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先日はどうも

 先日訪れたラグドゥース教会のすぐ裏手に、その孤児院はあった。

 周囲を囲む木々が、居心地の良い陰を作る小さな中庭に、幼児から十代前半の子どもたちが三十人近く集まっている。孤児院にしては人数が多すぎるから、おそらく、近所の子どもたちも来ているのだろう。後ろの方には、子どもの世話をしている修道女などの姿も見えた。

 リュカは無言で子どもたちの前に出て行くと、突然空を見上げ、両の掌を上に向けて前に出した。雨のパントマイムだ。

 ポツポツ降り出した雨が、暴風雨に変わっていく。何度も派手にすっ転ぶわ、傘を開けば穴があいているわ、膝までの水たまりにはまるわ……。不運な男のコミカルな仕草に、子どもたちの大きな笑い声が何度も沸き起こった。

「やあ、すごい雨だったね。君たち、濡れなかった?」

 片足立ちでブーツを脱ぎ、中の水を捨てる仕草をしながら初めて声を出すと、子どもたちがどっと笑った。

 リュカは子どもたちの顔をぐるりと見回した後、その後方へと視線を移し、びっくりしたような顔をする。

「あああっ! 神父様、ずぶ濡れじゃないですか。お風邪を召されては大変です。拭いて差し上げますから、どうぞこちらへ」

 観客席の後ろを手で指し示し、大げさに声を掛けると、子どもたちが一斉に振り返った。皆と一緒になって笑っていた、眼鏡をかけた初老の神父が、突然の指名に驚いた顔を見せる。

「神父様だ」

「しんぷさまー」

 期待に輝く幼い瞳が集まり、神父は前に出ざるを得なくなった。

「ああ、大変。こんなに濡れちゃってー」

 リュカはどこからともなくハンカチを取り出すと、前に出てきたものの困った顔をしている神父の髪や衣服を、せっせと拭く素振りをする。そうしながら、表情を変えずに、彼の耳元でぼそっと囁いた。

「……先日はどうも。ペンズ神父」

 神父がぎょっとした顔になり、大道芸人の顔をまじまじと見た。

 赤いメイクに目が取られて分かりづらいのだが、このあたりではあまり見かけない赤褐色の髪にぴんときたようだ。

「なっ……君。カントルーヴの……」

 リュカが神父の前に立っているので、子どもたちからは二人の表情は見えない。

 神父の震える声に、リュカはにっこり笑って、口元に人差し指を立てた。

「はい、これで大丈夫ですよ、神父様。……え? 親切にしてもらったお礼がしたいんですか? じゃあ、これを持ってください」

 勝手に神父の言葉を代弁して、いつの間にかたくさん手にしていた、子どもの頭ほどの大きさの銀色の輪の一つを、神父に手渡す。

「神父様、その輪っかを真っすぐ前に出してください。そのまま動かないで」

 神父は観念したように、言われた通り、銀色の輪を子どもたちに向かって差し出した。

 子どもたちのわくわくした視線が、輪っかに集中する。

 リュカは少し離れた場所から、自分の持っている輪を、神父の輪に向かって順番に投げた。輪は金属音を立ててぶつかり合い、弾き飛ばされるかと思いきや、すべて神父の輪に引っかかっていく。子どもたちはもちろん、間近で見ている神父も、驚きで声も出ない。

 いよいよ最後の輪を投げようとしたとき、リュカの目の前を黒い物が飛び出してきた。

『大変だ! マノンの家、あの犬がいた貴族の別荘だった!』

 リュカの目には黒猫の姿は視えているし、衝撃的な言葉も聞こえた。しかし、何事もなかったかのように、楽しげに最後の輪を投げる。それが見事に引っかかると、子どもたち向かって得意げに両手を上げた。

 その後、にこやかに神父に近づくと、素早く耳打ちする。

「緊急事態です。後は神父様にお任せします」

「君。お任せって……」

 神父のとまどいをにっこり無視し、引っかかった輪の一つを、彼の空いている方の手に持たせた。一つの輪に残りが全部ぶら下がった状態になっている輪を、リュカが手で揺さぶると、輪はじゃらりと一本の鎖状につながり、神父の両手から下に垂れ下がった。

 子どもたちの大きな驚きの声と歓声が上がる。

 リュカはその賑やかな声を聞きながら、傍らに置いてあったトランクを真ん中に持ってくると、それを地面に叩き付けるように置いた。

 パンという破裂音がして、トランクからたくさんの紙吹雪が吹き出した。

 紙吹雪がおさまった時、ハーリキン・チェックのハットバンドを結んだ黒い帽子だけを残し、大道芸人の姿はその場からこつ然と消えていた。

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