編外:わんことうさみ
ちょっと閑話。
かなり最初のころの話じゃないかと思います。
その日、うさみは少々疲れていた。
移動中、ドラゴンに絡まれたのだ。
風を操る翼竜である。
彼らは空を自分たちの領域とみなしている節がある。
空を飛ぶものはすべて不遜な侵入者なのである。
寛大な心で飛ぶことを許す個体もいる。相手は所詮下等生物。わざわざ相手をするなんて時間の無駄だというわけだ。
そして逆に、神経質な個体もいる。
彼らは自身の領域をゴミムシが飛び回ることが我慢できないらしく、積極的に排除しようとしてくる。
その時の気分で変わる個体もいる。
機嫌が悪ければ弱いものをいじめて喰って憂さ晴らし。みたいな。
まあドラゴンを人間の尺度で考えるのも間違っているのだが、ともあれ厄介な存在なのである。
人里に遊びに行こうとしていたうさみは、そんなドラゴンに絡まれた。
百年ほど引きこもっている間に若干空のナワバリが変わったのか、ドラゴンの方が動いてきたのか、何らかの偶然か。
原因はともあれ、人里に連れていくわけにもいかず、苦労して撒いた。
しばらくは空を言うのはやめた方がいい。しかしながら地上のほうが縄張り争いは激しい。空を飛ぶものと地を駆けるものどちらが多いかという話だ。
やれやれ困った。
うまく身を隠して縄張りを抜けるすべを身につけないと隠居からのお出かけもままならない。
などと思いながらようやく人里にたどり着いたのである。
体力以上に精神的にも疲れてしまうのも仕方のないことだ。
そして、疲れていたので少々油断していたことも、仕方のないことかもしれない。
だが、次に起こることを知っていれば、そんなこと言っていられなかっただろう。
いつも通り子ども一人を訝しがられつつも、耳を見せて人族ではないことを示して街に入れてもらいやーれやれ今日はどこかで泊まっちゃおうかななんて考えていた時にそれはきた。
「ひゃんっ!」
甲高い声にうさみは身を竦ませた。
反射である。悲鳴も上げられない程度の事態。
うさみは後悔と同時に祈りながら、さびた機械が無理矢理動こうとするがごとくゆっくりと振り返る。
しまったうかつだった人里にはアレが割とよくいるのだ。アレは地球では人類最初の友人とか言われてたくらいで、この世界でもよく見かけるし飼っている人もいる。
アレに捕まると大変なことになる。
なぜならうさみはアレが苦手なのだ。
なので今の声がアレじゃありませんように。
よしんばアレだとしてもどうかわたしを向いていませんように。
そこにいたのは可愛らしい子犬だった。
うさみ以外の人にとっては。
子犬は案の定うさみを見ていた。
うさみのこめかみを冷や汗が伝い落ちる。
子犬はハッハッハッハッハッハッハッハッハッと息をしている。
にらみ合いの形になった。
だが均衡はわずかな時間。
うさみが自分がつばを飲み込む音に合わせてわずかに後ずさった。
後ずさってしまった。
それをきっかけに、子犬が駆けだしたのだ。
もちろんうさみに向かって。
「ぅきゃああああああああぁぁぁぁあああぁあぁぁぁあああ!!!!????」
「ひゃんっ!ひゃんひゃんっ!」
うさみは思わず逃げ出した。
子犬は迷わず追いかけた。
昔からなのだが、うさみが逃げると犬は追いかけてくる。
人に尋ねると、逃げるから追いかけるんだよ習性だよむしろ喜んで追いかけてくるよと言われた。
そんなそれじゃあ逃げるにはどうすればいいというのか。
いやそんなこと言ってる場合ではない。
たすけてー。という声は出ない。なぜならすでに悲鳴が出てるから。
うさみが子犬に追いかけられるのを見た周囲の人は、なぜか笑顔になる。ほほえみ。
これも昔からで、何で笑うのと尋ねるといやいやいやとごまかされる。
要するに助けてくれないのだ。ひどい話。
うさみとしてはたまったものではないので、逃げるしかない。
逃げると追いかけてくる。
うさみは逃げた。
逃げて逃げて気づけば空中にいた。
せっかくやってきた人里から逃げ出してしまったのである。
そしてまたドラゴンに絡まれた。
今回は疲労と安心感からうっかり油断したが、今度から人里に出る時は注意して犬に見つからないようにしよう。うさみは決意した。
もっとも、千年に数回は同じことを思っているのだが。