甘くておいしい、幸せの味ね
「……ん……あら?」
その直後に、またゆっくり身体を起こしたアレットの瞳は、今度はアイスブルー。声も、女の子らしく高く優しい。
「やあ、アレット。ただいま」
大道芸人のメイクと衣装で、両手にナイフとフォークを二本ずつ持ち、腹の上に椅子を乗せて、間抜けな姿で仰向けに床に倒れているリュカが、にこやかに声をかけた。
声のする方を見下ろした彼女は、呆気にとられた顔になる。
「……お帰りなさい、リュカ。どうして、そんなことになってるの」
「新しい奇術の練習をしてるんだ」
アレットのしごく当然な疑問に、床に倒れたまま涼しい顔で答える。
「そうなの? ……リュカのお仕事って、大変ね」
二人のやり取りをアレットの背後で聞いていた伯爵が、声を押し殺すようにして笑っている。驚きの目を伯爵に向けると、それに気付いた彼は、口元を引きつらせながら真顔を装い、視線をそらせた。
「いたたた……た」
リュカはナイフとフォークをまとめて左手に持ち替え、右手で後頭部を撫でながら、椅子と一緒に身体を起こした。背もたれがぶつかった顎も、ずきずき痛む。きっと青あざになっているに違いない。
「ったく……あの馬鹿猫。ミリアン使って、なんてことを……」
小声でぶつぶつ文句を言いながら立ち上がり、ナイフとフォークをテーブルの上に置いた。がちゃがちゃと音を立てたその横に、見慣れない紙袋が置かれているのに、アレットが気付く。
「あら? この袋はなぁに?」
「ああ、さっきのパーティで、花嫁さんからもらったんだ。君にって」
「わたしに?」
アレットが不思議そうな顔をする。
「今日の花嫁さんがかけていたベール、この間、君が刺繍してたものだったんだよ」
「まぁ!」
「それで、俺の知り合いが刺繍したんだって教えてあげたら、その職人さんにぜひ届けて欲しいって言われたんだ。花嫁さん、君のベールをすごく気に入ったみたいだったよ。本当に丁寧にきれいに仕上げてあるって、褒めてた。ありがとう、ずっと大事にするって」
「ほんとに? わぁ、嬉しい」
彼女は両手で口元を押さえ、きらきらと目を輝かせた。
いつも人前に出ているリュカと違って、アレットの仕事は裏方のようなものだ。お客さんの声が彼女まで届くことはあまりない。だから、花嫁の心からの感謝の言葉を伝えてあげたかった。
彼女の輝くような笑顔を見ることができて、リュカも満足だった。
「袋、開けてみな」
「うん」
袋の中を覗き込むと、茶色の飴がかかった、小さなシュークリームが二個入っていた。それがどういうものなのかをすぐに理解し、アレットがさらに顔をほころばせる。
「これって、クロカンブッシュよね。素敵」
小さなシュークリームを高く積み上げて飴で固めたクロカンブッシュが、この地方のウェディングケーキだ。繊細なネージュ・リリーの刺繍に飾られた花嫁は、美しい刺繍をしてくれた職人へのささやかなお礼として、シューを二つ取り分けてくれたのだ。
「二個あるから、一個はリュカのね」
弾んだ声でそう言うと、彼女は袋からシューを一個つまんで、リュカの口元に押し付けるように差し出した。
それを反射的に口で受け取ったものの、間近で青く澄んだと視線がぶつかって、どぎまぎする。思わずシューを落としそうになり、慌てて指で、丸ごと口に押し込んだ。
「おいしい?」
アレットは、口一杯にシューをほおばったリュカの様子にくすくす笑いながら、もう一つのシューを袋から取り出すと、大事そうに半分かじった。
「うふふ、甘くておいしい。幸せの味ね」
彼女はそう笑って、かじりかけのシューを手に、また、リュカを見上げた。
祝いの菓子は、その幸せを誇示するかのように甘い。
しかし、シューより何より、アレットの笑顔がとろけるように甘くて、リュカはどうにも直視できなかった。
パーティでシューを食べさせ合っていた、新婚夫婦の仲睦まじい姿が、突然頭をよぎる。しかもその二人の顔は、なぜか自分とアレットだったりする。
うわぁぁぁ。
顔が一気に火照ってきて彼女から目をそらすと、その目の端を黒い毛の塊がかすめてぎょっとする。おかげで少し冷静になった。
「俺、メイク落としてくるから」
リュカはぎこちない笑顔をアレットに向けると、そそくさと二階に上がっていった。




