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 寒さが弱まり、雪が完全に溶けきる頃。

 休戦中だったザーラ領とベルガ領の戦が再開した。

 噂に聞く激しい戦いは、どこまでが真実でどこからが誇張なのかは、離れた土地にいては、見当もつかない。

 そしてザーラ領が優勢と聞く時もあれば、ベルガ領が優勢と聞く時もある。

 わかることがあるとすれば、ザーラ領の軍隊に襲撃された城や村は、全てを奪われ蹂躙されていること。彼らが城よりもむしろ農村を襲っていることだった。

 村ばかり襲うのは、戦略としては有効だと教えてもらった。

 食料を奪える上に、本来その土地の領主に納める予定だった穀物が納められず、戦時中には特に大事な食料が不足して、大打撃を与えるかららしい。

 でもそんなのは農民のことを人とは思っていない酷く惨い所業だ。たとえ敵の領民だとしても、戦う術を持たない人々を襲うなんておかしい。

 一刻も早く、ベルガ領が勝って、戦が終わってほしかった。

 でもそんなに簡単には戦は終わらない。

 それどころか確実に、ケンドリン領にも戦禍が忍び寄って来ていることを日に日に強く感じていた。



「ねえカーラ、やっぱり塩漬け肉の量をもっと増やしたほうがいいんじゃないかしら」

 わたしは保存食の在庫を見て、眉間に皺を寄せた。

 予想していたよりも、ずっと量が少ない。

 ようやく冬が終わったというのに、また保存食を作らなくてはいけないのは憂鬱だけど、戦に巻き込まれるかもしれないのだから、そんなことは言っていられない。

 食料の確保が十分にできていなければ、敵兵とはまた違った脅威が襲ってくる。

「穀物もこれだけしかないのね。いいわ、明日からパンはお父様とお兄様の分だけにしましょう。みんなしばらくはオートミールで我慢してもらうわ。申し訳ないけど」

「ロズリーヌ様の分はいいのですか?」

 カーラが怪訝そうな顔で聞いてくる。

「わたしもオートミールを食べるわ。だって麦がこれだけしかないのよ?」

 パンなんて食べている場合じゃないわ。もっと早くに確認に来ればよかった。

 保存食の準備をするようには言っていたけれど、実際の量は今知ったばかりだった。

 冬ごもりや戦の前の食料の準備は女の仕事だけど、わたしはまだ未婚だから子供扱いで、手伝いくらいしかやらせてもらっていなかったのだけど。

 でもこの城には女主人がいない。心配になって台所や食料保管庫に来てみれば、その在庫量にかなり不安を煽られてしまった。

 後で騎士隊長と相談してみようかしら。

「ロズリーヌ様がそれでいいのでしたら、結構ですけどね。それにしてもパンを自粛してオートミールだなんて、そんなことどこで覚えてくるのですか」

 カーラの口調は何気ないものだった。でもわたしは内心とても焦ってしまう。

 確かに領主の娘がパンよりもオートミールの方が、麦の量を無駄にしないと知っているのはおかしいのかもしれない。そもそもオートミールは貧しい人の食べ物という認識もあるのだし。戦の前にそんなことに拘る人もあまりいないけれど。

 わたしにそんな知識があるのはアルノが教えてくれたから。

 彼はわたしのことを知りたがり屋だと思っているから、機会があればいろんなことを教えてくれる。

 でもいくらカーラにだって、アルノに教えてもらっただなんて言えないわよ。

「たまたま知っただけよ・・・」

 下手くそな言い訳だったけど、カーラはそれほど興味がなかったのか、軽い相槌を返してくるだけだった。

 彼女にはもっと大きな心配事があるからでしょうね。そしてそれはこの城に住むみんなの懸念でもある。

「それにしてもザーラの領主はやりたい放題ですね。初めはベルガからの援軍の要請だけを心配していればよかったのに、今では村の襲撃にも備えなくてはいけないなんて」

 カーラの表情は暗い。

 それこそ城中の人間が恐れている事柄だった。

 ケンドリン領には四つの農村があって、どれも人口が百人くらいの小さなものだけど、それだってベルガ領ではないからといって、襲撃されはしないとは思えなくなってしまった。

 ザーラ領主の悪名はそれほど高くなっている。

 もし村が襲撃されれば、農民はこの城に非難してくる。だから食料の確保は確実にやっておかなくてはいけない。

 明日から貧しい食生活が待っているけど、仕方がないわ。農民が重い税を払っているのは、こういう時に領主に守ってもらうためだもの。



 わたしは他に保存の利く食料がないか、保管庫の中を探っていた。

 でもめぼしい食材は何もない。これなら森に入って木の実を集めているほうがいいかもしれない。わたしは行けないのだけど。

 どうするべきか頭を悩ませていると、騎士の一人が保管庫にやって来た。

 彼も食料の確認に来たのだろうかと思ったけど、そうではないみたい。わたしの顔を見ると、ほっと息をついた。

「ここにいらしたのですね。領主様がお呼びです」

「・・・お父様が?」

 わたしはびっくりして、彼の顔を凝視した。

 お父様がわたしに一体何の用があるのかしら。ここ数ヶ月くらい、顔も合わせていないというのに。

 まず間違いなく、娘の様子を見るためだけに呼び出したのではないと断言できるわ。

 でもそうすると、わたしにとって良くない用だとしか思えない。

 そしてある考えに思い至る。

 薄暗い室内で、血の気が引いていった。

 十五歳の娘を父親が呼び出したなら、要件はほぼ一つしかのではないかしら。

 ここ一年ほどずっと恐れていながら、その存在を無視してきたもの。回避することなど、不可能なもの。それがついにやってきたのだわ。

 心臓がどくどくと嫌な音を立てている。ふらつきそうになる足をかろうじて踏み止まった。

 しっかりして。大丈夫よ。ちゃんとわかっていたことなんだから。今更何をショックを受けているのよ。ちゃんと理解していたはずでしょう。

 必死に心の中で自分に言い聞かせる。行きたくないと反発する気持ちを宥めすかした。

 少しの間、周りの物音が耳に届いていなかったのかもしれない。目の前の騎士が自分の名前を何度も呼んでいて、返事をすると訝しげな目で見られた。

「急いでください。お待ちですから」

「ええ、ごめんなさい・・・」

 力のない声がこぼれ出た。

 駄目だわ、こんなことでは。お父様の前に出るまでに、覚悟を決めていなくては。



 連れて行かれた先はなぜか大広間だった。

 居間に向かうと思っていたのに、どうして大広間なのかしら。

 いえ、そんなことはどうでもいいわ。とにかく表情だけは取り繕わなくては。

 心臓はまだ早鐘を打っている。覚悟を決めるなんて無理だった。こんな短い時間で出来るなら、始めから動揺なんてしていない。

 わたしは結局わかってなんていなかった。

 ちゃんとわかっている。夢は現実にはならない。そんなことを思っていても、何もわかってなんていなかった。

 いつかお父様の決めた相手に嫁いで、アルノとは会えることすらなくなるのだと、理解しているフリをしていただけだった。

 本当の意味で現実を突きつけられて、こんなにも怖じ気づいている。

 行きたくない。この扉を開けてほしくない。

 でもわたしを連れてきた騎士は、躊躇いなく取っ手に手をかける。

 深呼吸して気持ちを落ち着けた。

 強ばっている顔を無理やり微笑ませようとする。

 せめて何を言われても、取り乱さずに返事ができるだけの覚悟は必要だった。



 あまりにも多くの人が集まっていて、わたしは騎士が案内する場所を間違えたのではないかと疑った。

 でもそこにはちゃんとお父様がいる。

 そしてお兄様と家宰と城にいる半数くらいの年輩寄りの騎士。それから見たこともない騎士が数人いた。

 どういうことかしら。きっと縁談の話をされると思っていたのに、この人数の前で発表するほど、わたしの結婚は重大なことではないはずだわ。

 それになんだか雰囲気が重苦しい。

 何か良くないことが起きている。それだけは感じる。

 でもそれとわたしが呼び出された理由がどう関係しているのかがわからないわ。

 お父様は部屋に入ってきたわたしを見て顔をしかめた。

「ようやく来たか」

「遅くなってしまい、申し訳ござい・・・」

「まあ、いい。そなたの縁談が決まったぞ」

 わたしの言葉なんて全く聞かずに、お父様は言いたいことを言った。

 やっぱり縁談の話だったわ。

 お腹に力を入れて、次の言葉に備える。

 相手に誰を言われても、アルノじゃないのなら同じこと。冷静さを装うことは難しくないはずだわ。

 わたしはただわかりましたと言えばいいだけ。いいえ、違うわね。こういう時はどう言えばいいのだったかしら。━━わかりました、お心遣い感謝致します。これだわ。

 頭の中でただ言わなくてはいけない言葉のことだけを考える。

 とにかく今はこの場をやりすごせればいい。その後で自分の状況と向き合えばいいのだから。



 でもわたしはとことん考えが甘い人間だった。

 誰でも同じだなんて、どうしてそんな風に思えたのだろう。

 わたしが考えつく最悪の事態なんて、実際はありきたりの出来事でしかなかった。

 迫り来る戦のことでさえ、やっぱり人事のようにしか感じていなかったのだと思い知らされた。世の中にはわたしの想像を越える酷いことが山ほどある。

「相手はザーラ伯だ」

 お父様の言葉は簡潔だった。

 でもだからこそわたしは何を言われたのかわからなかった。

 用意していた言葉が、するりと頭から抜け落ちて、同時にちゃんと物を考えることができなくなる。

「それくらいは知っているだろう。ザーラ領の領主だ。お前はザーラ伯の五番目の妻になる」

 重ねて説明されても、やっぱりわからなかった。

 お父様は何を言っているのだろうかと、ぼんやりと顔を見つめてしまう。

 自分の身に降りかかったことを、理解したくはなかった。 

 

 

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