アレット、なんでそんな顔……
この町の人々は本当に陽気で温かいと、つくづく思った。
結婚パーティはかなり盛り上がり、花嫁も花婿も、大勢のゲストに祝福されて本当に幸せそうだった。パーティ用に特別に仕込んだ華やかなリュカの大道芸も大喝采を浴び、出番が終わってからも、いろんな人に引き止められて、なかなか帰してもらえなかった。
強引に料理をふるまわれ、お酒も少し入った。ほのかな酔いは帰りの長い道程ですっかり醒めたが、それでも、お裾分けされた幸福の余韻は残っていた。
「かなり、遅くなったな……」
月明かりをたよりに、ようやくアレットの家にたどり着き、扉を叩く前に一息ついた。
手にした甘い香りの漂う小さな紙袋と、思いがけない土産話に、アレットはきっと喜ぶだろう。そう思うと、口元がふっと緩んだ。
『リュカ?』
「うわ……っと、と、と。ミリアン、ただいま」
いつもはノックの後に出てくる少女が、突然、扉から顔を突き出してきたので、手にした紙袋を思わず落としそうになった。
『アレットが寝ちゃってるから静かにね』
扉をするりと通り抜けたミリアンが、口に指を一本あて、いつもより少しだけ小さな声で言う。
「寝てる? まだそこまで遅くないだろう? もしかして、具合でも悪いのかい?」
『違うわ。リュカが帰って来るのが遅いから、待ちくたびれちゃったのよ』
「そうか。悪いことしたな……」
言われた通り静かに家の中に入ると、お皿とパン、ナイフとフォークが隅に置かれたテーブルに、彼女が突っ伏して眠っていた。淡いピンクのドレスの肩が、静かに上下している。
起こしていいのかどうか迷いながら、持っていた紙袋をテーブルに置くと、とりあえず着ていた薄いコートを脱いで、彼女の肩にかけてやる。
自分のコートを羽織る華奢な背中をを見下ろしていると、切ないような、温かいような、説明しようのない不思議な感情が沸き起こってくる。結婚パーティの幸福感に、あてられたせいだろうか。
こんな風に自分を待っていてくれる人がいる家に、毎日帰って来るような生活も、悪くないかもしれない……。
そんなことを、ぼんやりと思う。
そしてどうしてもアレットの顔が見たくなり、彼女の横顔を隠していた亜麻色の髪を、そっと持ち上げた。
「え?……泣いて……」
予想外のことに、息を飲んだ。
彼女は悲しげに眉を寄せ、目頭に涙を丸く溜めたままで、静かに眠っていた。
「アレット……なんでそんな顔……」
彼女の泣きそうな顔は何度か目にしたが、涙を見たのは初めてだった。
さっきまでの、ほんのりとした幸福感が消えていき、胸が細い糸で縛られたように苦しくなる。
俺のいないところで、どうして……?
その涙を今すぐ消し去ってあげたくて、リュカは衝動的にその透明な雫に唇を寄せる。
すると突然、アレットの眼がぱちりと開いた。
「うわああああっ!」
リュカは心臓が止まるほど驚いて、慌てて飛び退いた。
アレットはゆっくり身体を起こし、こちらを向いて椅子に横に座り直すと、ドレスの下でどっかりと脚を組んだ。そして、非難するような冷ややかな眼でリュカを見据えた。
なぜかその瞳は、アイスブルーではなく琥珀色だ。
『リュカ。今のは、いただけない』
彼女の綺麗な形をした唇から発せられたのは、全く不似合いな、男の低い声。
この声……は。
「え? ええええーっ? も、もしかして……伯爵?」
リュカが、たじたじになって後ずさる。
『眠っているアレットに、何をするつもりだったんだ』
「な……何って、あの……」
『気持ちは分からんでもないが、今回はこの間とは違う』
「いや、だから……アレットが泣いていたから……その……」
アレットの顔をした伯爵にぎろりと睨まれ、あまりの事態に大混乱だ。頭の中が真っ白で、まともな言い訳もできず、もごもごと口ごもる。
『ミリアン、やれ!』
『えーっ。……でもぉ』
『いいから、早くっ』
テーブルの下では、ロイクとミリアンがこそこそと何かを言い合っている。
『う、うん』
ミリアンが決心したかのように頷くと、突然、テーブルの上にあった二人分のナイフとフォークが宙に浮いた。そして、それらは一瞬、空中に止まったかと思うと、一斉にリュカに襲いかかってきた。
「うわ……っと」
飛び回るナイフには慣れているから、とっさにそれを両手で全部受け止める。
しかし、ナイフとフォークに気を取られ、その後ろから飛んできた椅子には反応が遅れた。あっと思ったときには、背もたれが顎を直撃し、そのまま椅子に仰向けに押し倒されて、床に後頭部をしたたかに打った。
「ぐ……。い……たたた……。ひでぇ……」
苦痛に顔をしかめながらそろそろと眼を開けると、自分を押しつぶしている椅子の上から、黒猫の冷たい金色の眼が見下ろしていた。
『おお、いかん』
アレットの姿をした伯爵が、何かに気付いた様子で、慌ててテーブルに突っ伏した。
彼女の身体から霞のようなものがゆらゆらと立ち上がり、人の形をなして、いつもの伯爵の姿になった。




