特権であった。
配下のウサギたちが皇帝の有志を羨望の目で見つめる。
その様子は真ウーサー六万五千五百三十五世がまだ真ウーサー六万五千五百三十五世ではなかったころのことを想起させた。
偉大なる皇帝。
その名にふさわしい働きを期待されている。
真ウーサー六万五千五百三十五世は気を引き締め直した。
そして責務を果たしながらも考える。
月の海は月面帝国パラウサの版図の外である。
あそこには危険な生物が生息しており、未だ支配下に置くことができていないのだ。
それ以上に厄介な問題と果たすべき責務がある以上、後回しになるのは仕方がないことだった。
だからこそ、対象がそこへ向かったことが問題となる。
不幸な行き違いによって本来客人として遇すべきであった対象が行くへ不明になり、危険地帯へ向かったというのは。対外的によろしくない。
対外的と言っても実質的に関係しうる相手は地上の帝国しかないわけだが。
その地上の帝国は月面帝国ルナパラウサにとって兄弟のようなものだ。
その使者である対象。
うん。
よろしくなさがさらに上がった。
……避けえない事故だったということにするのはどうだろうか。
真ウーサー六万五千五百三十五世は今回の分の餅をつきおわる。
そして予定の変更、月の海への捜索隊の編成と、自らの餅つきの割り当て分の増量を指示する。
自らの失敗である以上自ら責任を取り挽回したいところだが、皇帝という立場が、失敗を認めることも、危険を冒すことも許してくれない。
さらには、奴らが現れる時期はそう遠くないのだ。
最高指揮官である皇帝が中枢を離れては必要な対策が滞る。
それだけは避けねばならない。
真ウーサー六万五千五百三十五世は即位二日目にして皇帝という地位を恨むこととなったのである。
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自分よりはるかに強く恐ろしい相手であふれている森というのは、うさみにとっては懐かしいものである。
というのも、“うさみ”の原点は森の中だったからだ。
ゲーム時代、ハイレベルフィールドである森に迷い込み、復活地点をセーブしてしまってからというもの、長い間さまよったのである。
しかもそのフィールドの名が迷いの森。
そりゃあ出られやしないというもの。うさみはわるくない。
そんな経験もあり、うさみはわりと懐かしい気分で森を徘徊していた。
まあそもそも森の中に住んでいるしね。拓いて畑にしてるけども。
「お、イチゴはっけーん。色変だけど……イチゴだよねこれ?」
甘酸っぱかった。
月光草はおいしくないせいか、イチゴがとんでもなくおいしく感じる。
銀色のイチゴだったが、虹色ニンジンに比べたらなんてことはないし、もっとマズそうな色でおいしい食べ物はこの世界にたくさんあるしで、慣れている。
うきうきで歩く。
カニやらカエルやらをはじめ、危険な生き物がたくさんいるが、彼らの攻撃範囲に踏み込まなければあまり危険がないことも分かった。
たくさんいるということは、つまりカニはいつでも食べられるということだ。
準備が整うまで安心して我慢できる。
探検気分も久しぶりであった。
月の樹海は広く、どちらに向かったものか、とりあえずまっすぐ歩けばどこかにつくかと思いながら、知らないものを見つけるのを楽しんでいた。
命の危険についても勘を取り戻すことで、ないといっていい程度まで抑えられたので大丈夫。
その代わりに起きる問題もあるが、とりあえず直ちに影響はないので。
キョロキョロと、面白いものはないかと探しながら歩く。
結局のところ森、とはいえ地上の森とはやはり違う。
若いころの気分を思い出しながら、ピクニック気分で探索である。
こうなるとお気に入りのワンピースとバスケットがなくなったのは惜しいなあ、とか思いながら。
なぜこんなにのんきなのかというと、今後の方針を決めかねているからだ。
月面帝国のウサギさんに攻撃されたというのは衝撃的なことだった。
まあそれは反省して次回があったら生かすとしてだ。
月面帝国とこじれてしまったら困ることが一つ。
地上に帰る手段だ。
転送装置は月面帝国の管理下である。
月と地上を問題なく移動する手段は転送装置しかない、正確にはうさみは知らない。
やはり月面帝国と和解する必要があるだろう。
とはいえ、客観的にあの時のことを考えてみると。
野菜テロリスト。
そんな感じにしか思えない。意味わかんないけど。
そんな怪しい第一印象を残して姿を消したうさみに、まともに取り合ってくれるだろうか?
いやまあ、行ってみないとわからないけども。
なんならここに畑でも作って暮らすのもいいかもしれない。
カニとイチゴがおいしいし。
ほかにもおいしいものがあるかもしれないし。
でも、一年やそこらで飽きそうな気もする。
そうなったとき、気分転換しようにも、月面では……。
うさみはどうしよっかなーと考えつつどうしよっかなーと鼻歌を歌いながら、どうしよっかなーと歩を進めるのだった。
この時うさみはうさみにとって重要なことをすっかり忘れていた。