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お茶くらいは一緒に飲みたいって思って

 夕方近くにはなっていたが、少し傾いただけの太陽はまだ輝きを保っている。

 歩いていくうちに、石畳は土の道に変わり、建物が徐々に減っていく。かわりに畑や果樹園が増えて、目の前にのどかな田園風景が広がった。緑を渡っていく風が心地よい。

 リュカは変化していく景色を楽しみながら、アレットの歩調に合わせて、のんびりした気分で歩いていた。

 知り合ったばかりの一人暮らしの女の子の家に泊まるという、ありえない事態になってしまったが、二年の旅暮らしで順応性は身に付いている。すっぱり割り切ってしまえば、後は気にしない。リュカは彼女と、三体の亡霊たちとの時間を楽しむことに決めた。

 ごろごろと音を立てる台車の荷物の上には、鼻歌まじりのミリアンとロイクが乗っていた。その後ろから、伯爵が地面を滑るようについてくる。

 遠くに見える高台の木々の間に、崩れ落ちて廃墟となった建物が、日の光を受けて浮かび上がっていた。もともとは、かなりの規模の建物だったようだが、今は一部しか形が残っておらず、その灰色の壁も、蔦か何かが覆っていてよく見えない。

「アレット、あれは何? あの丘の上」

 その声に、アレットがリュカの指差す方向を見た。

「あぁ、あれはラグドゥース国王の城跡よ。この町はもともと、ラグドゥースという小さな国の首都だったの」

「へぇ、そうなんだ。……あ」

 突然、背後に、大きな負の感情が膨らむのを感じた。

 身が切られるほど悲しく、息ができないほど辛い。全身をがんじがらめにするような強烈な絶望感。

 後ろを振り返らなくても分かる。この感情は……。

 リュカが顔をしかめた。

「それでね、ラグドゥースは……」

「いや、説明は今はいいよ。あれは……伯爵に関係する城なんだね」

 伯爵が悲しみに捕われてしまったのは、きっと彼女の話がきっかけだ。

 朽ち果てた城と、二百五十年ぐらい昔の亡霊だという伯爵。あの城がラグドゥースという小国の権威の象徴だったころ、伯爵は生きていたに違いない。そしてそこが、悲劇の舞台となったのだろう。

「なんで、分かるの?」

「後ろで、伯爵が泣いてるんだ」

 きょとんとした顔のアレットに、視線で背後を指し示す。

 そこには予想通り、涙をこぼしながら遠くの城跡を仰ぎ見る伯爵の姿があった。



 アレットの家は、町の南はずれにあった。手入れの行き届いた、二階建てのこぢんまりした家だ。小さな庭には、観賞用とも食用とも違う、見慣れない植物が色とりどりの花を咲かせていた。

「どうぞ」

 アレットに案内されて家の中に入り、眼を見はった。

 中はまるで何かの工房のようだった。

 テーブルの上に、大きな白い布が広げられている。針箱、針山、はさみ、白い糸の束。男のリュカには、全くなじみのないものが、散らばっている。

 部屋の隅には大きな寸胴の鍋が掛けられた釜と、色粉が入った瓶の棚。天井から吊るされた竿には、輪に束ねられた色とりどりの糸や、乾燥された植物の束が、沢山ぶら下げられていた。

「へぇ……すごいや」

 まるで、魔法使いの家……。

 不思議な場所に迷い込んだ気がして、リュカが物珍しそうに辺りを見回した。

「きゃ。今日、急いでいたから、そのままだったわ。ごめんなさい。今、片付けるから」

 アレットが慌てて、しかし細心の注意を払って、テーブルの上を片付け始めた。

 彼女がふわっとたたんだ、柔らかに透ける白い布には、よく見ると、片方の布端に白い花模様がついている。綺麗だが、繊細すぎて全く実用的ではない。

「それは、何?」

「これは、花嫁さんのベールなの。綺麗でしょ? わたしは刺繍職人なの。これはまだ途中だけど、わたしが刺繍したのよ」

 彼女の柔らかな笑顔に、仕事への思い入れや自信が、透けて見える。変わった娘ではあるが、なかなかどうして、しっかりしているようだ。

「仕事かぁ。頑張ってるんだね」

 感心して言葉をかけると、彼女の笑顔が一層深くなった。

「お茶、いれるね」

 片付け終わったアレットが、軽やかな足音をたてて部屋の奥へ行ってしまった。

 周りを見回しながら、どうしたものかと思っていると、ロイクが足元に寄ってくる。

『座れば?』

「あぁ」

 勧められるままいちばん近くの椅子に掛けると、ロイクがテーブルに飛び乗った。

『もともとは、アレットの母親が刺繍職人だったんだ。アレットも母親に教えられて、十歳までには、もう、仕事としてやっていける腕前になった』

「彼女のお母さんは、どうしたんだ?」

『二年ほど前に、病気で亡くなった。父親はアレットが物心つく前に、死んだらしい。オレは一年ちょっと前に……』

「そっか。だから一人暮らしなんだ。でも、彼女すごいね。あの年で、ちゃんと仕事をして、生活してるんだから。この家も維持してるんだろ?」

 リュカは彼女の姿が消えた部屋の奥に、ちらりと視線を向けた。

 彼も二年ほど前から、旅芸人として一人で生きているが、これは自分で選んだ生き方だ。両親や兄弟は故郷に健在だから天涯孤独の身という訳でもない。

 アレットが母親を亡くしたのは、十四歳の頃。その若さで、否応無しに一人で生きていくことになってしまった彼女は、どれほどの寂しさと苦労を味わってきただろう。

 それに、自分のような身一つで渡り歩く気ままなその日暮らしより、責任ある仕事を持ち、家を守る彼女の生き方の方が、よほど大変そうに思える。

『まあな。あいつはああ見えて、かなり腕のいい職人なんだよ。腕前はとっくに母親を越えている。花嫁のベールを任されるほどの職人は、この町には数人しかいないんだ』

 ロイクはまるで自分のことのように、目を細めて自慢げに語った。

「お茶がはいったわ」

 両手でお盆を持ったアレットが戻ってきた。

 テーブルの上にいたロイクが、丸い影に囲まれたのに気づき、慌てて飛び退く。

 しかし、僅かに遅れた。

『ふぎゃっ!』

 尻尾の先にお盆を置かれて、ロイクが悲鳴を上げた。

 リュカが爆笑する。

「え? どうしたのロイク」

 悲鳴を聞いたアレットが、オロオロと辺りを見回した。彼女には、涙目で尻尾を舐めているロイクの姿が視えていないのだ。

 ロイクも話ができる状況ではないから、リュカが笑いをこらえながら説明する。

「ははは……。今、お盆でロイクの尻尾の先を踏んだんだよ。ははっ、視えないって、面白いな」

『リュカ。てめぇ、笑うなっ!』

「ごめんなさい、ロイク。またやっちゃったのね」

 アレットは申し訳なさそうにそう言うと、お盆の上からミルクの入った小皿を取り、テーブルに置いた。お盆には他に、ティーカップが四つとポット、小さなかごに盛られた焼き菓子が乗せられている。

 ロイクが小皿に近づいて、おいしそうにミルクを舐めた。舐めても、水面は全く動かないし、減りもしない。

 窓の外をながめていた伯爵と、部屋の隅で遊んでいたミリアンもテーブルに近づいてきた。

 それぞれが、当然のような顔で手を伸ばし、幻のカップを取っていく。ミリアンはもう一方の手でお菓子を一つ取ってほおばり、さらにもう一つ取った。それでももちろん、かごの中のお菓子が減ることはない。

「いつも、こうやってお茶してるの?」

「ええ。食事までは準備してあげられないから、お茶くらいは一緒に飲みたいって思って。みんな、喜んでくれるし。それに、テーブルにティーカップ一つだけじゃ……ね」

 アレットが少し寂しそうに笑った。

 リュカには四人と一匹の、和やかなティータイムに見える。しかし今、アレットの眼に映っているのはリュカただ一人。普段、この家には彼女以外、誰の姿もないのだ。

 確かに、亡霊たちが視えたなら、寂しくないかもしれないな。

 そう思いながら、リュカはお茶をすすった。

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