竹あかりの路(三十と一夜の短篇第8回)
「ケイくん。手、つなご」
「やだ」
「えー、なんで」
薫里は下唇を噛んで恵一の横顔を見上げた。恵一はコートのポケットに両手を入れたまま、瓦屋根の民家が連なる先を眺めている。
「日本人に手を繋ぐ文化はない」
薫里は歯を噛み締めるが恵一には見せず、唇の端を持ち上げ目を細めた。
「ケイくんって古風だよね。メールで自分のこと小生とか書いてそう」
「何それ。流石に、そんなことしないよ」
恵一はそれから薫里に笑った顔を向けた。
「止まないね」
雨がふたりの足元の石畳を打ち濡らしている。薫里は顔の前の両手に呼気を吐きかけ擦り合わせた。
雨上がり。
「お。やるみたい」
男たちが路地の縁に竹筒を並べてゆく。ふたりの前にもひとつ、置かれた。ゴム長靴を履いた壮年の男が、楕円の木口の内側に蝋燭を置いた。
「点けんさい」
男が発した声の後、ふたりは笑顔になる。男の手に握られていた着火男が薫里の手に渡った。
「どっから来たん」
「広島市内です」
「ほおか。まあ、中止にならんで良かったの」
ノズルの火が蝋燭の芯に移ると、竹筒の内壁がたちまちその色を抱きかかえ、発散する。
「ほいじゃあの。楽しんで来んさい」
艶めく石畳の凹凸が火の色を映している。ベンチに座った恵一は、駆け廻る浴衣姿の嬌声を聞きながらそれを眺めた。
薫里の右手にはふたつの紙コップがある。
「お汁粉。熱いよ」
恵一はそれを受け取った。
「ふあ。あったまる」
「美味しいね」
唇が紙コップに触れたまま、薫里は頷いた。
ぬかるんだ砂の小道の水溜まり。その前で。
「普明閣、登ろっか」
小道の先の石段を見上げた薫里に、恵一が左手を差し伸べる。
「手、繋がないって言ってたじゃん」
「転んだら危ない」
山門を潜ったふたりは振り返った。薫里と恵一が歩んだ路は、雨に濡れた石畳があり、泥砂の小道があり、そそり立つ石段があった。今はそのいずれもが、竹筒の火に照らされている。
「さ。もう少し。頑張ろ」
「うん」
ふたりの眼下に町がある。
「名前、決めた」
「え?」
「アカリって、どうかな」
恵一は薫里の腹を撫でた。
「どんな漢字?」
「灯に、ふるさとの里」
「可愛い。男の子のときは?」
手を止めた恵一と、薫里の視線が合った。恵一は頻りに瞬きを繰り返す。
「ああ。そっか。ごめん。今から考えるよ」
薫里は失笑して恵一の頭に手を置き、先ほどの恵一と同じように撫でた。
「ケイくんって。しっかり者に見えて、抜けてるとこあるよね」
薫里は腹を撫でる恵一の手を取り指を絡めた。薫里が握ると恵一も握り返した。
完
【補足】
広島県竹原市の町並み保存地区では、秋になると「町並み竹灯り〜たけはら憧憬の路〜」が開催される。