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Abnormal  作者: saya
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プロローグ

血の臭いがする。

 部屋に濃厚な鉄錆びの臭いが充満し、喉に張りつく。

目の前に横たわるそれは、すぐ冷たくなるだろう。出血を続ける人間の体は驚くほど早く熱を失う。

まぁ、食べやすくなるから構わないけど。

ありきたりなリビング。壁は白で塗られ、床はフローリング。暖色系のカーペットの上に置かれたソファはおそらく四人掛けだろう。見やすいように正面にテレビが配置されており、観葉植物が生き生きと緑を晒している。天井から降り注ぐ人工の光は、家具と死体を照らしていた。


ソファの近くに倒れる青白い顔の男。その男の足元に寄り添うように倒れる二人の子供。更に壁際には首の無い体が一つ。


全て赤いペンキを上からぶちまけた様に、赤く染まっている。

穏やかであっただろう風景は、見るも無残な惨状へ変貌していた。

「・・・・・・眩しい」

パチッと壁のスイッチを切る。一瞬で光は消え失せ、辺りを薄闇が包んだ。ぼんやりと徐々に視界がクリアになっていく。テーブル、ソファ、カーペット、そして死体。凹凸ある板に画用紙を押し付けたかのように、それらは闇の中に浮き上がった。

「あっ・・・・・」

ぼたぼたとナイフから血が垂れ落ちた。足元に地溜まりが生まれ、素足に水の感覚が伝わる。生温い温度が気持ち悪い。

「どう、しよ」

解体用の包丁、忘れた。

あれの解体は刺殺用の小振りのナイフ一本でもできないことはないが、いかんせん時間がかかる。下手に長居するのは嫌だ。でも、あれを解体しなければ明日から飯抜きになってしまう。それは避けたい。

「この家にあるのを、・・・・使うしかない、か」

少なくとも、今持っているのよりは大きいものがある筈だ。気乗りはしないが。溜息をひとつ吐き、頬の血を拭う。一般家庭にある刃物は好みじゃない。使う用途は同じなのだが、だいたいどれも丁寧に砥がれていないし、切れ味が悪い。それに、生ものを切った臭いがこびり付いていて不愉快になる。

失敗した。

首を回して辺りを確認すると、丁度リビングと併設するようにキッチンがあった。ダイニングキッチン、というやつの類だろう。

刃渡り数十センチ程度のナイフを舐め取り、後ろポケットに押し込む。

舌の上に芳醇な味わいが広がった。


甘い。


涎が口内に湧く。視界に横殴りにされたような衝撃が走り、歪んだ。

今すぐに目の前のそれにかぶりつき、血を飲み干し、思うままに貪りたい。

本能的な衝動が体を支配し、足が動きだす。ビリビリと手が痺れ、一歩、また一歩。それに近づく、近づいてくる。ふらふらとおぼつかない足取りで、手を伸ばす。その指先から血が滴り落ちた。あと、数センチ・・・・。


いや、今じゃ・・・・ない。

まだ、・・・・駄目、だ。


瞼をきつく閉じ、手を握って力を込める。視界からそれが消えたことにより、衝動は少しだけ落ち着いた。そのまま、興奮して上がった息を整える。返り血を浴びて赤くなったシャツのボタンに手をかけ、脳内で何度も言葉を繰り返す。


新鮮な血と肉は何よりも美味だ。でも、消化が悪い。腹痛でも起こし、動けなくなったらお終いだ。二度と俺はそれらを食えなくなる。二度と口にすることなくこの世を消え去る。

それは、駄目だ。絶対にそうなってはならない。


袖から腕を引き抜き、脱ぎ捨てる。返り血でくしゃくしゃになったシャツは、べしゃりと床に落ちた。なるだけ視線を泳がせ、キッチンへ向かう。横目に扉が見えた。ダイニングキッチンと廊下を繋ぐ唯一の扉は、入ってきた時と同様、開け放たれたままだった。

ゴンッと、何かを蹴飛ばす。見れば、転がったのは人間の頭。少し長めの髪が足の指に絡みつき、再び歩こうとすれば、ずるりと引っ張ってしまう。一番耳につく悲鳴を上げたから真っ先に切り飛ばした、女の頭。足に絡む微妙な重さが厄介で、サッカーボールのように思いきり蹴り飛ばした。足に絡まった髪は千切れ、短い廊下を湿った音を立てて転がっていった。

「あの部分は、あんまり美味しくないんだよな」

転がった頭に吐き捨てた。


     *


ガスコンロ、レンジ、オーブントースター。食材のための器具がところせましと並べられ、足場もひんやりと冷たい材質に変わっていた。銀色のシンクにはマグカップが四つ水に浸かっており、隣の食器カゴには皿や箸が重ねられている。

そこからあるものを探す。

絶対にこの場にあるはずのものを。

「どこ、だ」

食材を調理するもの、包丁を探す。

少し長ければ良い。持ち手もあんまり短くなく、太くなければ最適だ。更に付け加えるなら磨がれ、切れ味も良く、臭いがあまりついていないものがいい。

目につく扉を全て開ける。

どこだ・・・・・? 

どこにある。

どこに、仕舞ってある。

「ここ・・・・か?」

シンクの下の開き戸。収納重視で作られた棚なのか、扉は重い。両手でそれを開くと戸の内側には綺麗に四本、下向きに仕舞われた包丁があった。右から持ち手の色が違う中華包丁が二本、少し錆びた魚包丁が一本、そして、

「パン切り包丁」

一番左に仕舞われた、最も長い柄の包丁を掴み出す。

木材が使われた楕円形の持ち手は小さく、持ちやすい。そこから磨かれた銀の刃が突き出ている。表面に映り込んだ俺の顔が歪む。見たところあまり使用はされていない。けれど刃の状態は悪くない。それに、凹凸のあるそれは、今の状況にピッタリだ。

にんまりと口元が歪んだ。


ぺたぺたとフローリングに足跡を残しながらリビングへ戻る。血の臭いが再び嗅覚を刺激し、口元が緩むのを抑えながら、転がった男の隣に屈む。血の気を失った青白い顔、見開かれたままの両目の瞳孔は開ききっていた。唇も顔同様青白く変色し、表情は彫像のように固まっている。それでも、俺にはまだ各部位の機能は死んでおらず、生きているように見えた。

どうせ、もう何もできないのだから、死んだ時、全ての機能を心臓の鼓動と一緒に閉ざせばいいのに。一瞬で、全て壊れればいいのに。

解体という作業にぼやきつつ、甘美な食事への興奮を抑えきれないまま、男の肌に刃をあてがう。柔らかい皮膚に、刃が沈む。

ズッ ズズッ 凹凸のある刃に脂肪の抵抗がかかる。けれど、その分肉は早く切れた。少量だが血がその傷からこぼれフローリングに赤が広がる。刃を動かし傷口を広げると、男の腹はぱっくりと口を開けた。中から変色しつつある内臓が顔を出す。突き刺せば濃い腐敗臭が鼻をついた。夕飯を食べて、それが消化されきっていないのだろう。中身を溢さないように、刃を抜き、前後の血管を断ち切った。


暫くして男の体は細切れの肉になった。辺りにより一層濃く血の臭いが漂う。

ようやく男が死んだ。

未だに粘性の血を引き、艶を保つ内蔵。血肉の海に埋まっていた白く真っ直ぐな骨。虹彩が消え、白濁した瞳。図画工作の部品のように、男の体だったものを「食べられる肉」と「食べられない肉」に分ける。

足元に転がる二つの子供の首筋にも刃を入れ、血抜きをする。パン切り包丁の銀色の刃は、血と脂でぬらぬらと光っていた。

食べ易い大きさに更に切られた「食べられる肉」を脱ぎ捨てたシャツに包み、立ち上がる。キッチンのガスコンロの上で熱せられていたフライパンは、無表情にそれを見返した。

肉片を一つつまみ、落とす。ジュワッと一瞬で血が蒸発し、脂がパチパチとはねた。灼熱の鉄板の上で肉は嫌がるように形を変える。それは、恐怖に縮こまる子供の姿によく似ていた。カゴの中にあった箸で適度につつき、待つ。暫くして、肉は焼けた。

サイコロステーキを思わせるそれを、口に放り込む。適度に脂ののったそれは、柔らかく弾力があった。何も味付けしていないというのに、芳醇なあの血とはまた違う、濃厚な味わいが一噛みごとに口内に広がる。

旨い。こんなに旨いものを、俺は他に知らない。

唇の脂を舐め取り、また口に肉を放り込む。熱さなど気にしない。水も飲まず、俺は夢中でそれを食らった。

物の数十分で、男の「食べられる肉」は腹の中に消えた。蛇口を捻り、カゴの中にあったコップに水を注ぐ。溢れる手前で止め、一気に飲み干した。烏龍茶や緑茶のように味のない水は、血の味を奪わずに喉を潤してくれる。喉の奥から立ち上る血の臭いが、今の食事は本物だ、と俺に訴えかけていた。

「あ・・・、あの女は、どうしようか」

血抜きをした子供の肉は持って帰る。男は今食べた。女は最初の出血が半端じゃないからとっくに冷たく固くなっている筈だ。目を向けるとタイトなスカートから伸びる足が見えた。足は健康的で細く、漂白されたワイシャツのように白い。

とてもじゃないが、今食べようとは思わない。

「一つくらい、食べ残しがあっても・・・いい、か」

きっと、世間はそんなこと気にもしないだろう。

コップを戻し、リビングに戻る。

赤い血溜まりの中に横たわる二人の子供の肉からは、良い具合に血が抜けていた。このまま持って帰れば、明日から数週間は困らないだろう。正直に言えば、血も持って帰りたかったが保存用のタッパーも包丁と一緒に忘れてきた。

「はぁ・・・・・」

本当に今日はついていない。

パン切り包丁で男と同じように子供の肉を切り分ける。骨も小さいものは肉を剥がさず切り取る。兄と妹の年子だろうか。子供にあまり年の差は見られない。幼さの残る顔が恐怖を浮かべたまま沈黙していた。

一通り作業を終え、肉を台所から拝借したビニール袋に詰める。何個かに小分けし、更にそれを同じように拝借したトートバックに詰め込む。

帰る、か。

そこでふと思い出した。

 

ここから養父母の家までどれくらいだろう。


今日は朝から空腹で意識が朦朧とし、特に何も考えず歩いたため、記憶が曖昧だ。そもそもここは養父母の家と同じ県の同じ市か。それとも隣の市か。まさか隣の県なんてことは・・・

「・・・・・・駄目だ」

自分の記憶を信じるには、あまりに頼りない情報しか持ち合わせていない。これでは帰れない。どうするか・・・。早く家に帰りたい。早く寝たい。いち早く自分のいる場所を特定するには・・・・

「これかな」

目の前のそれのスイッチを押す。パチッと画面に光が走った。ローテーブルの上で鮮血を浴びたリモコンは、奇跡的に機能を失っていなかったようだ。大きすぎない音量でテレビは喋る。チャンネルは都合よくニュース番組だった。

『こんばんは。×××テレビ、午後九時のニュースをお伝えします』

画面に現れた灰色スーツの眼鏡男が、感情を込めず淡々と言葉を伝えた。どうやら隣の県ではないようだ。一先ず安堵し、見つめる。最初のニュースは地域復興の特集らしく、画面には見たことのある建物が映っていた。

『・・・美術館の展示は明後日、十六日まで行われるもようです。では、次のニュースです。先月、佐岳市内で起こった一家殺人事件において、警察は犯人を特定できる情報がないか捜査方針をあらた』

ピッ チャンネルを変える。

まだ先月のを報道しているのか・・・・・。

テレビは派手な音楽番組、ドラマ、衝撃と銘打たれたドキュメンタリー番組と、次々に表情を変えた。最後に声のない気象情報にチャンネルが合う。×××県には、青いブロックが敷き詰められ、水滴を携えた雨傘が近くで揺れていた。

「明日は雨、か」


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