リュカがどこかへ行ってしまうのかと
町の中央にある古い石造りのラグドゥース教会は、町の規模にそぐわないほど大きく、荘厳で立派だった。正面の上部には大きなバラ窓。その左右の奥まった場所には高くそびえる尖塔がある。伯爵が生まれる前からあった建物だというが、小国であった旧ラグドゥース国は、信仰の厚い、熱心な宗教国だったことがうかがえる。
『ねぇ、絶対、早く戻って来てよ!』
ミリアンが口を尖らせて、アレットにすがりついていた。アレットの後ろに立っている伯爵の顔も、心なしか引きつっている。
亡霊たちは、さすがに教会の中には立ち入ることができない。しかし、ミリアンと伯爵はアレットに取り憑いているため、彼女から遠く離れていることはできない。そのため、アレットが教会に入ってしまうと、彼女に引き寄せられる力が働いて、非常に苦しい思いをするのだという。
「亡霊やってくのも、大変だな」
二人の亡霊の様子を苦笑いしながら見ていると、ロイクがゆっくり近づいてきた。
『リュカ。お前、アレットと二人きりだからって……』
ロイクが、金色の眼で睨み上げている。
「二人きり?」
指摘されるまで気付かなかったが、言われてみれば、なるほどそうだ。
保護者役のロイクが何を心配しているのかを察して、彼を意地悪い目で見下ろした。
「あぁ、そうか。お前たちが来られないから、アレットと二人っきりになれるのか。ヘーぇ、それは楽しみだ」
『リュカっ!』
「はいはい。過保護だなぁ、ロイク。だいたい、教会で二人きりになったって、何するってのさ……はははっ、心配しすぎ!」
もしかしたら、年頃の娘を持つ父親ってこんな感じなのかもしれない。
小さくて真っ黒な、しっぽの長い父親……そう思うと、妙に可笑しくなる。
リュカが声を立てて笑うと、ロイクは怒って、またもやそっぽを向いた。
たまたま通りかかった修道士に神父との面会を申し出ると、丁寧な口調で聖堂で待つように言われた。リュカとアレットは、しぶる亡霊たちを置きざりにして、聖堂に向かった。
重い扉をゆっくりと開けると、まず眼に飛び込んで来たのは、床や椅子の背もたれにばらまかれた色とりどりの光。振り返って仰ぎ見ると、大きな精緻なステンドグラスのバラ窓が、美しい光を投げかけていた。
「ここに来るの、久しぶりだわ……ミリアンたちが反対するから、ずっと来られなかったの。きれい……」
アレットが顔を上げ、うっとりと目を細めた。
その様子に、リュカも微笑む。
「亡霊たちのあの様子じゃ、来られないよなぁ」
「うん。だから、一年以上来ていなかったの。懐かしいわ」
「俺も、この感じは、なんだか懐かしいな」
降り注ぐステンドグラスの光の中にいると、故郷を思い出す。
リュカはバラ窓を高く見上げると、両腕を広げ、全身に光を浴びるように眼を閉じた。
「リュカ!」
静かな中に響いた叫び声。同時に袖を強く引っ張られ、身体がびくりとなった。
目を落とすと、ついさっきまでとは全く違う、水をたたえたようなアイスブルーの瞳にぶつかる。袖をきつく握りしめた両手が、かすかに震えている。
「えええええ? なに、どうしたの?」
「リュカがどこかへ、行ってしまうかと。飛んで行ってしまうのかと……思った」
「俺が? なんで……」
袖をつかんだまま、だまってうつむいてしまったアレットに、うろたえる。
もう、なにがなんだか分からない。どうしてそんな発想になるのだろう。
「もしかして、泣いてるの?」
恐る恐る聞いてみると、彼女は弱々しく首を横に振って否定した。
ああああっ、もう! この状況、一体、どうしたらいい。
「えーと。俺の生まれた町にも、大きな聖堂があってさ……」
いたたまれない静けさに耐えきれず、とりあえず、この訳の分からない状況を無視して、話をすることにした。少しでも彼女の気がまぎれるのなら、それでいい。
「天蓋の下に、四枚の大きな天使のステンドグラスがあるんだ。東にミカエル、西にラファエル、南にウリエル、北にガブリエル。その真下に立ってると、たくさん綺麗な光が降ってきて、彼らに守られてるって気がするんだ。だから、小さい頃からよく見に行ってた」
アレットがようやく顔を上げた。袖はつかんだままだったが、もう、泣きそうな顔ではない。目が合うと、ほんのりとした笑顔すら見せてくれた。
綺麗だ……な。
赤や青の光が散らばる亜麻色の髪に、手を伸ばす。
あの大天使のステンドグラスの下で微笑む、彼女の姿を思い描く。
「本当に、すごく綺麗なんだよ。俺がいちばん好きな場所なんだ。アレットもいつか見においでよ。俺が案内してあげるから」
「……うん。行ってみたいわ。サン=エティーナってどんな町なの?」
彼女の髪は柔らかく滑らかで、そのうっとりするほどの手触りをずっと味わっていたかった。指を滑らせると、彼女がくすぐったそうに笑う。
だから、余計に手が離せない。
「ちょっと変わった町でね、さっき言った大聖堂の他に、四つの方角に小さな聖堂があって、それぞれ四大天使に捧げられてる。だから、天使の町とも呼ばれてるんだ」
リュカの手は、アレットの髪に触れたままだ。
彼女の手も、リュカの袖を握ったまま。
こんなところをロイクが見てたら、怒り狂うだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、入り口の重い扉が開く音がして、外からの透明な光が、直接差し込んできた。
「やあ。お待たせしましたね」
黒く長い法衣に身を包んだ、初老の神父が入って来た。白髪の方が多い茶色の髪を肩の長さで切りそろえ、眼鏡をかけた、穏やかな雰囲気の細身の男だ。




