一通の手紙
氷山恭介と真崎恵美は道着のまま浅井真美に連れられた形で風紀委員室へとやってきた。
部屋の中には委員長の西条理香子と副委員長の七神早織が居た。二人とも神妙な顔つきなのが印象的であった。
「来たか……すまないな、真崎の楽しみを邪魔してしまって」
「いえ、良いんです私の事なんて……それよりも、何か大変な事でもあったんですか?」
「うむ、これを見てくれ……」
西条が一通の白い封筒を机の上に置いた。
「これは何ですか?」
「これは廊下に設置してある目安箱の中に入っていた物よ。私が見つけたの」
――真崎の質問に七神が答えた。
委員会の仕事の用事が無い時でも西条と七神の二人はこの教室をよく利用している。喧騒とした学園の中にありながら部外者の立ち入らないこの教室は、教師や生徒の目も気にせず落ち着ける空間として重宝しているのである。
そして、風紀委員室へ訪れた七神が目安箱の中を覗いて一通の封筒を見つけたのである。
「突然呼び出してしまってすまない。委員会の仕事が無い日くらいは皆にゆっくりして貰いたいものだが、そういう訳にはいかなくなった」
「この封筒ですか?」
氷山の質問に西条は言葉を続ける。
「ああ、そうだ。封筒の裏の差出人の名前を見てみろ」
「封筒の裏の名前……?」
彼は封筒を手に取って差出人の名前を見た。
「えっ、これって!?」
「何よ、知っている人?」
彼は硬直して動かなかった。それに対して私にも見せろと言わんばかりに真崎は横から封筒を覗き込んだ。
「あ、この人!?」
それは二人がよく知る人物。
友人の眞島純子をナイフで刺殺して、自らも校舎の屋上から飛び降りて自殺をした生徒、
笹本明美であった。
「理香子先輩、何で彼女からの手紙がここに有るんですか!? 」
「彼女は何かを恐れ、そしてこの風紀委員に助けを求めてきたみたいだ……」
「助けって……彼女に何かあったんですか?」
「とりあえず、中の手紙を読んでみろ。私と七神は手紙の内容を知っているが、おまえ達三人はまだだからな」
「えっ!? 読むって……ぼ、僕がですか?」
彼は封筒の中から恐る恐る手紙を取り出した。
手紙を持つ手が小刻みに震えた。それは彼女が死ぬ前に差し出した手紙であり、何か重要なメッセージが書かれていると思うと緊張せずにはいられなかったのである。
彼はゴクリと唾を飲み込んで手紙を読み始めた。
風紀委員のみなさま、このような不躾な手紙をだすことをお許しください。
この手紙を読んで果たしてどれだけの事を信じて貰えるか分かりませんが、それでも勇気を持って打ち明けたいと思います。
私には眞島純子と言う友人がいます。ですが、最近の彼女の様子が少しおかしいのです。
私には彼女が別人のように思えてなりません。
突然の手紙で、このような事を書くとふざけているのかと気分を害されるかもしれませんが、私は至って真面目です。
純子とは親友だったからこそ、私には分かります。あれは絶対に彼女ではありません。
しかも、彼女だけではありません。他の文芸部の人達も様子がおかしいのです。
部長を始めとして他の部員の方もいつもと何かが違います。
部長達が純子に対して行った行為も忘れることが出来ません。今考えれば、あれから彼女の様子が変になったようにも思えます。
私はとても恐ろしいです。
彼女がおかしくなったのは、部長達が何か関係しているのかもしれませんが、それについは手紙では上手く表現できないので、後日伺った時にでも話したいと思います。
その時は、ご相談の程を宜しくお願い致します。
手紙を読み終えた後に残る静寂で重たい空気。手紙の主は風紀委員に相談したい事があったようだが、その内容は思いがけないものであった。
笹本明美の友人の眞島純子の様子がおかしくて、まるで別人のようだと言うのだ。
しかも文芸部の仲間達もそれに関係していて、彼らの様子もいつもと違うらしい。
これは笹本自身の思い込みであるとも考えられるが、それだけで片付けてしまう訳にはいかなかった。
なぜなら、二人の生徒が亡くなる程の大きな事件で、その原因を調べる為の唯一の手掛かりになるかもしれないからだ。
「この手紙……いつ投函された物なんです?」
真崎の質問に対して西条が口を開く――
「一昨日、七神が目安箱を確認した時は入っていなかった。事件があったのが昨日の早朝だとすると、手紙を投函したのは一昨日の我々が帰宅した後ということになるな」
「笹本さんは文芸部の人達を怖れていた。だから、ナイフを隠し持っていたと考えるのが一番しっくりと来るか……」
「結果的にそれが彼女にとってあだとなってしまった。自身を自衛する為のナイフが凶器になってしまったのだからな」
「文芸部の話だと笹本さんと眞島さんの口論が事件の原因と言ってたじゃないですか……でも、手紙の内容からすると文芸部の連中も関係している可能性が……」
「かもしれない……だが、手紙の内容だけで判断する訳にもいかない」
「……残念ね。もう少し早く笹本さんが風紀委員に相談していてくれれば……」
再び、部屋の中は重い空気で満たされる。自殺した生徒からの手紙だけでは真実が見えてこない。仮に文芸部の中で何か揉め事があったとしても、それが事件の直接の原因になったのか少々疑問が残る。
その理由としては手紙の内容があまりにも信憑性に欠ける内容であったからだ。
「……でも、分からないな……」
――静寂に包まれた部屋の中で、氷山がボソリと呟いた。
「氷山、分からない事があったら、ちゃんと口にしろ!」
「あ、校舎から飛び降りた笹本さんの事なんですけどね……彼女の事が引っかかるんです。なぜ、彼女はあの時笑っていたのかと……」
「校舎から飛び降りる時の話か?」
「ええ、口論が原因だとしても、親友を刺してしまった事への後悔の念で自殺を選んだ彼女の気持ちと、あそこで笑う意味がどうしても繋がらなくて……」
「あんた、まだそんな事を言っているの? それ、絶対に見間違いだから!」
「いや、見間違いとかじゃないよ……あの笑い方は……」
――記憶の中で、あの時の笑みが蘇る。それは、まるで彼を嘲笑するかのような笑みであった。
「浅井はどうだ? さっきから黙っているが、何か意見はあるのか?」
――西条は黙々と考えている浅井に意見を求めた。
「私は手紙の内容が気になります……彼女の友人が『別人みたい』とはどういう事でしょうか? 文芸部の人達も普段と様子が違うと書いてありますし、手紙をくれた彼女が恐れていた物が何だったのかが凄く気になります」
「私も同感だ。手紙の内容を全面的に信じる訳ではないが、あの文芸部は何か有る気がする」
「文芸部の中で何かがあった。もしかして、部の集団による虐めか何かでしょうか?」
「……かもしれない。だとすると風紀委員としては見過ごす訳にもいかなくなる。一度、こちらで調べてみる必要がありそうだな」
それを聞いて真崎が驚くように声を上げた――
「理香子先輩、調べるって……私達で、ですか?」
「他に誰が居る。そうだな……委員の仕事も有るから全員でという訳にもいかない。そこで氷山と真崎のふたりに頼みたいがどうだろう?」
「え……私と恭介の二人ですか?」
「そうだ。ふたりで文芸部の内情を探って欲しい。これは遊びでは無いぞ!」
部の内部調査など風紀委員の仕事の範疇から外れると真崎は思ったが、このような事に関心や興味をもって首を突っ込むのが西条理香子であるということを彼女は思いだした。
「でもさー理香子、この件をミクちゃんに相談しないでいいの? 一応、顧問なんだし話を通しておいた方が……」
「必要無いな!」
「あ、即答なのね……」
三久山京子――風紀委員の顧問の教諭でありながら蚊帳の外に置かれる彼女の立場を七神は少し哀れに思った。
「考えてもみろ、この手紙を教師達に見せたところで事件の真相に近づけると思うか?」
「うーん、そうねぇ……」
「この手紙には具体的な事が何一つ書かれていない。こんな手紙では誰も刺殺事件と関連付けて考えはしない。それに、あれは終った事件だ。誰も真剣に取り合わないだろう」
「そうね。ミクちゃんの場合、私達の意見に耳を傾けてはくれるだろうけど、それが頼りになるかというと、そうでもないような……」
「それどころか、この手紙を見た教師が文芸部の部長あたりを呼び出して問い質したとする。しかし、そんな事は口裏あわせをすれば簡単に言い逃れはできるし、何よりも奴らが警戒してしまう方が厄介だ」
「やっぱり、理香子も文芸部の人達が怪しいと思っているのかな?」
「分からない。だから調べるのだ。笹本の狂言という線も捨てられないが、調べる価値は有ると思う」
それを聞いて真崎は声を張り上げた――
「やりましょうよ、理香子先輩! 笹本さんが私達に頼って手紙を出したのなら、その気持ちに応えないといけない気がします!」
「やってくれるか……それで氷山の方は?」
西条は氷山に目をやった。当然、断るという選択肢の無い彼はこう言わざるを得ない――
「……はい、頑張ります」
「よし、この件の調査は氷山と真崎の二人に任せた。何か分かったら逐一私に連絡をよこすように。以上だ!」
こうして、風紀委員宛に届いた一通の手紙により彼らは動き出すことになった。
手紙を寄越した笹本明美が何を言いたかったのか、文芸部に何があったのかを調べることで刺殺事件に何か係わりがあるのかを調査しようというのである。