皇帝初心者 1
異世界転生初心者とうさみ1と3の間の話だと思います
その日、彼は皇帝となった。
遥かな高みに立ち、地上を見上げる。
慣れ親しんだはずの光景が、今までとは違った姿に見えた。
それはこれまであったことを思い出させる。
長かった。
皇帝の子として生れ落ちた。
しかし、彼は自身が皇帝になるとは思っていなかった。
皇帝の子が皇帝になるとは限らない。
完全実力主義の帝国では、皇帝は世襲ではないのだ。
若かりし頃の彼もまた、皇帝などと考えもせず、ただ本能に身を任せるように生きていた。
当時の自分に、お前は将来皇帝になるぞ、と言ったならば、なんと答えが返ってくるだろう。
そんなことよりお腹がすいた。ご飯にしよう。
こんなところか。
いかに頭を使わず生きていたかがよくわかる。
いや、ただただ精いっぱいだったのではなかったか。
多くの兄弟が散っていった。
友も。
彼が、自身よりも皇帝にふさわしいと思っていた者たち。
命の淘汰を潜り抜け、最後に残ったのが彼であった。
かつてを思い出せばきりがない。
それだけの時を歩んできた。
そして今。
さらには、これからを思う。
月面帝国ルナパラウサ皇帝、真ウーサー六万五千五百三十五世は、月の頂点から、空に浮かぶ青き地上を見上げたまま、万感の思いを込めて、白金色にきらめくその巨体を揺らめかせた。
ふよん。
その時である。
ぷぷぷぷぷ。ぷぷぷぷぷぷぷ。ぷぷぷぷぷ。
静まり返っていた空間に、鋭い警告音が鳴り響く。
なにごとだ。と、真ウーサー六万五千五百三十五世がふよんと揺れると、物思いにふける皇帝の邪魔をしないよう身を隠していた側近が現れて報告する。
ぷ。
たしたし。
側近は一鳴きしてから後ろ足で床を叩いた。
地上からの侵入者、それも他種族だと?
ふよんと揺れて答えを返した真ウーサー六万五千五百三十五世は、巨体にふさわしい大きさの垂れ耳を立てて怒りをあらわにした。
地上から月へやってくるには帝国にある相互間転送装置を使う他に現実的な手段は存在しない。
また、地上との連絡は途絶えて久しいが、地上側の装置も同族が管理しているはずである。
ゆえに、何らかの事情で月へやってくることは、あるいはあるかもしれない。
しかしそれは同族であるべきであり、
だが侵入者は、同族ではないという。
地上はどうなっているのか。
なぜ他種族が相互間転送装置を動かせたのか。
なぜ今日なのか。
様々な思考がが真ウーサー六万五千五百三十五世の脳裏を走る。
しかし、今すべきは考えることではない。
まずは動くことだ。
皇帝の即位という記念すべき日を何事もなく終わらせまいとする、敵として、真ウーサー六万五千五百三十五世は対応することにした。
ふよん。(迎撃だ)
ぷ。たしたし。(かしこまりました)
真ウーサー六万五千五百三十五世が指示を出すと、側近は一礼をして瞬く間に姿を消した。
そして。
真ウーサー六万五千五百三十五世も、その巨体をぐおんと大きく揺らがせて。
跳ねた。
真ウーサー六万五千五百三十五世の、出陣である。
□■ □■ □■
地上と月面帝国を繋ぐ転送装置は宮殿の地下深くにある。
最悪の場合の避難先でもあるし、また別の最悪の事態の敵の出現地点にもなりうるため、出入りは厳重に管理されていた。
四重の気密隔壁。
それぞれが防壁にも使われている重厚な魔導多層結晶装甲版で構成されており、破壊しようとすると、むしろ周囲の壁が先に壊れて生き埋めになるであろう頑強さを誇る。
迷路。
原始的だが物理的な時間稼ぎ手段であり、道中多くの迎撃地点を置くことができる。 天井の散水機からは消火剤以外にも、制圧用の薬剤を噴霧することも可能だ。
さらに専用の昇降機。
地下深くにある転送装置の階層から出るにはこの昇降機を使わなければ不可能だ。
これら三つの障害は、近年使われていないといっても、十全に整備されていた。。
皇帝の指揮ですみやかに防衛部隊が招集された。
だが事態の進行はそれ以上に早かった。
ふよん。(すでに機密防壁を抜かれているだと!?)
ぷ。(手動で解放されています!)
たしたし。(馬鹿な、手動開閉など、特別保安部隊と緊急避難手引きを持つものでなければできないはず……!)
ぷ。(敵、迷路を突破、昇降機前に出ます!)
ふよん。(ばかな、早すぎる! どうなっている!?)
ぷ。(管理作業用通路が使われた模様!)
たしたし。(そんな! それじゃあ迷路の意味がない!)
昇降機の出口前に集合した防衛部隊、そして指揮する皇帝は息をのむ。
尋常ならざる事態が起きている。
身内ですら知らないものの方が多い“裏道”を抜けてくる侵入者。
一体どうなっているというのだろうか。
昇降機の動力は落としてある。
だが、その程度でこの相手の足は止まるのだろうか。
皇帝は不安になったが、だからと言って弱気を表に出すわけにはいかない。
真ウーサー六万五千五百三十五世は皇帝なのだから。
今日即位したばかりであっても。
皇帝は昇降機の出口を包囲させた。
皆が見守る中、ついに、昇降機の出口の扉が動き出す。
そしてそれは現れた。
胴部は毛皮とは違う白い外装に覆われている。
四肢はむき出しでつるんとしており、先端からの一部のみ、これも何かに被覆されていた。
頭部全面もむき出しだが、側部から後部にかけて金色の毛が生えており、後方に長く連なっている。
頭頂部には赤い色の耳を模倣したような形状の物体を設置していた。
それは、ずるりと昇降機坑から這い出してきた。
そして。
「こんにちわー! お餅分けてもらいに来ました。あ、これおみやげです」
なんと、統一言語を発音したのである。