9話
「顔色が悪いぞ。
緊張しているのか?」
「……」
普段は謁見の間として使われる大広間。
その扉の前に、アルスとシルフィリアはいた。
これから間もなく、アルスはこの国の後継者に指名され、それと共にある物を継承することになっている。
そのための儀式、式典が、この大広間で執り行われるのだ。
「おい、アルス!」
返事の無い事に痺れを切らしたシルフィリアは、アルスの肩を掴んで自分に向き合わせる。
「身体の調子でもおかしいのか?
儀式の事を考えて我慢しているなら、そんなものはしなくていい。
父上に話し、今日の儀式は――」
「だ、駄目です!」
今にも扉を開けて入りだしそうなシルフィリアを、アルスは必死になって止める。
その必死さのあまり、咄嗟に掴んだシルフィリアの腕を強く握ってしまい、彼女から苦痛の声が漏れた。
それで自分のしていることに気付いたアルスは、すぐにシルフィリアの腕を離す。
しかし、彼女の腕には既に痣が出来ていた。
「ご、ごめんなさい」
「う、ううん。
これぐらい何でもないさ。
でも、何で顔色が悪いのか言って欲しいな」
「ごめんなさい」
「私には言えない事のか?」
「……ごめんなさい」
「……まったく、変な所で頑固だな。
でも、私の弟らしいか」
アルスの頬が紅潮していく。
それは、シルフィリアの手に包まれたからだ。
シルフィリアの体温が直に伝わり、アルスの心は柔いでいくが、それだけに彼女の事を正視できない。
新たな葛藤を生んだだけだった。
「殿下方、時間です」
横に控えていた騎士、式典用の礼装で固めている者が、二人の間に割って入った。
それを口実に、アルスはシルフィリアの手から逃れいく。
シルフィリアは、アルスの背中を見送ることしか出来ない。
自身の定位置に戻って、大広間からの号令を待つしかないのだ。
「ノーストリア第一王子、アルス・ノーストリア殿下。
ノーストリア第一王女、シルフィリア。ノーストリア殿下。
御入場~~~!!」
それは、式典の始まりの合図。
謁見の間の扉が開かれると同時に、左右に分かれている楽団が演奏を開始する。
その大音量と大くの視線を掻き分けて、二人は前へ進んでいく。
王の待つ玉座に向かって。
「あれがアルス殿下か、ご立派になられた」
「シルフィリア様もいらっしゃるし、この国も安泰だな」
口々に発せられる祝福と安堵の声。
この国は、かつての魔族との戦いで多くの王族を失っており、それから百年経っていても立ち直れていない。
それ故、アルスとシルフィリアが立派な若者となり、国の後継者として定められる事は、とても喜ばしいことなのだ。
楽団の演奏が止まった。
見れば、アルスとシルフィリアが所定の場所、国王から数歩の位置まで辿り着いており、跪いて国王の声を待っている。
そして、それはすぐにやってきた。
「二人とも立つが良い」
「……よく間に合ってくれた。
私が老い果てて、自身を失う前に。
よく間に合ってくれた!」
国王は二人の元へ歩み寄り、両人の肩に手を置いた。
既に杖での歩行もおぼつかない国王だったが、この時の彼の足取りは確かなもので、しっかりと地を踏みしめている。
「シルフィリア、既に察しているだろうが……」
「はい。私はそれを受け入れ、アルスを支えていきたいと思います」
「うむ。それでは皆の者、これより私の後継者、王太子となる者を発表する!
次の世代を担うのは、アルス・ノートリア!
アルス・ノートリアである!」
半ば決定事項だったこともあり、この場にいる誰もがそのことを知っていたが、彼等は大喝采でそれを受け入れた。
国王はその喝采に頷き、アルスの耳元で何かを呟くと、彼の肩をそっと離す。
すると、アルスは後ろへ振り返り、自身を見つめるくる大勢の人達に向けて、手を降った。
再び起こる大喝采。
それは、城中はおろか街にも響き、地響きのような現象を引き起こす。
「静粛に!
シルフィリアにも、新設した将軍位に就いてもらう。
率いるのは騎士団とは別の、新しい民兵部隊だ。
これで王国の守りは、より強固なものとなるだろう。
また、これ等とは別に、皆に知らせたいことがある」
謁見の間に静寂が戻った。
皆、厳粛に王の言葉を待っているのだ。
「この国には、建国時より受け継がれている宝物がある。
それは、初代国王であるアーレスト様が。
つまり、勇者様が使用されたもの。
伝説にもある、魔王を斬り裂いた聖剣だ。
魔族に絶大な威力を発揮する聖剣を、アルス王太子に継承させる!」
言葉が終わると同時に、その剣が国王の元に差し出された。
刃渡り80cm、全長120cm程。
刀身の幅が12cm程ある両刃の剣で、主に片手で扱う物のようだが、柄は長めに作られている。
両手でも使用しても問題ないだろう。
しかし、そんな事よりも最初に目についたのが、他の刀剣を圧倒するその美しさだった。
金色の刀身。
それが金で作られていないのは勿論だが、艶があるのではなく、鍛えぬかれた金属が放つ独特な鈍い光を持っている。
恐らく触れれば、ざらつきつつも滑らかな、あの不思議な感触を得られるだろう。
(間違いない。
この剣は、間違いなく聖剣だ。
刻まれている文字と宝玉は、何らかの魔法処理が施されている証拠)
国王の手に移り、自身に差し出された聖剣を見て、アルスはそう確信した。
聖剣は、国王の手からアルスへ渡ろうとしている。
(魔を滅ぼすと言われる聖剣。
今の状態なら、万が一にも害はいない。
例え魔族の状態で触れても、僕なら平気。
僕はそう造られている。
でも、それは計算上のこと。
試したことなんて無いし、触った瞬間に消し飛んでしまうかもしれない)
それは飛躍した考えだ。
魔族の防御を易易と切り裂くとは言え、そこまでの力は観測されていない。
だが、そうして消えてしまえば楽になるのではないか?
そんな考えが、アルスの頭に浮かんでいる。
自分で死ぬ程の覚悟もないのに、そんな考えが浮かんで来たのだ。
「――アルス? アルス!?」
泥沼の思考に陥ったアルスを、周囲の声が現実に引き戻した。
アルスは大丈夫と口にすると、覚悟を決めたのか、差し出されている聖剣に腕を伸ばしていく。
そして、聖剣がアルスの元に渡った瞬間、周囲を光が包み込んだ。