疑心
学園からの帰り道を氷山恭介と真崎恵美の二人は並んで歩いていた。
文芸部を調査するにあたり、対策を練りたいとの彼女の申し出により、二人は氷山の自宅へと向かっていた。
氷山は、話し合うなら教室に残ってしようと提案したが、学園の教室では誰かに話を聞かれる可能性を危惧して彼の家へと向かう結果となったのだ。
「あのさ、恭介って外見に似合わず結構強いよね」
「え、そうかな……」
「私の攻撃を軽々と避けるなんて……これでも結構ショックを受けているんだよ私……」
「いや、軽々とだなんて……こっちは必死だったのに……」
「あのまま試合が続いていたら、どっちが勝てたと思う?」
「いやだなぁ、僕が真崎さんに勝てる筈がないじゃないか。試合をするまでもないよ」
「そう? 私の攻撃を二度も避けたのに?」
「いや、だからあれは……」
「まさか運良く避けられたとか言わないでしょうね? 悪いけど、私は本気で行かして貰った。それなのに攻撃が当たらなかった……これって、私の攻撃が見えていたんじゃないの?」
「えーと、この話題はもう終わりにしない? 僕の家に行くのは文芸部の事を話し合う為だよね?」
「……恭介って私に何か隠していない?」
氷山はそれを聞いて一瞬ぎくりとした。真崎の言葉は、まるで彼の事を見透かしているようであったからだ。
「隠すって何をさ……僕には何も無いよ。試合だって、あのまま続いていたら勝つのは真崎さんに決まっているじゃないか!」
「……そう、飽くまで惚けるつもりね。それならハッキリと言ってあげる。恭介、あなたの中に有るものって何?」
心臓の鼓動が一瞬高まった。それは完全に見抜いている。そんな目を彼女がしていたからだ。
「試合の時ね、恭介の左目が赤く輝いていた。そして、もの凄い殺気と相手を退けるような威圧感が、その目から溢れていた……あれは、あなたの物とは違うと感じたんだけど、私の考えは間違ってないよね?」
彼は驚いて自分の左目に手を当てた。そのように目に見える形で現象が起きているとは思ってもいなかった。
「自分でも自覚無かった? でも、その動揺の仕方……何か思い当たる節があるのね」
『ムシャナだ……』彼は心の中で叫んだ。
彼の中に潜む獣『ムシャナ』は、外の世界を覗く時は決まって彼の左目を使う。このような事は滅多に無いのだが、彼女との試合で何かを感じて外界を覗いたのだろう。
彼女に向けられた殺気とはムシャナの物だったのである。
「ハハハッ……何を言っているのか分からないな。真崎さんの言い方だと、まるで僕が普通じゃないみたいだ……」
「そう……しらを切るつもりなんだ」
「そんな、しらを切るだなんて……」
「私はね、確信をもって言っているんだよ!」
彼の表情から笑みが消えた。それは彼女の真剣な顔付きが決して冗談などではないことを表していた。
「なぜ、そんな事が言えるのか、って顔をしているね。でも、私には分かるの……私にも有るから……恭介と同じ様な力が」
彼女は自分の手のひらを彼に見せた。
すると、手のひらの上に小さな氷の結晶がキラキラと渦を巻いた。彼女は空気中の水蒸気を一瞬で凍らせてみせた。
「私は恭介の強さの秘密が知りたかった……でも、それが邪気に満ちたものであれば話は別。そんな人とはコンビは組めないし、この学園と風紀委員からも排除させてもらう!」
「ま、待ってよ!! 何か誤解をしているよ! それに、真崎さんのその力は何なのさ! とにかく、少し落ち着いて話合おうよ!」
「私は恭介の中に何が隠れているのか興味がある。だから、その正体を力尽くでも暴いてみせる!」
彼女は攻撃の構えを取る。それと同時に空気の流れは変わり、彼女を中心に風は渦を巻き、周囲の気温が急激に下がった。
――彼女は本気であった。
『おい恭介、この女……普通じゃないぞ!』
――頭の中でムシャナの声が響いた。
「分かってる。でも、何で真崎さんにこんな力が……」
「驚いたという顔をしてるね。でも、本当に驚くのはこれからだから……」
「ちょっと待ってよ、こんな所で試合の続きをしようと言うの? さすがに、それはちょっと……」
「忠告してあげる。本気を見せた方がいいよ。でないと、どうなっても知らないから……」
普段の彼女からは感じられないほどの威圧される感覚。そして、とてつもない冷気が周囲に流れ始めた。
この力は既に人として持ち得る領域のものではなく、まさに彼女の言う『恭介と同じ様な力』なのだ。
「真崎さん……君のその力は……?」
彼の問い掛けに彼女はニヤリと妖しく笑った。
「正直に答えた方が身の為だぞ、吾はこの娘ほど優しくはないでなぁ!」
――彼女の口調が変わった。それは完全に別人と言って良いほどである。
「……君は誰だ? 真崎さんじゃない……彼女をどうした!?」
「おやおや、この期に及んで他人の心配か? だが、それは見当違いと言うもの……今は自分の身の心配をしたらどうだ!」
彼女の体から発せられる妖気に呼応するかのように彼の体の中に住み着く獣の感情がムクムクと湧き上がる――
『相手の敵意を感じる……それも、途方もない力だ』
「分かっている……」
『人間であるオマエでは絶対に勝てない。貸してやろか俺の力を……こんな奴に負けてもらっては俺が困る』
頭の中に響くムシャナの言葉に彼は声を荒げて叫んだ――
「やめろムシャナ! おまえの力は必要無い! 彼女は僕の友人だ、手を出すな!!」
氷山の言葉に慌てふためいたのは彼女の方であった。
「ムシャナ……今、ムシャナと言ったか? それが汝の体の中に秘めている力の正体か!?」
彼女はムシャナの名を知っていた。
「真崎さん……もう、やめてくれ。僕は君と戦いたくない」
「ククッ……アハハッ……なるほど、言われてみれば見知った妖気ではあるな! だが、なぜだ! 何で貴様ほどの妖が人の体の中などに居る……分からぬ。まさか、封じられているのではあるまいな!」
既に彼女から敵意は消えていた。
あの強烈な威圧感と冷気は伴に掻き消えて、彼の中の獣『ムシャナ』も今は大人しくしていた。
「あのさ……君はムシャナの名を口にしたよね。あいつの事を知っているの?」
「うん? 聞きたいか、良いだろう教えてやる。だが、こんな所で長話もあれだ……ホラ、行くぞ!」
「え……行くって、何処に……?」
「決まっておる。汝の住処だ。さっさと連れて行け、明日のことも相談するのであろう?」
「えっ……?」
呆気に取られている彼を後にして、彼女はスタスタと先を歩いていった。
「ちょっと待ってよ、君は僕の家が何処にあるのか知らないだろ? 待ってってば!」