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お前が任せるって言ったんだから、責任はお前にある

 翌朝、朝食の後、リュカは顔に赤いダイヤのメイクをし、いつもの衣装を身につけた。そして、部屋を片付けると、トランクを手に一階に降りた。

「今日、このまま荷物持って出るから。ありがとう。楽しかったよ」

 もともとロイクと、一晩だけという約束をしていたし、アレットにもそう話してあった。この後写真館で写真を撮ってから、そのまま広場に向かい、彼女の家には戻って来ないつもりだった。

「しばらく、この町にいるって言ってなかった?」

 朝食の後片付けをしていたアレットは、きょとんとした顔で振り返った。

「町にはいるよ。一週間後に、結婚パーティの仕事も入ってるし……。えーと、食費ぐらいは払うね。少ないけど、受け取って」

 そう言いながら、ポケットからしわくちゃの百クルエ札を二枚出して、テーブルに置いた。食費としては多く、宿泊費としては少ない金額だ。

 しかし彼女は、リュカの台詞の後半を全く聞いていなかった。差し出されたお札も、全く目に入っていないようだ。

「だったら、なんで行っちゃうの? この町にいる間、うちにいればいいじゃない?」

 彼女がアイスブルーの瞳を曇らせて、じっと見つめてくる。

 こんな眼で見られては困る。

 リュカは視線を外し、部屋の隅に置いてあった板台車に足を向けた。荷物をロープで固定しながら、話を続ける。

「そういう訳にはいかないよ。昨日、一晩だけって約束しただろ?」

「どこかの宿に泊まるんだったら、うちにいても一緒じゃない」

「一緒じゃないよ。これ以上、君に迷惑はかけられない」

 なだめるように言い聞かせるが、やっぱり説得できる気がしない。

 昨日も、誰も彼女を止められず、結局、この家に泊まることになってしまったのだ。

「迷惑じゃないわ。大丈夫」

「本当は、君のような一人暮らしの女の子が、簡単に男を家に泊めるもんじゃないんだよ。昨日、伯爵も危険だって言ってただろ?」

「危険? いろいろおしゃべりできて、楽しかったわ」

 昨日と同じような会話が繰り返される。

 しかし、どういう訳か、昨日さんざん反対していたロイクと伯爵の援護がない。

 だめだ、このままじゃ……。

 孤軍奮闘状態に言葉はしどろもどろ、掌にも汗をかいてくる。

「昨日は俺も楽しかったけど……いや、その……。そうじゃなくて! 俺が、君に何かしたらどうするの」

「何かって……? リュカ、何するの?」

「……えーと、それは……」

 ここで、何もしないと言ってしまったら、どうにもならない。嘘でも、何かすると言って諦めさせればいいのか? いや、しかし、それは……。

 答えに困って眼が泳ぐ。

「この町にいる間だけなんだから、いいじゃない。ここにいてよ。リュカ」

 悲しそうにうつむくアレットに、これ以上言い返せなくなった。

 伏せられた長い睫毛がふるふると震えている。綺麗な形の唇が固く結ばれている。

 そんな辛そうな彼女の姿は見たくない。手を差し伸べてしまいたくなる。

「わ……」

 つい「分かった」と言ってしまいそうになり、慌てて両手で自分の口を塞いだ。助けを求め、きょろきょろとロイクの姿を探す。

 彼女の保護者代わりの黒猫は、ここで起こっている事態に気づいていないはずはないのに、部屋の隅でのんびりと顔を洗っていた。

「ロイクっ! どうにかしてくれ」

 リュカが叫ぶと、ロイクはふいっとあさっての方向を向いた。

 ……こいつっ!

 むかっとなって、黒猫に大股で近づくと、彼の首根っこを掴んで持ち上げた。鼻先が触れるほど間近で睨みつけ、声を潜めた低音で問いただす。

「なに知らん顔してるんだよ。責任放棄するつもり?」

『……お前に任せる』

「任されたって困る。お前は保護者だろ」

『オレはお前にこの家にいて欲しくない。だけど、アレットに泣かれるのも嫌だ』

「俺だって、ここに居座るつもりはないよ。でも、あんなアレットは、俺には説得できない」

『オレにも無理だ。お前の判断に任せる』

「お前に無理なものは、俺にはもっと無理だ。ロイクっ!」

 頼みの綱だったロイクと話しても、延々と押し付け合いになるだけで、どうにもらちがあかなかった。ただ、彼は判断を任せると言っているだけで、はっきり出ていけとは言っていない。

 窓辺に立っている伯爵は、腕を組んで難しい顔をしているが、昨日のように断固反対という様子でもない。ミリアンは話の行方を、わくわくしながら見ている。

「ああああ、もう。くそっ!」

 リュカは頭を、がしがし掻いた。

「お前が任せるって言ったんだから、責任はお前にある。後で文句言うなよ!」

 ロイクの鼻先に人差し指を突きつけて言い捨てると、彼そのものも床にぽいと放り投げる。そして、無言のまま自分の荷物に足を向けた。

 しかし、この時点では、まだ決心は固まっていなかった。

「行っちゃうの? リュカ」

 背後から、アレットの消え入りそうな声がする。

 あぁ、やっぱりだめだ。彼女をこのままにして出て行けない。

 観念して大きく息を吐くと、荷物にかけてあった紐をほどき、トランクを開けて、中から丸く膨らんだ袋を取り出した。

「俺の金って、小銭ばっかりだな……」

 苦笑しながら、アレットの前に戻る。そして、かなり小銭が混ざった状態で、千四百クルエ分のお金をテーブルの上に出した。

「これ、一週間分の食費。一週間泊めてくれる?」

「いてくれるの? ほんとに?」

 ぱあっと明るくなったアレットの表情に、逆に胸が痛む。

 これは、問題を先延ばしにしたに過ぎない。

 一週間後に出て行くとき、彼女は今以上に寂しい思いをするに違いないのに……。

 それは亡霊たちにも分かっているはずだ。しかし、彼らはちらちらとこちらを伺うだけで、何も口出ししてこなかった。

「でも……お金なんて。そんなつもりじゃないもの」

 アレットがテーブルに眼を落として、リュカの方にお金を押し戻した。

「だめだよ。俺がいると、食費だけでも倍以上になってしまう。君の負担になるだろ? 一人で暮らしていく大変さは、俺だって分かるんだよ。だから受け取って」

 彼女はリュカよりも三歳若い。この年で、女の子一人が自力で生活しているのだ。

 彼女に金銭的に甘える訳にはいかない。

 泊まる泊まらないの問題で妥協しても、これだけは絶対に譲れなかった。

「でも……」

「だめだ。受け取ってくれないんだったら、泊まれない」

 そう強く言うと、アレットは大人しく従った。

 一週間——。

 その間にすべての問題を片付けて、この町を出よう。

 リュカはそう決心した。

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