ムシャナと六華《りっか》と恭介と
ガチャリと鍵が開く音が響いて玄関の扉がスッと開いた。
外の明るさが薄暗い家の中にサーッと差し込む。そして、中はシーンと静まり返り、人の気配は全くしなかった。
「どうぞあがって! 家には誰も居ないから遠慮する必要はないよ」
氷山恭介は自宅の玄関に真崎恵美を招き入れた。
「ふーん、家の人は留守なんだ。じゃ、遠慮なくおじゃまするね!」
彼女は自分の顔をジッと見詰める氷山のことに気が付いて声を掛けた――
「ん……なに?」
「真崎さんだよね……僕の知っている風紀委員のいつもの真崎さん……」
「そうだけど……?」
「だって、さっきはまるで別人みたいだったから……」
「驚いた? でも、さっきのことは皆には内緒だよ……と、言っても恭介も似たようなものだから人に言える訳もないか……」
「君には聞きたいことが色々とあるんだけれど聞いていい?」
「そうね。互いの事を知らなければ信頼関係を築くことも出来ない。だから、恭介には特別に教えてあげる。感謝しなさいよ!」
「ありがと……なら、まず最初に聞きたいのは、真崎さんの言葉遣いが変わったことかな。僕には別人にしか見えなかった」
「あれか……あれは私の中に存在するもう一つの存在。彼女が言うには、あれは前世の私らしいの。でも、生まれ変わりだから、どちらも私らしいけど……そこの所は難しくて良く分からない」
「前世!? そんな物が本当にあるの?」
「む、言ってくれるわね……彼女がそう言っているのだから、私としてはそれを信じるしかないでしょ! それに恭介の中の妖だって大概だと思うけどなぁ」
「妖!? ムシャナが妖だって!?」
「あきれた……自分のことなのに恭介って何も分かってないのね!」
「だって、アイツは自分の事は何も話さないし……そうだ、もしアイツの事を知っているなら何か教えてよ!」
「ちょっと待って! アレが何なのか知りたいのなら、私より彼女の方が適任だよ。今変わるから少し待って!」
そう言うと直ぐに彼女の雰囲気がガラリと変わった。見た目はさほど変わりないように見えるが、金色に光を帯びる瞳と人を畏怖させるような気迫が明らかに真崎恵美と違った。
そして、彼女はニヤリと笑って言った――
「ヤツの事が知りたいか……だが、その前に確認しなければならない事がある。吾の知っている『ムシャナ』かどうかをこの目で確かめないといけないな!」
「え、でも……確かめるってどうやって……」
「ムフフッ、そんなことは造作も無い。吾ほどの術者なればいとも簡単だ!」
「いやぁ、そんな、まさか……だって、ムシャナの奴は僕の体から出られないって自分で言っていたんだよ!? どうやって確かめるのさ!」
「出られないのであれば、こちらから出向くまでだ……心配せずとも吾に任せよ!」
彼女はニヤリと笑って、右手の人差し指を彼の胸に押し当てた。
すると、彼の視界の景色がグニャリと歪み、一瞬で別な場所へと移動してしまった。
――そこは彼にとって見覚えのある場所であった。
周囲が高い岩に囲まれ、草木などは一本も生えてなく、荒れた大地が広大に広がっている。
――そして、白い靄が風に漂い幻想的であり、どこかもの寂しい風景が目の前に広がっていた。
「ここは……」
そこはムシャナの領域であった。彼が自分の夢を通して何度も訪れた場所である。
「なるほど、ここが汝の内なる世界か……だが、なんとうらぶれた感じのする景色だ。もしや、汝の心の中は荒んでいるのではないのか?」
彼の目の前には白地の着物姿の女性が立っていた。
腰よりも長い髪は金色の光を帯びている。 そして、真崎恵美の面影があり、彼女をそのまま大人にした感じで、妖しく美しい『妖艶』という言葉がピッタリの女性であった。
「き、君は……!?」
「何をとぼけている。吾以外に誰が居ると言うのだ。本当の名前は忘れてしまったが、仲間達からは『六華』と呼ばれていた。汝にもこの名を呼ぶことを許そう」
「り、六華……さん?」
「アハハッ、気安く六華と呼べ! その代わりに吾も恵美と同じように『恭介』と呼ばせて貰うでな!」
「そ、それじゃ六華……君のその姿は……」
「見て分かるとおり、吾は人ではない。いや、正確には人であったが人であることを捨てた……人々からは忌み嫌われる『鬼』という存在、それが吾だ!」
「お、鬼……」
「アハハッ、そんなに怯えるな! それも昔の話だ。今では人への恨みも憎しみも全て消えた。まこと晴れやかな気分だ!」
彼は衝撃の事実に言葉を失っていた。
「う、嘘ではない! もう人への憎しみなぞ少しも残ってないぞ。その証拠に、一度人からの輪廻の輪から外れた吾が、こうして人として転生できた事が何よりの証だ!」
「信じますよ。六華からは怖い感じが何もしないし、なにより真崎さんの性格から見ても悪い人である筈がない」
「そうか、恵美のことを信頼しているのだな……ところで、恭介は何で恵美の名を呼んでやらんのだ?」
「えっ!? そ、それは…………」
「この際、ハッキリ言った方が良いぞ。この会話は吾を通して恵美も聞いておるでな!」
「それじゃ、余計に言えないよ!!」
「なんだ、意外とヘタレなんだな恭介は……」
「もう、ほっといてよ……」
この時、白い靄の中から巨大な影が姿を現した。
銀色に輝く毛に覆われた一匹の獣が顔を覗かせた。――ムシャナである。
それは音も無く近づき、二人も目の前に突然に姿を現したのだ。
「やはり、おまえか――氷結の妖異『氷姫の六華』よ……まさか、また会えるとは思ってもみなかった……」
「フッ、その名で呼ばれるのも久しいな、雷獣のムシャナ……てっきり、人間どもにやられて斃っているものと思っていたが、まさかこんな所に居ったとはな……」
「雷獣!? 雷獣って、あの落雷とともに現れると言われてる妖怪の……それがムシャナ!?」
「おお、そうだった。ムシャナよ、何で恭介に本当の事を教えてやらんのだ?」
「言えるかよ、そんな事……」
「フム、それが恭介の中に囚われている事と何か関係がありそうだな……違うか?」
「…………」
――六華の問いかけにムシャナは答えなかった。
「答えぬか……だが、吾にも少し見えてきたぞ。汝ほどの妖と渡り合えるような者はヤツくらいしか思い浮かばない。答えたくないと言うのは、そういうことなのであろう?」
「チッ…………そうだよ。おまえも良く知っている奴だよ」
「フッ、やはりか!」
「ちょっと待って! 奴って誰さ? それが僕の中にムシャナが居ることと何か関係があるの!?」
「そうだな、恭介にも分かるように親切な吾が話してやろう。あれは遠い遠い昔の話だ――」
そして、六華は自分達の過去を淡々と語りだした――
あの頃の吾は周りの全てが憎かった。人が憎くて、世の中が憎くて、吾は人であることを捨てて鬼になった。
そして、同じ目的を持つ者同士で集まり、ある策略を実行に移した。
それは京の町の破壊、生有る者の抹殺、人間への復讐だ。
吾と三人の仲間は世界を滅ぼすと誓った。
そんな中で吾らは悪鬼羅刹が住むと言われる世界への門を開いた。
その門から魑魅魍魎らをこの地へと招いた訳だが、そのうちの一匹の妖が雷獣のムシャナだった。
吾らは町を焼き、全てを凍らせ、人々の命を奪った。
だが、京の町にも国を守護する武士などが居た。中でも怪異専門に特化した退魔師と呼ばれる連中が厄介だった。
その中でも、吾とムシャナにしつこく食い下がってきた退魔師が居た。それが『奴』だ。
――残念ながら、吾の記憶は完全な物ではない。部分的な記憶しかなく、大部分が霞の中だ。奴と恭介の関係を探るには直接ムシャナから聞き出すしかあるまいな。
――六華はムシャナの目を見てニヤリと笑った。
「くっ、結局 俺が言うのかよ……いいだろう、そんなに聞きたいのなら教えてやる。あれは六華が奴に倒された後の話になる……」
「おー、そうかそうか、吾は奴に負けたのか!」
「チッ、こいつ惚けているのか? 記憶が無いというのも怪しいものだ」
「どうした? 先を話せ。勿体付けるような話でもあるまいに」
フン……俺と奴との戦いは長い時間続いた。だが、時間が長引けば長引くほど不利になるのは体力の無い人間の方だ。
そして、俺は奴に致命的な手傷を負わせた。
その時、俺は勝利を確信して浮かれていた――が、それは間違いであることに気がついた。人を見下していた俺には本質的な事が見えてなかったのかもしれない……。
驚くことに、奴は自分の中に俺を封印しやがった。
人が作り出した結界なんぞ、直ぐに壊して抜け出る自信があったが、この時は少々違っていた。
結界の中が段々と薄暗くなり、世界が終息していく感じを覚えた。
そして、抜け出す暇も無く辺りが闇に包まれ、俺はその場に閉じ込められてしまった。
直ぐに奴の命が消えたのだと分かった。
奴は、この俺を道連れに命を落とすことなど少しも恐れていなかった。手傷を負った時に逃げ出していれば拾えた命だったかもしれないのに……馬鹿な奴だ。
外界と完全に隔絶された完全な結界の中で俺はどうすることも出来ず、ただただ長い時間だけが流れていった……。
俺は全てを諦めていた。だがある時、暗闇の中で光る一点の光を見つけた。
最初、それが何だか分からなかったが、それは段々と大きくなり、ぬくもりのような温かさも感じた。
そして、その光から外の世界を覗けることに気がついた。
これによって、俺は全てを理解した。
この結界が奴の命そのもので作られていること、そして人というものは命を落としても新しい人生として生まれ変わることが出来るのだと知った。
そして、この俺の体に繋がっている鎖……最初、これは俺を拘束する為のものであったが、長い年月がそれを変えてしまったらしい。この鎖は俺と恭介の命を繋ぐ物へと変質し、決して切り離すことが出来ない物になってしまった。
俺と恭介は別々の自我を持ちながら、命はこの鎖を通して一つに綱がっているのだ。
「は、はーん……なるほど、吾も理解したぞ。だから汝は今もこうして恭介の体から出られないのだな!」
「ああ、そうだ……ここから抜け出る方法が有るなら教えて欲しいくらいだ!」
「聞いたか、恭介! 吾らは遠い過去に出会っていたようだ。再び出会ったのも因縁めいたものを感じるなぁ!」
「そんな……遠い昔に、この二人と僕が戦っていたなんて……」
「これでいいだろ、俺は少し疲れたから帰る……おまえらもとっとと出て行け……」
――ムシャナは体の向きを変えて元居た場所へと歩き出し、深い霧の中に消えて行った。
「さて、吾らも戻るか!」
「六華……アイツの話が本当なら、僕は君のことを……」
「フッ……ヤツの手前、記憶が無いと言ったが、本当は少しだけ覚えている……」
「えっ!? それだったら尚更、僕の事が憎くないの?」
「逆だよ。吾は感謝している。なぜなら前世の汝に救われたのだからな」
「救われた!?」
「そうだ。人を憎み、世界を憎み、鬼にまで堕ちて、人の輪廻の輪から外れた吾がどうして再び人間に転生できたと思う? それは前世の汝が吾に人の心を取り戻させてくれたからだ」
「人の心……」
彼は納得がいった。鬼という存在である彼女に対して恐れを抱くという感情が湧かなかった事。彼女があまりにも普通の女性のような言動や振る舞いをするので、つい心を許してしまう事。それらは彼女の心が人の心である証なのだと実感した。
「吾が息を引き取る時に彼は言った。吾を許すと……『恨みも憎しみも全て捨てて、まっさらな無垢な魂で生まれ変わると良い。世界はきっと許してくれる』こう言ってくれたのだ」
「そうか、そんな事があったのか……」
「ところで、恭介は恵美のことが好きか?」
「な、何を突然言い出すの!?」
「吾はずっと思っていた。生まれ変わったら絶対に巡り合いたいと……そして、生まれてきたのが恵美だ。だから、あまり邪険にしてくれるな」
六華は彼の体にそっと触れた。すると、一瞬で景色が彼の自宅へと戻った。
二人は向かい合って立っていた。
彼女は顔を耳まで赤く染めていて、雰囲気からして表に現われているのは、恵美の方であることは確実であった。
「ははは、凄い話だったね。さて、明日の打ち合わせでもしようか……」
すると、彼女は大きな声で叫んだ――
「あ、あ、あした!! 今日は、もう疲れたから明日にしよう。ねっ!!!」
六華と恵美は別々の人格に別れているが、同じ魂を共有している同一人物である為、表面に六華が現われている場合でも、何を考えて何を話しているのか恵美は理解しているのである。
その結果、六華の会話の内容に彼の事を必要以上に意識してしまい、恵美はこの場にこれ以上留まることに抵抗があったのだ。
「うん……真崎さんがそれで良いなら……」
「じゃ、文芸部については、また明日ね!」
――そして彼女はこの場から逃げるように帰って行った。