お前、何者?
「えぇと、ミリアンでいいのかな? 五、六歳ぐらい?」
『六歳よ』
「そっか。肩ぐらいの長さの、ちょっとくせのあるブロンドだね。瞳はグリーン。うーん……ミリアンは泣かない?」
これ以上は、彼女の傷に触れてしまいそうだ。
さっき、不用意なことを言って伯爵に泣かれてしまったので、少し慎重になる。
『泣かないわよっ。アタシ、強いもん』
「そっか。……君、病気だったんだね。痩せ細ってて、いくら亡霊だとしてもすごく顔色が悪いよ。今着てる白いドレスは、寝間着なんだろ? 足も裸足だし……」
子どもらしく無邪気な少女だが、その姿はかなり痛々しい。彼女の短すぎる一生は、苦痛に苛まれたものだっただろう。
『すっごーい。ホントに視えてるんだね。そうよ、アタシは生まれたときから身体が弱くて、ずっとベッドから離れられなかったの。でも、今は自由よ。アレットに憑いちゃってるから、一人で遠くには行けないけど、生きてたときにできなかったことが何でもできるんだもん。アレットと一緒だったら、ブランコにだって乗れるのよ。それから、それから……』
少女の、いつ終わるともしれない言葉を聞きながら、リュカがふと考え込む。
遊べなかったことが心残りだったのなら、それが満たされれば、天に召されるのが普通だ。なのに、この娘はどうして、この世に残ってるのだろう。まだ、遊び足りない? それとも、他の理由があるのだろうか……。
『リュカ。ねぇ、聞いてる?』
「あ、あぁ。聞いてるよ。アレットにたくさん遊んでもらったんだよね?」
ミリアンの不満そうな声で我に返り、ごまかすように笑った。
「あとは、君かな? 黒猫君」
視線を感じて眼を落とすと、アレットの膝の上の黒猫と眼が合った。
『ロイクだ』
「ロイクは……あれ? 俺、勘違いしてた。君は他の二人と違って、アレットに取り憑いてる訳じゃないんだね。彼女に寄り添っているだけで」
『そんなことまで、分かるのか』
それまでアレットの膝に丸くなっていたロイクが、驚いた様子で、前足を立てて座りなおした。金色の丸い瞳で、じっとリュカを見る。
「うん、分かるよ。君はアレットに飼われていたんだね。彼女が心配で一緒にいるってことなのかな。あぁ、真っ黒だと思っていたら、胸のあたりが少し白い」
その言葉に、アレットが瞳を輝かせた。
「そうよ。ロイクはうちで飼ってた子なの。一年以上前に死んじゃったけど、それからもずっとわたしと一緒にいてくれてるの。すごいわ。本当に視えてるのね。ロイクには本当に胸のあたりに白い毛があったのよ」
嬉しそうに話すアレットの膝で、黒猫は何かを探るような眼で、じっとリュカを見上げている。
「なに? ロイク」
『……お前、何者?』
ゆっくりとした低い声。瞳孔が糸のように細くなった金色の瞳が、ぎらりと光る。
まいったな。この猫、なかなか鋭い。
「何者って……俺、ただの大道芸人だよ。さっきの奇術、見ただろう? 他にもいろんな技があるんだ」
作り笑いで話をはぐらかそうとしても、ロイクは食い下がってくる。
『そんなことを聞きたいんじゃない。なぜ、オレたちのことが視える? なぜそんなに詳しい』
「なぜって言われてもねぇ……。俺の家系って、視える人が多いんだよ。俺も霊感が強い方で、小さい頃からさんざん視てきたから、慣れもするさ」
『さっき……』
「いいなぁ……。わたしにも視えたらいいのに。どうしたら、視えるようになるの?」
ロイクがさらに何か言いかけたところで、アレットがつぶやくように口を挟んだ。黒猫は水を差された様子で、不機嫌そうにふいと横を向く。
「視えない方がいいよ。この人たちだけ視えるんならいいけど、そう都合良くはいかないからね。もっと怖いものまで全部視えちゃう」
「でも……視たいわ」
しょんぼりとうつむくアレットに、ロイクが首を伸ばし、なぐさめるように彼女の顎に頭をすり寄せる。しかし、彼女はそのことに気付いていない。おそらく、黒猫が自分の膝の上にいることすら、実感できていないだろう。
「そうだなぁ……普段から視えるようにするってのは無理だけど、写真に撮るのはどう? 少なくとも、どんな姿をしているのかは分かるよ」
「そんなことできるの?」
「俺がシャッター切れば、多分写る」
じゃあ……と瞳を輝かせてアレットが立ち上がりかけたとき、遠くからかなりの勢いで近づいてくる、不気味な気配を感じ取った。
「待って! じっとしてて!」
リュカが右手を伸ばして、彼女を制止した。
アレットの膝の上のロイクが、身体を低くして毛を逆立てている。ミリアンは、おびえた顔で、アレットの膝にすがりついている。伯爵が、背後から滑るように出てきて、アレットを庇うように前に立ち、腰のレイピアに手を掛けた。
リュカと伯爵、黒猫が見つめる先。広場を歩く人々の中に、禍々しい姿があった。
裕福そうな身なりの中年の男の亡霊。もはや怨霊と言ってもよいほどの霊体だ。狂気をはらんだぎらついた眼を、アレットに向けている。
怨霊はにたりと笑うと、滑るようにこちらに突進してきた。
伯爵がレイピアをすっと抜き、細い剣先を真っすぐ男に向けて構えた。伯爵の身体がふっと動いたと思った瞬間、針のような切っ先が突進してきた怨霊の胸を貫いた。
怨霊は恐ろしい悲鳴を上げ、霧のように消えていく。
あっという間の出来事に、リュカが思わず口笛を吹いて、手を叩いた。
「伯爵、やるねー。すごいや!」
伯爵が、リュカとアレットの間をすり抜けざまに、口の端で笑ってリュカを見下ろした。その琥珀色の瞳は、さっきまで大粒の涙を落としていたとは思えないほど、自信にあふれ、凛とした気品があった。
亡霊が亡霊を刺したところで、刺された方が消滅する訳ではない。それでも、こうやって脅しておけば、二度とアレットに近づこうとはしないだろう。
「そっか、こうやってアレットを守ってるんだ……」
感心してつぶやくと、それまできょとんとしていたアレットが、何かに気付いたような顔になった。
「え? もしかして、わたし……また?」
また、と言うからには、これまでにも何度もあったことなのだろう。
「うん。今の恐いヤツ、視えてなかったんだろ? だから、視えない方がいいんだよ。伯爵のかっこいいところまで視えないのは、ちょっと、もったいないけどね。はははっ。……さてと。写真館って、近くにある?」
「うんっ」
リュカが笑って立ち上がると、つられて笑顔になったアレットも、勢い良く立った。
おかげで、膝にすがりついていたミリアンがぺたりと尻餅をつき、膝の上のロイクが地面に転げ落ちた。
「……ぷっ」
リュカがその無様な様子に思わず吹き出すと、彼らは抗議の視線を向けてきた。




