お若いとは聞いていたが、そうか、君が……
リュカは、神父に歩み寄り、右手を差し出した。
「どうも。はじめまして、神父様。お会いできて光栄です。私はサン=エティーナのリュカ・カントルーヴと申します」
普段と違う丁寧な言葉遣いで、にこやかに自己紹介する。
「はじめまして。私はレナルド・ペンズ……」
握手に応じようと伸ばした神父の右手が、途中でぎくりと止まった。
「な……んだって。サン=エティーナのカントルーヴ……」
神父の顔に驚きの色が浮かんでいる。
予想通りに固まってしまった神父の反応に苦笑しながら、リュカはシャツの下にかけているクロスを外して、掌に乗せた。
中央にサファイアが埋め込まれ、翼の意匠をあしらったクローバー型の銀のクロスに、ステンドグラスから降りそそぐ光が反射する。
「よろしければ、ご確認ください」
「カントルーヴのボトニー……」
神父は震える声で呟くと、おそるおそるといった様子で手を伸ばし、ずっしりと重い古いクロスを裏返した。そして、裏面に五芒星が彫り込まれているのを確認すると、クロスを表に戻して十字を切った。
「お若いとは聞いていたが……そうか、君が……。いや、失礼した」
神父は、まだ信じられないといった顔で、大きく息をつき、額の汗を拭った。視線を動かして、リュカの姿を顔からつま先まで眺める。
「すみません、こんな若造で。信じられないのも無理はありませんよ」
この神父のような反応はいつものことだから、リュカは快活に笑いながら、クロスを首にかけた。しかし、いつものようにシャツの下に隠したりはしない。古い銀のクロスは、リュカの胸元で独特の存在感を誇示していた。
「実は、神父様にお聞きしたいことがあって伺ったのですが」
「は、はい。なんでしょうか」
「この国……旧ラグドゥース国の、悪魔信仰について」
「そ……それは」
神父の顔色が変わったが、リュカはにこやかな表情をくずさない。
こんな反応も、想定済みだ。
全く事情が分からないアレットは、とまどいながら二人の様子を代わる代わる見ていた。リュカの声や笑顔はいつものように明るいが、いつもと違った威圧感がある。
彼が知らない人のように見えて、アレットが顔をこわばらせて少し後ずさった。
まずい……な。
リュカは彼女の様子の変化に気付き、一瞬顔をしかめたが、今はどうにもできない。そのまま笑顔を浮かべ直し、神父に向かって話し続ける。
「タブーだってことは、分かっています。しかし、今、訳あっていろいろと調べているんです。これだけ古くて立派な教会ですし、昔の資料も残っているのではないですか? 二百五十年ぐらい前のことを知りたいのです」
話を進めながら、胸にかかっているクロスに、何気ない様子で手を置く。
その無言の圧力に、神父が眉根を寄せた。
「……そうですか。《カントルーヴを名乗る者》に、ご協力しない訳にはいきますまい。ここでお話するのもなんですから、どうぞ、こちらへ。あぁ、お嬢さんはここでお待ち下さい」
タブーに触れる話のため、部外者には聞かれたくないのだろう。神父はアレットを遠ざけようとしたが、リュカは笑顔で無理を押し通す。
「いえ、彼女にも手伝ってもらっていますので、同席させてください」
「そ、それは……。いえ、分かりました」
神父は一瞬渋い顔をしたが、彼女の同行を許した。
二人が通されたのは、神父の私室らしいこぢんまりした部屋だった。書類が広げられた簡素な机と椅子、本棚、木の長椅子。窓には日に焼けた古いカーテンが下がっている。あの美しい聖堂とつながる建物だと思えないほど質素な造りであるが、聖職者の部屋はこういうものだ。
しばらく待つように言われた二人は、長椅子に並んで腰を下ろした。しかし、二人が座った位置は他人行儀に遠く、こわばった顔をしたアレットは妙によそよそしい。
「……ごめん。驚いたよね。先に話しておけば良かったんだけど」
こちらを見ようとしないアレットの顔を、そっと覗き込む。
本当は事前に説明しておくつもりだったのに、ステンドグラスの下での彼女の悲しげな表情に、すっかり話しそびれていたのだ。
「う……うん。リュカ、笑ってるのに、ちょっと恐かったわ。あの……カントルーヴって何?」
アレットが顔を上げて、おそるおそるといった様子で聞いた。
「カントルーヴは俺の名前……いや、称号みたいなものだな。二百年ぐらい昔、俺の先祖にロラ・カントルーヴっていう白魔術師がいたんだ。彼女はかなり力のある魔術師でね、今でも聖職者の間では有名なんだ。何しろ、聖人扱いされてるくらいだからね」
胸に下がる古いクロスを掌に乗せて、アレットに見せながら話を続ける。
「このクロスはロラが使っていたもの。このクロスとカントルーヴの名を受け継いだ者は、彼女の後継者として特別扱いされるんだ」
「リュカがその後継者なの?」
「うん。一族か聖職者ぐらいしか知らないことだから、普段は隠してるけどね。さっきは、あの神父さんを説得するために、カントルーヴの名とクロスを出して圧力をかけたんだ。だけど、そんなに俺、怖かったかなぁ?」
少し拗ねた調子で言ってみると、アレットがくすりと笑ってくれた。
彼女のよそよそしさが消えてほっとする。
「すごく、きれいなクロスね。見せてもらってもいい?」
「見るのは構わないけど、触らないでね。アレットが触ったら、あとでミリアンと伯爵に文句を言われるだろうから」
「どうして、ミリアンたちが文句を言うの? 何かあるの?」
「彼女たちは君に取り憑いているから、君が触った瞬間、すごく苦しむと思う。それほどの強い魔力が封じ込められたクロスなんだ。なんなら、試しに触ってみる?」
「いやぁ」
アレットが慌てて首を横に振った。
必死な彼女がかわいらしい。
くすくす笑いが止められないまま、クロスを首から外して掌に乗せ、見やすいように彼女の目の前に差し出した。
大天使ラファエルから授けられたとの、いわれのあるクロスだ。
アレットはその神聖な輝きと優美な意匠に、ほぅと溜め息をつく。
「素敵。こんなクロス、初めて見たわ。真ん中の青い石はサファイア? これは、翼の模様……かしら」
「うん。天使の翼だって言われてる」
クロスの説明をしているとドアが開く音がして、五冊ほどの本を重たそうに抱えた神父が、部屋に戻って来た。
彼は本を机の上に置くと、散らかっていた書類を簡単に片付けながら、話し始めた。




