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シチュー

俺自身の穢れ(・・)を魔法で綺麗さっぱり拭ったあと、

そそくさとジェノバの馬車まで戻った。

既にシチューは出来上がり、

後は取り分けて配膳するだけとなっているようだ。


手際よく夕食の準備をする二人を見て、

何となく罪悪感と気恥ずかしさを感じる。

残りは虚無感といったところか……


戻った俺に気がついたアリサと目が合うと、

アリサはなぜか顔をほんの少し赤らめた。


「すまん。待たせた」


「う、うん。

あ、て、手洗いの水はそっちにあるから……」


「ああ、わかっ」……え?

それはあまりにも自然で、聞き流しそうになったが…… 

なぜ知っているんだ?

散歩だと言ったのに、

なぜ俺が手を穢したことを知っているんだ!? 


っ!! 

まさか拭いきれていなかったのか!?、と

思わず自分の右手に目をやるが、

右手は穢れ無き清純である。

……ならばアリサはなぜ……?


真白に染まる頭の中。

それでも俺の鍛え上げられた眼は見逃さない。

そう……視界の端で捉えたのは、

気恥ずかしそうに軽く俯くアリサの姿。


あぁ

間違いないほどにギルティ。

だが、もはや証拠はないはず。

どうして……

…………

……ま、まさか見たのか!? 

見ちまったのか!?

あぁぁぁ着けときゃよかったカーテンんんんんんん!! 

ああぁぁぁぁ……

…………

……いや、まて、落ち着け俺。

達人の俺ならばアリサが近づけば気配で分かる。

煩悩に沈んでも、

それが出来ぬほど落ちぶれてはいないはずだ!

自分を信じろ。

信じるんだ!

70年の修行は伊達じゃない!


だから違う!

そう(・・)じゃない!

きっと食事の前は手を洗いましょう的なやつだ! 


ここは堂々と、しれっと答えれば大丈夫!

逆に動揺すれば怪しまれるかもしれない。

だからこそ、普通に、普通にだ!


「ちゃんと魔法で拭ったから大丈夫だ」


「ぶっ! ちょ、ちょっと、

そこまで言わなくてもいいわよ!」


アリサはますます顔を赤らめ、

両手を顔の前で交差する様に振っている。

アリサの動揺が激しくなっているようだが、

俺はそんな変なことは言ってないはずだ。


だが、このままでは自爆しかねない。

そう悟った俺は、

じんわり汗がにじむ掌を握り締め、

平静を装ったまま話題を逸らそうと決めた。


「聞いたのはアリサだろ?」


「そこまでは聞いてないって言ってるの!

……ま、まぁ、キレイになっているならいいわ」


「ああ……それにしても良い香りだな」


「でしょっ!? 

うちで一番安いけど、

不動の一番人気メニューなんだから!」


こういう狡猾さ(ずるがしこさ)も長い人生経験が成せる

一つの技術ってことやつだ。


だが実際、ジェノバの料理は意外にも

純粋日本人な俺を惹かせるには十分の香りを

漂わせている。

味のほうも十分期待できるに違いない。


「パパってば気合入りすぎて沢山作っちゃったみたいだから、

いっぱい食べてね!」 


頬を薄紅色に染めるアリサが見せた満面の笑顔。


これも一つの魔法だ、と思った。

賢者時間(チートタイム)を発動させている俺の心臓をすら

早鐘を打たせるほどの魅力(チャーム)

そんな彼女に俺は……


「あ、ああ……」


あまりにも残念な返し。

情けないにもほどがある。

童貞(お子様)ですから』

脳内を駆け抜ける智慧さんの無機質な迷言に、

俺は心で泣いた。






これが……シチュー? 

薄茶に色づくあっさり出汁の良い香りが

食欲を誘うことは間違いないのだが、

ヨーロッパ風の城壁を前に、

お鍋を食うなんて発想はなかった。


「はい、クロガネ。熱いから気をつけてね」

 

手渡された器の中身は、

日本の冬の食卓でおなじみの寄せ鍋。

何かシャケっぽいピンクの身をした魚と、白身の魚、

そして白菜、長ネギとかのふんだんな野菜……

具だくさんはありがたいが、

目新しさは何もなかった。


とはいっても、美味そうであることに変わりはない。

早速、慣れないフォークで口へと運ぶ。


「……美味い」


「おお! 賢者様のお口に合いましたか!」


「沢山の具材から良い出汁が出ている。

それぞれが惹きたてあって…… 

何ともいえぬ旨味が口の中に広がるな」


「パパの料理だもん。当り前よ!」


俺の高評価にジェノバは泣いて喜び、

アリサも胸を張って自慢げだ。


「この魚は?」

 

「シャケって魚よ、知らないの? 

お鍋でもいいけど、焼いてもおいしいの。

塩につけておけば保存も利くし、

料理屋には有難いお魚ね!」


やっぱりシャケはシャケだった。

異世界なのに? とも思うが、

他の野菜も地球とほぼ同じであることから鑑みるに、

たぶん神様が異世界を創造なさる時、

別称や新たな動植物の創造を

面倒くさがった結果ではなかろうか。

あるいは途中で飽きたか……


もちろんそんな疑問、

というか疑惑は大人しく心にしまっておく。

……どうせ神様には心を読まれてしまうだろうが。


しかし、この単なる寄せ鍋がとてつもなく美味い。

5人分はあったろう鍋があっという間に消えるほどに。

「いつも以上に美味しい」とアリサも大満足だったようだ。

シメは残りのスープで雑炊といきたいところだが既に満腹だ。

というか、この世界に米は存在するんだろうか?

『はい。かなり一般的な食材として流通しています』

それはありがたい! 

日本人たる者、米が一番だ!


「ご満足いただけましたか、賢者様?」


「最高だった。

これほどの鍋……シチューは食った事がない」 


「ありがとうございます! 

そのお言葉、このジェノバの誇りといたします!!」


そんな大袈裟なことを言いつつ、

スープの入った鍋をどこかへ持っていこうとする。


「ジェノバ、そのスープどうするつもりだ? 

俺はもう満腹なんだが」


「これですか? 

もう食べ終わりましたので、捨てるのですが?」


「ええ!? その美味いスープを捨てるのか!?」


「なにビックリしてるの?

食べ終わった残り汁なんて誰でも捨てると思うけど?」


何と勿体ない! 

こいつら雑炊の味を知らんのか!?

これほどの出汁なら最高の雑炊ができるはずなのに! 

だが、今は無理だ……。これ以上は食えん。


「米と卵……それと長ネギの残りはあるか?

明日、頼みたい料理がある。

だからそのスープはのそのまま蓋をして残しておいてくれないか」


「おお! 賢者様の料理ですね!?」


「だが、俺は料理はできん。

俺の指示通りにジェノバに調理してもらいたい」


「ふ~ん。何ができるか楽しみね」


「アリサもきっと気に入るはずだ」





後片付けを終え、寝る準備を始める。

辺りはすっかり暗くなり、皆眠り始めていた。

アリサとジェノバは幌の中へ。

木箱の上に毛布を敷いて、その上で眠るらしい。

俺も就寝するため、

馬車の隣にアイテムボックス(小屋)を召喚する。


「ええ!? 何よこれ!」

「これほどのアイテムボックスは

見たことも聞いたこともございません!」


なんてやりとりがあったが、

すでに寝静まっている他の利用客に悪い。

早々に言いくるめて静かにさせる。


日本の布団と変わらぬ最高の環境で眠りに落ちた。






どの世界だろうと夜営時には共通するタブーがある。

その一つが、決して食べ物を放置しないこと。

 

普段ならば捨ててしまうスープから

極上の香りが漂い続けていた。




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