言ったでしょう? これはいわつくきの蝋燭だって
さっきまで何も持っていなかったそこには、使いかけの太い蝋燭が一本。
「……蝋燭? お前、それをどこから……?」
「ふふふ。これはマノンお嬢様ご所望の、いわく付きの蝋燭」
軽薄な態度から、一変して怪しい雰囲気を身に纏う。
片目に赤いメイクを施した顔で、斜め下から男を睨み、にやりと口角を上げてみせると、男はぎょっと身を引いた。
「で、でまかせを言うな! こんなどこにでもありそうな蝋……」
明らかに動揺している男が、それを隠そうと言葉を荒げる。
リュカはその言葉を遮るように、蝋燭を握った手を男の目の前に突きつけた。
黒く焦げた蝋燭の芯に、ぽっと小さな火が灯る。
「ひっ……」
「言ったでしょう? いわく付きの蝋燭だって」
どこにでもあるように見えるが、実は奇術用に細工してある。そういう意味では、いわく付きの蝋燭だ。いきなり火をつける芸当など、奇術師のリュカにとっては朝飯前だ。
子どもたちを喜ばせるつもりで準備したのに、まさか中年のおじさんを脅すために使うことになろうとはね。
心中で苦笑しながら、表の顔でにやりと笑って、蝋燭をさらに男の顔に近づけた。
男の意識が、蝋燭の火と自分の顔に完全に向いたところで、左手で髪をかきあげるように見せかけて、発火性の粉を風に流す。
「危ないっ!」
次の瞬間。ぼっと音を立てて、蝋燭の火が大きく燃え上がり、男の前髪を焦がした。
「うわっ。あちちち……」
男は慌てて短剣を放り投げると、両手で前髪を払いながら後ずさった。髪の焼ける独特の臭いが立ったが、すぐに消し止めたおかげで、火傷はないようだ。
男は焼けこげて縮れた前髪の火が消えたことを確認してから、声を張り上げた。
「てめぇ、なにしやがる!」
「だ、大丈夫ですかっ!」
リュカはその男以上の大声を出して、男に駆け寄った。無惨な髪に手を伸ばし、それから芝生にぺたりと座り込んで頭を抱える。
「うわぁぁぁ……どうしよう。大変なことになってしまった」
「……何だ? ちょっと髪が燃えただけだ。もう火は消えただろう?」
「違うんだ。消えたんじゃなくて、あんたの体に入り込んでしまったんだよ。その火は一日もしないうちに、あんたを内側から燃やしてしまう」
「な、何を言っているんだ。内側から……燃やすだと? そんな、馬鹿な話があるものか!」
「言ったでしょう? これはいわく付きの蝋燭だって。この蝋燭は強い呪いがかけられているんだ。勝手に火がついて、人間に燃え移り、その人間を体の芯から焼き尽くす、恐ろしい呪いが……」
俯いたまま、あえてゆっくりと低い声で告げた言葉に、男は震え上がった。
魔術が使えなくても、奇術と話術と演技力がある。
この男は、地下室で行われていることを知っている。だからこそ、リュカの奇術が魔術に見え、火が燃え移っただけの自然現象を呪いと信じ込む。
「そんな……」
絶望に捕われた男が地面に崩れ落ち、リュカにすがりついた。
「た、た……助けてくれ! ど、どうしたらいいんだ。どうしたら呪いが解けるか教えてくれ。俺には妻も子どももいるんだ。まだ、死にたくない!」
「残念ながら、俺にはどうにもできないよ。でも、この蝋燭を欲しがったのはマノンお嬢様。あの人ならきっと……」
「そ、そうだな。お嬢様なら……」
希望を見出して立ち上がった男に、リュカは蝋燭をぽいと投げ渡す。
「忘れ物」
「ひえぇぇっ!」
呪いの蝋燭だと信じ切っている哀れな男は、怯えた様子でその蝋燭をはたき落とした。そして、飛び退るように蝋燭が落ちた場所から距離を取る。
「その蝋燭を持っていかないと、呪いは解けないよ。ほら、早く拾って」
これだけ恐慌に怯えていては拾えるはずがないと分かっていながら、最後の仕上げに意地悪い言葉を投げる。
「お、お……お前が持ってこい!」
「了解」
目論見通りの展開に、リュカはにやりと笑って、蝋燭を拾い上げた。
男が駆け込んだのは、使用人たちが寝起きしているらしい、離れの建物だった。本館までは、片側が壁、反対側が吹きさらしの屋根付きの通路で結ばれている。
その通路を使って本館に入るのかと思いきや、男は通路脇の壁に手をかけた。
がたんと音がして細く開いたのは、石壁を模した扉。その向こうに、ひと一人が通れるぐらいの細い隙間がある。通路の壁が二重になっていたのだ。
「行くぞ」
男は自分に降り掛かった呪いのことで、頭がいっぱいらしい。リュカへの警戒も忘れ、その細い通路に先に入っていく。
石壁の隙間から光が入るだけの薄暗い通路をしばらく歩くと、本館に入ったらしく、少し通路が広くなった。等間隔に灯された蝋燭のゆらめく光の中を進むと、角を曲がったところに、下に降りる階段があった。
男とリュカとではかなり身長差があるが、階段を先に降りる男とは頭の位置がほぼ同じだ。
「そうだ、あんたがさっき落としたものを返すよ」
残りあと数段になったところで、リュカは、拾っておいた男の短剣を取り出すと、切っ先をちくりと男の背中に立てた。
「ひっ……」
「騒ぐな!」
男の首に腕を回して口を塞ぐ。
「安心して。蝋燭の呪いなんて真っ赤な嘘だよ。だから、のんびりここで寝てて」
そう耳元で囁くと、短剣をくるりと逆に持ち替え、男の首筋に叩き付けた。
男はぐっと詰まった声を上げると、階段に崩れ落ちた。
「ここまで連れてきてくれて、ありがとね」
そう言うと、気を失った男を階段から引きずり降ろし、どこからともなく取り出したハンカチとロープで、きつく縛り上げた。




