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馬鹿だな……お前

「十八番目。俺がこの娘に印をつける」

「なっ!」

 いきなり方向転換したような発言に、さすがのベリアルも、ぎょっとして、何も言い返せずに固まった。

「お前、印がついた女はいらないんだろ? 俺との契約が終わっても、この娘はお前の手には入らない。俺のものだ!」

 リュカがにやりと笑い、勝ち誇ったように堂々と宣言した。

 悪魔がぎりぎりと歯噛みして、睨みつけてきた。一方的に人間にやり込められた怒りに歪められた美貌は、鳥肌の立つほどの凄まじさだ。

 しかし、勝利を確信したリュカは全く動じない。怒りを逆なでする涼しい顔で、悪魔の真っ正面に立っていた。

 やがて、リュカを相手にしても、どうにもならないと悟ったのか、悪魔は石の床に座り込んでいる琥珀色の眼のアレットに視線を移した。

 伯爵が乗り移っている彼女の横で、ロイクが全身の毛を逆立てて、威嚇するように牙をむいた。ミリアンはリュカの言いつけ通り、悪魔を見ないように床に伏せて震えている。

 白い悪魔が、透明な水色の瞳を細め、美しい唇にようやく微笑みを取り戻し、ゆっくり口を開いた。

「その娘の中にいる者。その身体をここまで運んでもらえないかい」

『断る!』

 間髪入れず、伯爵が拒絶した。

 断られるのは織り込み済みのベリアルは、ここで悪魔の決まり文句を使う。

「かわりに、お前の望みを何でもかなえてやろう」

『……断る!』

 囁くように告げられた甘い誘惑を、伯爵はもちろん拒絶したが、そこに一瞬の動揺が生まれた。

 それを読み取った悪魔が、ほくそ笑む。

「ほぉ。会いたい女がいるんだな。なるほど、ラグドゥース王女アマンディーヌとは、お前は眼が高い。確かに、彼女はいい女だ」

『彼女を知っているのか!』

「ああ、知っているも何も、あの女の魂は私が持っている。手放すのは惜しいが、その娘の身体と引き換えに、アマンディーヌの魂をお前にくれてやろう」

 悪魔は、顔にかかる銀色の髪をかきあげながら緩慢に顎を上げ、伯爵を斜に見下ろした。

「なんだって!」

 リュカが眼を見開いた。

 目の前の悪魔が、王女の魂を持っている。二百五十年前に、彼女の魂を奪ったのは、この悪魔だったというのか。

『あぁ……アマンディーヌさ……ま』

 伯爵の乗り移ったアレットが、雷にでも打たれたような表情になった。

「アマンディーヌを愛しているのだろう? ならば、何を迷うことがある。その女を私に差し出しさえすれば、お前の望みは叶えられるのだ。さあ、お前の欲望のままに……」

 この男なら手玉に取れるとふんだ悪魔が、さらに優しく妖しい声音で、伯爵を誘う。

『あ……あああぁぁ……』

 琥珀色の瞳から大粒の涙がぼろぼろと落ちる。華奢な肩が痙攣したように震え始める。

「まずい。伯爵っ!」

 悪魔と伯爵の会話がこれ以上進むのは危険だ。つい口走った言葉が、命取りになることもある。

 リュカは伯爵を慌てて背にかばって前に出ると、二人の会話を断ち切るように、声を張り上げた。

「悪魔の言うことを信じるな! 本当に王女様の魂を持っているかどうか、怪しいものだ!」

「嘘だというのか」

「はん、信じろというのか。虚偽と詐術の貴公子、ベリアル!」

 吐き捨てるように言った悪魔の二つ名に、ベリアルは眼を細めた。

 ベリアルは人を欺くことに長けた悪魔だ。伯爵の思考を読んで、話を合わせている可能性もある。

「ならば、見せてやろう」

 悪魔は唇の端を少し持ち上げて妖しく笑うと、優雅な動きで右手を横に広げた。

 白い霞のようなものが掌から流れ出し、徐々に人の形になっていく。

 やがて、もの言いたげな悲しい表情を浮かべた美しい女性の姿が、おぼろげに浮かび上がった。

 正真正銘の王女の魂であることは、リュカにも伯爵にもはっきりと分かった。

『アマンディーヌ様!』

 アレットの姿をした伯爵が顔色を変えて立ち上がり、両手を伸ばして悲痛な叫び声を上げた。しかし、そのはかない姿は、はっきりとした輪郭を取ることもなく、伯爵の目の前でゆらゆら揺れて空気に溶けていく。

『あ……あぁ……』

 伯爵が、彼女に触れられなかった手を力なく落とし、うつむいて唇を噛んだ。

 悪魔はそんな彼の様子を、さも面白そうに眺める。

「ここまでだ。お楽しみは後に取っておく方がいいだろう?」

「馬鹿だな……お前」

 リュカが苦い顔で呟いた。

 これで伯爵が思い通りになると思うのは、悪魔ならではの発想だ。人の感情はそんなに単純なものではない。そしてそれは、亡霊になっても変わることはない。

「さあ、その娘の身体をこっちへ。アマンディーヌの魂と交換しようではないか」

 悪魔が両手を前に差し出し、うっとりとした声で囁きかける。

『こ……とわ……る』

 伯爵は掠れた声でそう言うと、きっと顔を上げた。握りしめた両手はわなわなと震え、琥珀色の瞳は怒りに満ちている。

 その様子に、悪魔が意外そうな顔をする。

「断る? なぜ? お前は彼女が欲しいのだろう?」

『お前がアマンディーヌ様の魂を奪ったのだろう! よくもそんなことを、ぬけぬけと言えたものだ。彼女の魂はこの男が取り返してくれる。そうだろう、リュカ』

「ああ、任せろ」

 リュカは、琥珀色の瞳に力強く頷いてみせると、魔法円の中心に移動し、射抜くような眼で悪魔を見た。

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