皇帝初心者とうさみ 9
月の海は、海は海でも樹海である。
地上では溶岩が固まった花崗岩ではないかと言われる時代もあるが、実際には月桂樹に似た巨大樹木でおおわれていた。
葉の色は黒く、地上の植物とはだいぶ様相が違うけれど。
なぜこれが岩だと判断されたかといえば、月面帝国ルナパラウサの仕業だ。
月面帝国は、月面の上空にいくつかの目的と効果を持った結界を構築しているのである。
その効果の中に、欺瞞効果が含まれているのだ。
なので遠くからものすごいがんばってみても、岩にしか見えないようになっているのである。
そういう場所にうさみは頭から、ものすごい速度で突っ込んだ。
そして盛大に木々をなぎ倒……さない。
まるで森の方が避けているかのように木々の間を抜け、徐々に速度を落としていき、ついには止まって地に足をついた。
「あぶなー。すりおろしエルフになるところだった」
【森歩き】というエルフが得意とするスキルの再現である。
月面であっても森は森。
よほどでなければ森がエルフを傷つけることはない……いやよほどの速度だったけれども。
地上であれば、超音速で衝撃波が発生していたところだったが、月面であるのでセーフである。
その上で、より高速の経験を、今生ではともかく別の機会にいくらでも経験しているのでぶっつけでもなんとかなったのである。
とはいえ体の方ができていないので疲労もすごいのだが。
なんにせよ、うさみはひとまず胸をなでおろし、引っかかるところどころか服すらないことを思い出す。
「森の中で裸とかさすがに……なにかないかなあ」
マニアックさを助長する装飾は置いておいても、ぱんつ一丁では心もとない。
安全性とかじゃなくこう、ハートの問題だ。うさみには露出趣味はないもん。
しかしあいにく、手元には何もない。
バスケットは壊れておそらく粉々になったろうし、中身の野菜じゃどうにもならないしどどこかへ飛んでった。
失態である。
失態といえば今回のやらかしであるが……。
いやそれより先に裸をどうにかしたい。女の子だもん。年齢三桁でも。
巨大な樹木の根元で、うさみは自分の体を見下ろしていた。
すでに裸ではない。
葉っぱを使って簡単な服をしつらえたのである。
繊維まで分解して圧縮し、長めの不織布に。
月面は、地上とは魔法を使う勝手が違うため、かなり雑な仕上がりになってしまったが。
体にくるくると巻き付けて、最後に肩のところで端っこを結んでサリー風の服ってことで。
しかし黒い。もとにした葉っぱが黒いからである。
設備がないので色を変えたり強度を増したりといった細工ができなかったのである。
黒はあまり着ないので、なんだか喪服着てる気分だ。
膝上まである靴下と靴はお出かけ用のかわいいものなので違和感マシマシである。
それ以上に問題は強度面だ。
おそらくこれは全力で動くと破れる。いやーんである。気を付けないと。
そんなことをしているうちにそれなりに時間がかかってしまった。
時間がかかるということはお腹がすくということである。
衣食住の中で一番直接的に命に関わるのが食であるわけで、うっかり衣を優先してしまったのはうさみの失策だろう。
おなかがなる。ぐー。
「問題は月とか探索したことないんだよねえ。どうしようか……」
長いこと人生繰り返しているが、うさみは月をわざわざ探索したことがなかった。
月にくるときは月面帝国のお世話になるのがいつものパターンであり、ウサギさんと遊んで帰るくらいであったのだ。
「これ食べられるかな?」
月桂樹のような黒い木を見上げる。
これも黒い、実がついていた。
この植物の葉っぱで服を作って身に着けているわけだが、作業中も含めて気分が悪くなったりすることはなかった。
むしろ甘い匂いで空腹が促進される。
月桂樹であれば、薬草やハーブとして使われている。
うさみも料理に使うことがあるものだ。
葉っぱも実も食べても平気……そういえば食欲増進作用があったような。
数えるほどだが薬師をやった人生もあった。その時の記憶を思い出そうとするが、薬は取りすぎると毒になるよーくらいしか思い出せなかった。葉っぱを料理に使う場合も一鍋に一枚とかだし。
それに、そもそも月桂樹に似てるだけで違うものかもしれない。
うさみはだいぶ迷った。
うんうん唸った。
ふと足元に目をやる。
「あれ、これ月光草だ」
それはうさみの膝ほどの高さの草だった。
月光草。
MPを回復する効果がある植物で、月夜にしか採取できないともいわれる希少な薬草である。
透明感のある銀色の、およそ植物とは思えない色彩のものだが虹色ニンジンを栽培しているうさみにとっては些細なことだ。
なるほど、月光。ここは月である。
なるほど、月夜。夜じゃないけど月光が当たることがポイントだとすると、月面から見たら昼にこそ生えるのかも。
いやそんなことは置いておいてよい。
今重要なのは、月光草は食べられるということだ。
MPがいっぱいの時に食べ過ぎると気持ち悪くなるが、うさみに関してはその心配は全くない。
ラッキー。
うさみはえっへっへと笑って月光草を採取した。
食べた。
苦かった。
少なかった。
お腹が鳴った。
「おいしくないけど、食べられるだけいいよね」
そう呟いて、うさみは月の海をさまよいだした。
月光草を求めて道草を食うために。
そして、そんなうさみをうかがう影が。