3話
国王はなかなか子宝に恵まれず、最初の子であるシルフィリアが生まれたのは、彼が老齢になってからだった。
后に子供が宿っていることを知った国王は、この時、一生分の喜びを使い果たしてしまったのだろう。
後に彼を襲ったのは、そのしわ寄せとも取れる大きな悲しみだった。
シルフィリアを産むと共に、彼の后はこの世を去ってしまったのだ。
この后の事を、国王はとても愛していた。
シルフィリアが女子に生まれた事も、本来では問題とならなかっただろう。
しかし、后を失ってしまったことで、その悲しみと数十年望んだ嫡男への思いとが、激しく混ざり合ってしまった。
その感情の行き先は、唯一残ったシルフィリアに向けられる。
「ん?
こ、これはシルフィリア様!?」
「気にせずとも良い。
皆も法術の行使で疲れているのだろう?
アルスの看病は私が変わろう。
皆は、今のうちに2~3時間程休んでおけ」
「は、はは。
では、お言葉に甘えまして、我々は下がらせていただきます……」
「うむ。
再び戻ってきた後は、ローテションを組みながら交互に休め。
……長期戦になりそうだしな」
恭しく頭を下げ、法術士達は退室していく。
室内には、ベッドで横たわるアルスと、それを座って見つめるシルフィリアだけが残った。
父から受ける度重なる仕打ちを、シルフィリアは幼い頃から耐えている。
やがて、自分が跡継ぎとして相応しい人間に慣れば、父上も自分を認めて下さるだろう。
彼女はそう思い、女の身でありながら国1番の剣術の使い手となり、政治の手助けも進んで行った。
しかし、そんな父から返ってきたのは、新たな側室を迎えるという報せ。
それは、シリフィリアの行いを全否定することに等しかった。
「せめて、あの女に似てさえいなければ……」
アルスの顔は、国王より彼の後妻に似ている。
この後妻には、色々と悪い噂があり、アルスは国王の子ではないという話すらあった。
勿論、これは根の歯もない噂だが、当の本人はアルスを産んですぐに死んでいる。
それが、悪い噂を更に増長させる結果となった。
もっとも、アルスへの敵意をシルフィリアが強めるのには、只の噂でも十分過ぎた。
「お前さえいなければ。
お前がこのまま死んでしまえば、私に対する父上の態度も変わる」
アルスの首に、シルフィリアの手がそっと伸ばされる。
「……! ……!」
その力は、徐々に強くなっていく。
同時に、アルスの顔色は少しずつ赤みを増していき、やがて紫色を帯びるようになった。
「死ね! 死んでしまえ! そうすれば……」
もう少しで一つの命が失われる。
そんな時、シルフィリアの手から力が抜けていった。
あと少しで事は終わった筈なのに、それを止めてしまったのだ。
シルフィリアの顔を覗いてみると、彼女は泣いていた。
彼女の脳裏には、遥か昔の事が思い浮かんでいる。
姉上、姉上と、自分を必死に追いかける男の子の姿。
それは、幼い頃のアルスの姿だった。
思えば、この弟自身に悪い所など、何もない。
最近は思春期に入り、皆を困らせるような事をしていたが、自分にだってそんな時期はあった。
「同じく母親を失った境遇で、あんなにも慕ってくれていた弟を、私は自分の手で殺そうとしてしまった。
私は……! 私はなんて愚かで、我儘で、身勝手なんだ……!」
大粒の涙が溢れ落ちる。
その涙は、真下にあるアルスの顔に落ちていき、彼の頬を薄く濡らす。
その効果だったのか、アルスの顔が僅かに動いた。
シルフィリアは驚いたが、直ぐにアルスの体を大きく揺さぶる。
同時に、彼の名前を強く呼んだ。
すると、アルスの表情に更なる変化があった。
眉を歪め、何処か苦しそうにしている。
「そうか、強い衝撃!
法術で肉体のダメージは治っているから、気を失った時と同じ衝撃を与えれば!?」
自身の中で答えを見つけたシルフィリアは、アルスの顔を左右から強く叩いた。
何度も、何度も、何度も。
それは、彼の頬が腫れ上がるまで続き、その甲斐あってか、彼の目がとうとう開かれる。
「め、目覚めた! アルスの目が目覚めたぞ!!」
皆にこの事実を知らせようと、シルフィリアはアルスの事を放り出して、部屋の外へと駆け出していく。
部屋の外にいた守兵は、彼女の様子を見てとても慌てたが、彼女から事の次第を聞き、一緒になって走りだしてしまう。
こうして部屋の中には、目覚めたばかりのアルスだけが残された。