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わたしに向けられるアルノの顔が少しだけ曇ったような気がして首を傾げる。
「どうしたの?」
彼はわたしに言うべきかどうか迷うように視線を巡らせてから口を開いた
「いえ・・・冬が終わるのもいいことばかりではないと思ってしまったんです」
どういうことだろう。冬が続いていたほうがいいことなんてあるだろうか。みんな早く終われと毎年思っているのに。
「今年はきっとザーラ領とベルガ領の戦が激化します」
「あぁ・・・」
そうだったわ。冬が終われば戦が始まる。
このケンドリン領はこの数年は戦をしていないけれど、隣り合っているザーラ領とベルガ領は去年から熾烈な領地争いをしている。
この二つの領地の領地境の横にケンドリン領があるわけだけど、少し距離がある上に小さな領地だから、去年はまだ巻き込まれずにすんでいた。
でもきっと今年は傍観していられないのでしょうね。
ケンドリン領はベルガ領の三代前の領主から土地を賜ったから、ベルガ領の味方をするはずだわ。
それにザーラ領の領主は悪い噂が多い。戦で負けた土地の領民だけではなくて、自領の民にまで恐れられている。冬に入る前に城に訪れた行商人が言っていた。
そもそも戦をけしかけたのもザーラ領主。自分がベルガ領の正当な領主だと言い出して、攻め込んだってアルノが教えてくれたわ。
もちろんそれはよくある言いがかり。戦をするために、ありもしない正当性や血統を持ち出しているだけ。これもアルノが言っていたことだけど。
とにかくザーラ領主は残虐非道な戦好き。これがこの地域一帯の人間の認識になっている。
だからいくらなんでもお父様もそんな領主の味方はしないはずだわ。
というよりもお父様はギリギリまで関わろうとしないでしょうね。
戦が嫌いというなら好感が持てるのだけど、お父様の場合は臆病なだけ。自分が戦場に出なくてはいけない事態を極力避けたいのと、戦をして領民から不満が出ることを恐れているのよ。自分ではそんな性格を自覚していないみたいだけど。
でもそれでも戦好きよりはよっぽどいい。
どうしてあんなことを好き好んでやれるのかしら。人がたくさん死ぬというのに。
戦が始まってケンドリン領が巻き込まれたら領民や騎士がたくさん死ぬかもしれない。
いえ、たとえ少しでも誰かが死ぬわ。
そしてケンドリン領が戦場にならない限りは、一番死にやすいのは騎士なのよ。
わたしは不安を隠せずにアルノを見た。
「アルノも戦が始まったら、戦場に行くの?」
彼は困ったように笑った。当たり前のことを聞いた自覚はある。
「そのための騎士ですからね」
「・・・そうよね」
予想通りの答えにうなだれてしまう。
行かないでと言いたい。
でもわたしに止める権利なんてなく、アルノにだって行くことを拒否する権利はない。
本当にどうして戦なんかあるの。もし彼が戦場で死んでしまったら・・・。
いやだ。そんなこと想像もしたくない。
でも戦が始めれば、人は簡単に死ぬ。
「大丈夫ですよ」
顔を強ばらせていたわたしに、アルノが穏やかな声で言った。
「ここは戦場にはなりません。ロズリーヌ様はこの城にいれば安全です」
自分の身を案じていると思ったのかしら。見当はずれなことを言い出した彼にムッとした。
「そんなことを心配しているわけじゃあないわ」
「では何を心配しているのですか?」
「あなたのことよ」
はっきりと言ったわたしを見て、アルノは言葉を詰まらせた。
心配ぐらいしたっていいでしょう。どうしてそんなに驚いた顔をするのよ。
わたしは視線を外して俯いた。
沈黙が流れる。
気まずくなって、言ったことを後悔しだしたころに、アルノがぽつりと言った。
「俺は死にませんよ」
顔を上げると、彼は世間話の続きを話してるかのような様子だった。
「余所の戦に巻き込まれて死ぬなんて、間抜けなことはしません。俺が守るべきものは別にあります」
決意を持って言っているのか、ただわたしを安心させるために言っているのかわからない口振りだった。
でもここで、そんなことはわからないと反発するほど、わたしは子供じゃない。
「お父様と領民?」
「それとロズリーヌ様です」
「わたし?」
「はい。主の大事なご令嬢ですから」
思わず眉を寄せてしまった。お父様がわたしを大事にしているなんてことは、絶対にない。
もともと子供に関心なんてあまりなく、後継ぎであるお兄様以外は、存在すら忘れているのではないかと思う時がある。
「わたしを守ったってあまり意味はないわよ」
領民は守られる権利があるけど、わたしは税を払っていない上に男ではないから、あまり役に立たない。
騎士として女性を守らなくてはいけないのかもしれないけど、領主の娘なんて、戦時中は邪魔でしかないわ。
「そんなことはありません」
アルノは否定してくれるけど、実際に戦になれば、役に立つか立たないかが、何より重要になってくることはちゃんと知っている。
「だってこんな時世ですからね。もしかしたらロズリーヌ様が俺の主になることもあるかもしれませんよ」
わたしはアルノの言ったことがよくわからなかった。
それってわたしが領主になるっていうことかしら。
「ロズリーヌ様は領主の娘なのですから、可能性がないわけではありません」
冗談なのか真面目に言っているのかわからない。でもわたしは冗談だと捉えることにした。
「わたしが女伯になるの?」
おかしそうに笑いながら尋ねる。
「そう珍しいことでもないでしょう。南の方の土地では、女伯が鎧を着て騎士を率いて、戦に出ていたこともあったそうですよ」
「やだ、わたし鎧を着て戦うなんてできないわよ」
もし万が一、女伯になったとしたら、そんなことをしなくてはいけないのだろうか。
「もちろん今のは例外中の例外ですよ。もしロズリーヌ様が領主になられても、我々に一言戦えと言えばいいだけです」
アルノは何でもないことのようにさらっと言う。それだって同じくらい辛いことじゃないかしら。
でもこれは冗談だから、笑って話せばいい。
「わたしが命令したら、本当に戦うの?」
「当然です。騎士は主の思いのままに戦うものです」
思わず想像してしまった。
わたしが女伯になって、わたしの騎士としてアルノが側にいる。
それはそれで何だか素敵なことに思える。どこかに嫁いで、その後ほとんど会えなくなるよりかは、余程いい。
新たに浮かんでしまった妄想を振り払うように、わたしはくすくすと笑った。
「こんなこと言っているのがバレたら、お兄様が激怒するわね」
「そうでした。ロズリーヌ様、この話はどうか内密にお願いします」
アルノはわざとらしく、しまったという顔をする。
本当にお兄様に知られてしまったら、ひどいことになるかもしれないけれど、アルノはわたしが絶対に言わないと知っていて、こんな話をしている。
「わかったわ。内緒ね」
いたずらの片棒を担ぐみたいな言い方で、わたしは人指し指を立てた。
二人だけの内緒話。
それだけのことがとんでもなく嬉しかった。
ただの冗談。でも誰にも言えないこの会話を、わたしはきっとずっと覚えている。