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契約なんかしなくても分かってもらえるんだな

 淡いグリーンのカーテンの隙間から、眩しい朝日が入り込んでくる。あんなにうるさかった小鳥のさえずりが、だんだん小さくなってきた。

 昨晩、ラファエルにさんざんいじられて、ベッドに戻ったときにはどっと疲れていた。その後ようやく眠りについたのだが、寝付いたのが明け方近くだったから、夜が明けてもまだまだ眠い。朝日を避けて、シーツに丸く包まる。

 さっきから時間をおいて、何度も部屋の外で人の気配がする。足音を気にしながらドアに近寄り、しばらくすると諦めたようにそっと去っていく。

 それがアレットだということが分かるから、リュカは妙な幸せに浸りながらまどろんでいた。だけど、いつまでも放っておくのはかわいそうだ。

「アレット、いいよ。入っておいでよ」

 声を掛けると、アレットがドアを少し開けて、隙間から顔をのぞかせた。

「リュカ、あの……」

「おはよ」

 寝不足のあくびをかみ殺しながら、ベッドに起き上がる。

「おはよう。ごめんなさい、起こしちゃった?」

「いや……。もう、すっかり朝だもんな。どうかしたの?」

「朝起きたら、このクロスが首にかかってたんだけど……。これ、リュカが?」

 アレットが、握っていた右手を開いてみせた。掌には、銀色に輝く小さなクロスが乗っている。

「ああ……それは、俺じゃないよ。ラファエルがくれたんだ」

「ラファエル?」

「そう、一応、大天使の……悪魔みたいな奴だけどね。そう言えばそのクロス、夕べ、ちゃんと見てなかったな。ちょっと見せて」

 その言葉に、アレットがベッドに近づいてきて、クロスを乗せた右手を出した。

 リュカは手を伸ばすと、そのクロスを手に取るのではなく、彼女の手首をつかみ、ぐいっと引っぱった。

「わ、きゃ……」

 よろけてベッドの端に倒れるように座り込んだ彼女の手から、笑いながらクロスを取り上げる。

「あれ? ……これ」

「そう。リュカのクロスとそっくりでしょ?」

 リュカが、自分のクロスを首から外して、ベッドの上に二つを並べて置いた。

 カントルーヴのボトニーと呼ばれるリュカのクロスは、先端がクローバー型で、中央のサファイアの周りに翼の意匠があしらわれた大型のものだ。

 アレットが持っていたクロスは、隣と比べて、サイズはふたまわりほど小さく、サファイアのかわりにムーンストーンが埋め込まれている以外は、そっくりだった。

「確かに、そっくりだな……。なるほど、魔除けのムーンストーンを使っているのか。それにしても、俺のと同じデザインなんて、あいつにしては気が利いてる……のか?」

 そう言いながら、小さなクロスを取り上げて彼女の胸元に合わせてみた。

 神秘的な白い輝きが埋め込まれたクロスは清楚な雰囲気で、アレットにとてもよく似合っている。

「リュカとお揃いね」

「そうだな……」

 声を弾ませて、すごく嬉しそうにしているアレットを見ながら、リュカは複雑な思いに捕われた。二人のお揃いのものが、ラファエルがくれたものだということが、なんだか面白くない。

「くそ……いつか俺が……」

 リュカはぼそぼそと呟くと、アレットの左手の薬指をちらりと見た。

 しかし、いくら気に入らなくても、このクロスを使わない訳にはいかない。そもそも自分がラファエルに頼んで、授けてもらったものなのだ。

 リュカは、あきらめて軽くため息をついた。

「このクロスはお守りだよ。俺が近くにいないときは、必ず身につけていて。これがあると、亡霊や悪霊が君に近づけないんだ」

 そう説明しながら、ムーンストーンのクロスをアレットの首にかけてやると、彼女の髪が細い鎖の下敷きになった。

「あ、待って、俺にやらせて」

 髪を直そうとしたアレットを止めると、首元にそっと手を差し入れ、鎖の下から亜麻色の柔らかな髪を丁寧に救い出していく。彼女がくすぐったそうに首をすくめるのが楽しい。髪を全部外に出してしまうと、今度は乱れた髪を長い指で丁寧に梳いていく。

 やがて、すっかり綺麗に整えられた艶やかな髪に、リュカ満足そうに目を細めた。

「はい、綺麗になったよ」

 そう言うと、アレットの肩を抱き寄せ、軽く口づける。

「さて……と、今日の朝ご飯は何?」

 恥ずかしそうに頬を染めるアレットに微笑みかけながら、ベッドから降り、大きく伸びをする。

「あ……うん。そば粉のガレットを焼こうと思ってるんだけど」

「え? ガレット……」

「リュカ、前にガレット好きだって言ってたわよね。違ったかしら?」

 その言葉に驚いて、まだベッドに座っているアレットを見下ろした。

 そば粉のガレットは、ベリアルに提示した、彼女との追加契約の最初に挙げたものだ。

 彼女は、この話をあのとき聞いていなかったはず。以前に自分が話した、こんな些細なことでも憶えていてくれると思うと、すごく嬉しい。

 そう言えば、着ているドレスも淡いピンクだ。自分の好みに合わせてくれていると思うのは、うぬぼれだろうか。

「ははは……。契約なんかしなくても分かってもらえるんだな」

「契約? なんのこと?」

 アレットがリュカを見上げて、怪訝な顔をする。

「なんでもない、こっちの話。ちょうどガレットが食べたかったんだ。うれしいよ」


 この先ずっと続いていくはずの、二人の日々の最初の朝だ。


「行こう。もう、お腹がぺこぺこだよ」

 笑顔でアレットの手首を取り、引っぱるようにしてベッドから立たせる。

 そして、そのまま指を絡めて手を握ると、二人で部屋から出て、階下に降りていった。



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