剣初心者うさみ 96
「レベルとクラス、それにスキル。この三つを適正に鍛えると、同程度のレベルの魔物に対抗できるようになる。魔物はそれくらい危険なの。さらに魔物によって外殻だったり牙や爪だったり、人間が使う装備に準じる器官を持っているから、装備も相当するものが必要ね。それで互角」
レベルとスキル以外でも、クラスによっても能力が上がる。
これはクラスチェンジの際に能力が低下することで知られていることだ。
クラスの恩恵はスキルの獲得と能力の上昇ということ。
剣士なら剣スキルをはじめ戦いに使うスキルを、商人なら暗算など業務に必要なスキルを覚えられる。
クラスに相応しい活動をすることで鍛えることができ、クラスで覚えたスキルはその相応しい活動に必要なものだ。逆説的に、それらのスキルを鍛えることでクラスも鍛えることができる。
他にはレベルやスキル同様、他者を殺害することでも鍛えられる。
「もちろん互角じゃ繰り返せばいつか負けるから、仲間との連携を合わせてやっと有利が取れる。五つの要素が必要なのね」
「すると、魔物も連携してくるようだと有利が取れませんね」
「そう。だから戦術が大事だし、戦略はもっと大事になる」
神話に曰く、神様は人類を助けるためにクラスとスキルを与えた、とあるが、魔物はレベルだけでクラスとスキルに相当する能力を、さらに生態で装備に相当するもの持っているわけだ。
そう考えると、もともとの人類はどこまで不利な生き物だったのだろうか。
何を考えてそんな弱い生き物を作ったのか。
と、そんな話は神殿ですればいい話。
今は、昔の誰かのことに想像を膨らませる時間ではないだろう。
「最前線にいない道場剣術が求められているのは、突き詰めれば人類の総合的な戦力の向上。つまりクラスやスキルの上限を更新すること。もちろん簡単なことではないけれどね」
「魔法や専門の外のスキルを組み合わせての戦力向上よりは、スキルやクラスそのものを強化することですか」
「ええ。バルくんが言うような、新たな組み合わせの開発も大事なことでしょうけど、流派の頂点が目指すこととは少し違うわけね。それをやるなら新しい流派を、つまりはクラスを立てられるもの」
上限までは魔物を倒し続けるだけでも上げることができる。
だが、その方法では上限の先を拓くことは、ごくまれにいる天才の類を除けば難しいだろう。新たなことを見つける試行錯誤の経験がないからだ。これは飛び級の時に受けた説明と同じ話。
クラス、スキルは過去の人類が到達した最高点を上限とする。
ならば、上限を超えることが人類への貢献となる。
そういう理屈だ。
だが、バルディには、さっさと上限まで上げてしまってから試行錯誤をすることも近道ではないかとも思えた。
序盤から制限を加えて程度の低いところでぐずぐずしているよりは、今の上限での試行錯誤する時間の価値の方が高いのではと。
とはいえ、それを選ばなかったのが一距両疾流であったということ。
そして思い至る。
夢の修練場。現実時間の何倍もの時間、修練を重ねられるこの場所は二つの長所、短所を丸ごと内包しているのではないか。
夢の修練場で魔物を倒しながら鍛えて得た高い視点をもちながら、スキルもクラスもレベルもなくなった現実で鍛えなおす。
まったくのゼロから自力で上限まで到達するよりは試行錯誤の経験を積むことはできないだろうが、時間は有限である。
おそらくは天才が生み出し、年月が磨き積み重ねた上限を本人の力のみで超えようとするなら、それらをまとめて軽く踏み越えるさらなる天才をまたねばなるまい。
そんなものがそうそう現れるようなら苦労はない。
繰り返すことで過去の恩恵と自身の蓄積を両立させることができる夢の修練場は、現実的な範囲の妥協点なのではないか。
夢だけど。
死ぬほどつらいけれど。