そうか、お前犬に
家への帰り道、ロイクはいつものようにリュカの肩に乗っていた。もう、すっかり日は落ちた。薄闇の中に黒猫の姿は溶け込み、おどおどした金色の眼だけがときどき光って見える。
「アレットを連れて行くと、伯爵とミリアンもついてくるだろ? そうすると、あの犬たちが騒ぐから、その隙に、お前が反対側から屋敷に忍び込むってのはどうだ?」
あの元貴族の別荘が、気になってしょうがないリュカは、なんとかして中を調べる方法はないかと道すがら考えていた。
『い、犬は……他にもいる、かもしれない。屋敷の中にも……いるかもしれない……』
「屋敷の中には、普通、いないだろ?」
相変わらずのロイクの怯えた様子に、呆れて言う。
『も、も、もしいたら、どうするんだ! 嫌だ、無理だ。頼む……勘弁して、くれ』
相手が天敵とはいえ、この極端な怯えようはなんだろう?
犬だから恐い。そんな単純な理由ではなさそうだけど……。
そこまで考えて、はっとした。
「そうか、お前、犬に……」
そういえば、ロイクが死んだ理由を聞いていなかった。勝手に、病気か何かだろうと思っていたが、この様子からすると、おそらく犬に襲われて死んだのだ。もしかしたら、伯爵以上に、むごい死を迎えたのかもしれない。
ロイクの返事はない。リュカの言葉に、ただ、うつむいて身体を固くしただけだったが、きっとそれが答えだ。
「そうだったんだな。悪かった。俺一人でなんとかする方法を考えるよ」
リュカは、ロイクの背中をゆっくりと撫でてやった。
心の傷を癒すかのような優しい手に、黒猫は眼を閉じてリュカの首に身体を預けた。
リュカはずっとだまったまま、ロイクを撫でながら歩いた。黒猫はなすがままだったが、アレットの家の扉の前まで来ると、リュカの手を拒絶するようにすっと身体を起こした。表情もいつも通りに戻っている。
アレットにはロイクの姿は視えないから、自分にもたれていようが、どんな顔をしていようが問題はないが、他の亡霊たちに弱みを見せたくないのだろう。
そんなロイクを横目で見て、リュカがふっと笑った。
扉を叩くと、アレットが扉を開けてくれた。ミリアンも一緒に顔をのぞかせる。
「お帰りなさい、リュカ。ロイク」
『おっかえりー!』
「ただいま」
笑顔の出迎えに、リュカも笑顔を返す。
始めの頃は、なんとなくこそばゆい思いがしていた「ただいま」の言葉も、すっかり自然に口に出るようになっていた。
「何だか、嬉しそうだね」
出迎えの笑顔もそうだったが、家の中に戻って行くアレットの足取りが、普段より軽やかな気がした。
彼女が聞かれて嬉しいといった様子で振り返る。
「うん、あのね。今日、カスタニエさんのお店に行ったら、またマノンさんに会ったの。それで、明日、お茶に招待されちゃって……」
「お茶に?」
『招待?』
リュカとロイクが、思わず顔を見合わせた。
そんな二人の微妙な反応に、彼女は全く気付いていないようだ。スカートの裾をひらひらさせて、楽しそうに話を続ける。
「それでね、午後から、マノンさんのお家にお邪魔するのよ」
「そ、そうか……よかったな。マノンさんの家ってどの辺り?」
「場所は知らないんだけど、カスタニエさんのお店まで迎えにきてくださるっていう話だから大丈夫よ。リュカ、お腹空いたでしょ? 夕ご飯、すぐにできるわ。待ってて」
「あ、待って。鼻に……」
粉がついていると教えてあげたかったのに、そんな時間も与えてくれず、彼女は軽い足音を立てて、忙しそうに部屋の奥に消えていった。食器がカチャカチャとなる音と一緒に、鼻歌が聞こえてくる。
よっぽど、嬉しいんだな。
彼女が消えた部屋の奥に眼をやると、口元が勝手に笑みの形を作ってしまう。が、耳元でわざとらしい咳払いが聞こえてきて、慌てて表情を引き締めた。
いつもの自分の席に座ると、ロイクが肩からテーブルの上に降り、深刻そうな視線を向けてきた。
「よりによって、明日の午後か……」
リュカがテーブルに肘をついて、口元で指を組んだ。
マノンは亡霊の存在に気付いていながら、全く無視している女だ。自分以上にロイクが、彼女のことを気にしている。
『たしかお前、明日は孤児院に慰問に行くって、言ってたよな』
ロイクは落ち着かない様子で、テーブルの上を行ったり来たりしている。
「ああ。子どもたちが楽しみにしてるだろうから、予定は変えられない。予定がなくても、俺がアレットにくっついていく訳にはいかないだろうけど……。もちろんお前は、ついて行くだろ?」
『あぁ』
「マノンと直接話して、どんな人なのか見定めてこいよ」
『もちろん、そのつもりだ』
部屋の奥から聞こえてくる楽しそうな鼻歌は、まだ続いている。バターが焦げる香ばしい香りが漂ってきた。
「ロイクの取り越し苦労であることを祈るよ。アレットが、あんなに嬉しそうにしてるし」
『そうだな。……伯爵にも今日の様子を聞いてくる』
そう言うとロイクはテーブルを下り、窓から外を眺めている伯爵の元に向かった。




