(2)
手に取る本は何だっていい。
何だっていいからこそ、最近はその本を選択する手間も面倒だなと感じいつも同じ
本を手にすることにしている。
何度も手にしているその本の内容もタイトルも、鏡夜はちゃんと知らない。
この図書室は入口から見て左半分が読書スペース、右半分が本棚という構造になっている。
そして鏡夜はいつも、入口から数えて三列目の棚の下から二段目の一番左端の群青色の背表紙の本を選び取る。
鏡夜にとって必要な情報はこれで十分だった。
こうやって本を開きながら、家族の事を思い浮かべて一体何になるのか。
しかしこうして父を、そして母を想わずにはいられなかった。
それがなければ、鏡夜はおそらく一人で時間を過ごす事に耐えられないだろう。
やがて日は落ち、本を閉じ席を立つ。
受付には日替わりの図書委員の生徒と真っ黒なシャツを着た若い司書の男がいる。
注意深く見ているわけではないが、鏡夜はこの男が黒以外の衣服を身にまとっている所を見たことがない。
彼らに軽く一礼をし、図書室を後にする。
向こうもそれに倣って礼をし、さようならと声を掛けてくる。
数少ない学校で鏡夜に声をかけてくる存在ではあるが、その態度はまるで常連客をいなすような手際の良さすら感じさせるものであり、そこに感情は介入していない。
「ただいま。」
「おう、おかえりー。」
雷夜は声だけで返事をする。熱心に鍋を見つめ、たまにゆっくりとその中身をかき回している。
そんな鏡夜の視線に気付いたのか、雷夜はこちらに首を向け、にやっと自慢げに笑った。
「ビーフシチューだ。とろっとろに煮込んでやったから覚悟しとけよ。」
「何の覚悟だよ。」
「ははっ。いいから着替えてこい。すぐ食えるから。」
「分かった。」
自室に戻り、部屋着に着替えすぐにリビングに戻る。
雷夜からの指示で、すでに準備された品を冷蔵庫から取り出し、容器と共にテーブルの上に並べていく。
しかしどれもまあひと手間かかりそうなものだが、ハマりだすと極めていくのが雷夜の性格だ。
下手をすれば自らのプロデュースで何か店を開きだしてもおかしくない。
「よし、じゃあ食うぞ。いただきます!」
食材達への感謝を声高に宣言し、食事を始める。
テレビのニュースを見ながら、雷夜が自分の知識や情報があるものに関しては更に詳しく鏡夜に教えてくれる。
情報というものにも敏感な男で、時事問題ももちろんだが、最近のトレンドや芸能についても死角はない。
そういった点もあってか、鏡夜は40前半という年齢の割にかなり見た目、身なりは若々しく、同年代の主婦層からも雷ちゃんと言われちょっとした地元のスターレベルの人気を博している。
そしてそんな父の話に、鏡夜はただただ頷くのみだった。
父の話は面白いのだが、鏡夜がそれについて何か意見を差し込む隙間がほとんどないのでそうならざるを得ないのだ。
父との会食の時間は、日本で起きている様々な出来事を父を介して吸収する時間と言ってもいい。
日頃、学校で人と話さない鏡夜にとってそれはありがたい事であり、おかげで一通りの出来事をこれで賄う事が出来た。
「鏡夜、勉強は大丈夫なのか?」
ようやくニュースタイムが終わり、親子の会話をはさんでくる。
「うん、何とかなってるよ。勉強ぐらいしかする事ないし。」
「子供ならもっと遊べよなー。もったいないぞ、人生。せっかく部活もしてねえんだからよ。」
「騒がしいのは好きじゃないんだ。知ってるだろ。」
「知ってる。むちゃくちゃ知ってる。」
そう言いながら、雷夜はにこやかだった。
「にやにやしないでくれよ。」
「いや、そういう感じがよ。やっぱり母ちゃんに似てるよなって思って。親としちゃ、嬉しいもんなんだよ、そういうのが。」
「そういうものなの?」
「そういうもんだ。早く結婚しろよ。」
「まだまだかかるよきっと。」
「顔は俺に似てイケメンなんだから大丈夫だって。」
「自分で言うなよな。」
家ではこんなに話せるのに、学校にいけばだんまり。
雷夜は、そんな鏡夜の姿を知っているのだろうか。
知れば悲しむだろうか。
それでもこの男なら、母ちゃんみてえだなと笑ってくれるだろう。
そんな安心感が鏡夜の胸にはいつもある。
だから生きられる。
でも。
母の最期の姿、その記憶がいつも邪魔をする。