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よろしくたのむよ、相棒

 立ち並ぶ木々の向こう側に、太陽の光を反射してきらめく美しい湖が見える。

 昔、悲劇のお姫様が身を投げたという伝説が残る湖だが、実際には、その伝説は間違って伝えられたものだ。遠くには、伝説のもう一つの舞台である崩れ落ちた古城が、普段見慣れたものとは違った角度で見えていた。

 あれから二日間、リュカは印をつけた地図を頼りに、一人で町の南側をかけずり回っていたが、この日はロイクも一緒だった。

 背後から、猛烈に不機嫌な気配がついてくる。

 ロイクにはついて来るように言った理由も、どこへ行くのかも、一切、教えなかったから無理もない。

『どこへ行くんだ?』

「ちょっと、面白いとこ。行けば分かるよ。多分……だけどね」

 何度目かの同じ質問に、同じ答えをもったいぶって返した後、しらじらしく口笛を吹く。それ以上話すつもりがないことを態度で示したのだが、彼もしつこく食い下がってくる。

『それで? この林の中に、何があるんだ?』

「さあねー。あるかもしれないし、ないかもしれないし……」

『オレを連れてきた理由はなんだ』

「そりゃ、一人じゃ寂しいからね」

 さっきから、一問一答のような会話が延々と続いている。

『いい加減に、しろ!』

 はぐらかしてばかりの答えに、ロイクの我慢は限界を迎えた。

 全身からゆらりと立ち上る、黒い獣の姿をした強い殺気。体を低く構えて狙いを定め、後ろ足で思いっきり土を蹴る。

 宙を舞ったしなやか体が、表面が平らな石の真上を通り過ぎた時、突然、彼の全身の毛が一斉に逆立った。そのまま空中で体が凍り付いたように硬直し、着地姿勢を作ることができないまま、猫らしからぬ無様な姿でどさりと土に落ちた。

『おお、お、お、おいっ! な、なんだこれは! ……リュカ!』

 驚いて立ち上がろうとしたが、全身が強ばってまともに動くことができなかった。

 恐怖におののく叫び声を聞きつけ、先を歩いていたリュカがようやく足を止めた。ゆっくりと振り返った顔は、満面の笑みだ。

「あぁ。やっぱり、思った通りだ」

『な……んだと?』

 リュカは呆然と自分を見上げているロイクの元まで戻ってくると、彼をひょいと小脇に抱えた。

『おいっ! や、やめろ! ここはヤバい! 戻せーっ!』

 腕の中の黒猫は固まっていてほとんど動けないから、ぬいぐるみでも運んでいるようだ。唯一動く口が、必死に抗議の声をあげているが、それを無視して先に進んでいく。そして、さっきとは別の平らな石の上にロイクを下ろした。

「この辺りが歪みの中心……というか、魔法三角があった場所。ここはさ、以前、儀式が行われた場所なんだ。残念ながら、探していた場所とは違うけどね」

 ロイクの全身の毛は逆立ち、つっぱった足はがくがく震え、立っているのもやっとの状態。きっと、正体不明の強い恐怖を味わっているはずだ。しかし彼は、荒い息の下で威嚇の唸りを上げ、憎々しげに睨み上げてきた。

 リュカはそんな黒猫の様子を横目でちらりと見て、ふっと笑う。そして、古い銀のクロスを首もとから引っぱり出して左手に握ると、土の上にかがみ込んだ。

 右手を地面に置き、静かに目を閉じる。

「大地に棲む精霊たちよ。我、汝らをこの地に召還す……」

 地面に置いた右手の周囲が、ぼんやりと発光する。

『リュカ! 早くここから連れて行け! くそっ……、何をやっている!』

 呪文に集中しているリュカには、黒猫の声は耳に入らない。

 地面に置いた右手の周囲の光は輝きを増し、光の輪となって大きく広がっていく。

 ロイクは罵倒の言葉を忘れ、呆然とその現象を見つめていた。

「……邪悪に満ちた楔を引き抜き、すべての歪みをあるべき姿に正せ」

 呪文の詠唱が終わると同時に、光の輪は残光を残して消滅した。

『…………え?』

 ロイクを拘束していた恐怖は光と同時に消え失せ、必死にふんばっていた手足がいきなり弛緩する。黒い小さな体が、石の上にぺしゃりと潰れた。

『お……まえ……、なに……を?』

 無様な黒い塊はかろうじて顔だけを上げて、恨みがましい目を向けてくる。まだ息が荒く、話すのも辛そうだ。

 そんな彼を労るように、リュカが手を伸ばして黒い背中をゆっくりと撫でた。

「ははは……悪かった。多分、お前になら分かると思ったんだ。動物は人間より敏感だって言うだろ? それって、本当だったんだな」

『悪かっただとぉ? お前、オレに何をしたんだ!』

「何もしてないよ。してないから、こうなったんだ。言葉で説明するより、経験したほうが早いと思ってさ」

 木々の間を通り抜けていく爽やかな風を頬に受けながら、リュカが満足げに笑った。

 確かに、ロイクにはこの場の異常がはっきり分かった。そしてそれが消えていくのも感じ取れた。しかし、それが何なのかまでは分からないから、ようやく力が入るようになった前足を立てて座り、金色の丸い眼でリュカを真っすぐ見てすごむ。

『確信犯だったんだな。どういうことか、説明してもらおうか』

「ほら、今お前が乗っている石もそうなんだけど、同じような表面が平らな石がいくつか見えるだろ? 伯爵は、ここに廃墟になった古い教会があったと言っていたんだけど、これはその建物の基礎の石なんだ。そして、ここで昔、悪魔召還の儀式が行われた」

『悪魔……?』

 そう言われて、あの恐怖は悪魔に起因するものだったのだと、ロイクは納得する。

「うん。悪魔が降り立った場所は、どうしても空間に歪みが生じるから、分かる人には分かるんだ。その歪みを今、俺が正常に戻したんだよ」

『なるほど……。オレにそれ分かるかどうか、試してみたっていう訳だ』

「そういうこと」

『だったら、最初から説明すれば良かったじゃないか! ったく、どれだけ悪趣味なんだ!』

 リュカは、つぎつぎと並べ立てられる不満を、ただ笑って受け流す。

 動物である彼に、悪魔の痕跡を察知する能力がある可能性は高かった。しかし、確信までは持てなかったから、事前に話をすることが躊躇われた。

 ロイクはアレットのために、この世に留まっている亡霊だ。話せばきっと、彼女の役に立てるかもしれないと期待しただろう。だけど、期待させておいて駄目だったら、どれほどがっかりするか分からない。だから、話せなかったのだ。

 憤慨する彼の背中を、ぽんぽんと叩く。

「これから、よろしくたのむよ。相棒」

『はぁ?』

「君に調査を手伝ってもらいたいんだ。二人で手分けして探せば、効率がいいだろ? それに、中を調べたい建物がいくつかあるんだ。今も使ってる建物は、俺がこっそり忍び込むのは大変だけど、お前なら人に気付かれずに入っていけるからね。手伝ってくれるかい?」

『…………』

「アレットのためなんだよ。お前にしかできないんだ。だから頼むよ」

『…………分かった。そんなに言うなら、手伝ってやろう』

 たっぷり時間をかけて、しぶしぶといった態度でそう言うと、黒猫はぷいっとそっぽを向いた。しかし、ゆったりと振れる長いしっぽが実に嬉しそうだ。

「頼りにしてるよ。ロイク」

 リュカは笑いをこらえながら、彼の頭をぐりぐりと撫でた。


 リュカとロイクはその日、日が沈むまでラグドゥースの南側を調べて回った。

『結局は、収穫なしだったな』

 丸一日、行動を共にした後の帰り道、ロイクはごく自然にリュカの肩に乗っていた。

「そうでもないさ。見つからなかったってことは、候補の数が減ったってことだろ? つまり、今後の可能性が上がったってことだ」

『……お前、前向きだな』

「はははっ。どうも」

 リュカの明るく笑った横顔を、ロイクは間近で見ていた。

 道の向こうにアレットの家の明かりが見えてきた。彼女は二人分の食事を準備して、リュカの帰りを待っているはずだ。

『なあ、リュカ』

「ん?」

『お前ずっと…………。いや、いい』

「なんだよ。言いかけて止めるなよ。気になるじゃないか」

 話の内容より、ロイクが思い悩んでいる様子が気になる。

 しかし、問い詰めると、黒猫は拒絶するように肩から飛び降り、家までの一本道を駆けていってしまった。

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