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静かな雨は図書室で  作者: greed green/見鳥望
四章 授かりもの
16/25

(5)

既に外はすっかりと闇を帯びている。

自転車を漕ぎ回し、目的に近付いていく。

街並みを外れ、徐々に鬱蒼とした木々が左右に広がっていく。

そしてやがてその木々の間に小さな石段が見える。


自転車を止め、石段に足をかける。

人一人通るのがやっとの狭い階段をこつこつと上がっていく。

階段を登りきり、目の前には真っ赤な鳥居がそびえ立っていた。


神社という神聖な場は、夜の闇によって魔界にも思える程の禍々しい雰囲気を湛えていた。

そして鳥居の先に岬が立っているのが確認出来た。


「よう。遅いから怖気づいたかと思ったぜ。」


「そんな訳ないだろ。」


強がっては見たものの、正直怖くないわけがなかった。

幽霊に見慣れているといっても、涼音のような美少女であってこの前会ったようなもろに見た目からして悪霊といった輩に耐性があるわけではない。

帰れるものなら今すぐにでも帰りたいのが本心だった。


「ここにいるのか?悪霊。」


「そうだ。ここの神主からの依頼でな。性質の悪いヤツがのさばってるらしい。」


「どんなヤツがいるの?」


「何でも、でかい女が出るらしい。そいつの姿を見た奴らがこぞって数日後に意識不明。原因は医者にも分からない。」


「そんな危険なヤツを僕に退治させるのか!?」


「大丈夫だ。まずくなったらちゃんとフォローする。」


にやつきながらそう口にするこの男を果たして本当に信用してよいものか少し心配になる。


「素質があるって言っても実際どうやっていいか良く分からないよ。」


「あんまり深く考える必要はない。目の前に脅威が現れたら人は本能でそれを排除しようとするもんだ。そいつが現れたらお前はとにかくそいつをぶっ倒す事だけ考えればいい。自分の力を利用するのに、理屈なんていらねえ。」


「なんていい加減なアドバイスなんだ…。」


「そう不安がるな。ほら、これやるよ。」


そう言って岬が手渡してきたのは、難しい漢字が羅列された一枚の長方形の白い紙。

鏡夜にも見覚えのあるものだった。


「これ、前にも君が使ってたやつだよね。」


「俺の念が込めてある。決める時はこいつを直接ぶち込んでやればいい。」


渡された札をポケットにしまう。

もっと詳しいレクチャーを施してくれるものだと思っていただけに、鏡夜の不安は深まる一方だった。

相手の存在についてもでかい、女、危険という情報しかない。


「それで、今そいつここにいるの?」


「いねえみたいだな。っていうかお前も見える人間なんだからいたらすぐ分かるよ。」


悪霊の登場をそわそわしながら鏡夜は待っていた。

岬は落ち着き払い本殿の高床の部分に腰をかけ、足をぷらぷらと投げ出している。

彼にとっては当たり前の日常なのだろう。えらく呑気に構えている。


その後何をするでもなくしばらく時間が過ぎたが、特に変化はなかった。


しびれを切らしたかの岬がぴょんと本殿から降り、参拝をするかの如く両手をぱんぱんと鳴らし、そして合掌をしたまま早口にお経のようなよく分からない何かをぶつぶつと呟きだした。

何をやっているのか聞きたかったが、神社において経を唱える岬の姿は普段のちゃらけた様子はなく、気迫漂う本業としての彼の姿に息を飲むばかりであった。


「よし。」


経を唱え終えたようだ。

鏡夜はようやく疑問を口にする事にした。


「何してたの?」


「出てこないから、今呼び寄せた。」


「え!?」


「ほら、だんだんこっちに来てる。」


「え、ちょちょ来てるって…。」


まさか辛抱たまらず自分で呼び寄せているとは思わなかった。

急に来ると言われてもこちらも心構えが間に合わない。


「そら、来るぞ。」


世界から音が消失した。

そう思える程、空気が一瞬にして変わった。

先程までそよいでいた木々達は静まり、空気までもが凍りついたような静けさ。


何か起きる。

しかも、とても不吉な何かが。


途端、本殿の方からギシッと木の軋む音がつんざく。

鏡夜は反射的音の方に振り向く。


「あれが…。」


凶悪な悪霊の姿が鏡夜の目に映る。

鏡夜よりも前方にいる岬も既にその姿を捉えているようだ。


「やっとおでましか。」


悪霊の姿は非常にシンプルかつ異様なものであった。

腰まで伸びた長い黒髪、死に装束のような白い衣服は遥か昔から語り継がれ現代において多くの人間が最もイメージしやすい怖さを体現した幽霊そのものだった。


しかし、特徴的だったのは最初の情報通りのその大きさだ。

ゆうに2m以上は超えているだろう。

そして何より悍ましさを増幅させたのは、ヤツの両腕だ。


異様なまでに長いのだ。

指先は膝下までに達していた。

一体何の為にここまでの長さを得たのか。


こいつを僕が倒さないといけないって…?


「む、無理だ!こんなの!」


叫んだつもりのその声は、情けない程に震えきっていた。

岬は鏡夜の方に振り向く。


「そんなんじゃ涼音ちゃん、一生成仏出来ないぜ。」


「そんな事言ったって…。」


「お前が相手にしようとしてんのは凶悪な殺人鬼の悪霊だ。これでびびってるようじゃ話にならないな。」


「まじかよ…。」


そうやってたじろいでる間にヤツはじりじりとこちらに近付いてくる。

距離にして10m程か。

この距離が近いのか、遠いのか。


刹那、奴の右腕が少し持ち上がったと同時に凄まじいスピードでその腕が鏡夜めがけて伸びてくる。


「うわっ!?」


鏡夜の眼前に迫った腕を寸での所で屈んで避ける。

危なかった。


「あれ?」


奴の姿が消えている。

じとっと、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。


「おい、後ろだ!」


岬の怒号が響く。

言われずとも分かっている。

それが能力を持つ者が故か、人間の危機的信号によるものなのか。

自分の背後で絶対的な悪が見下ろしている事を。


振り向きたくない。

見たらやられる。

いや、見なくても結局やられるのか。


「あーもう!!」


もうやけくそだ。

今日は目を閉じながら勢いよく後方にいるであろう存在に向かって自分の拳を振り上げた。

こんな風に誰かを殴ろうとした事なんてなかった。

そのせいでいまいち力の入れ具合が分からない。

傍から見ればかなり不格好なものだろう。

だがそんな事に構ってられるか。

やらなければ、やられるのはこっちだ。


「ああー!!」


思いっきり拳を振りぬく。

普通ならただ空を切るだけの手が、確かな感触を捉える。

人に触れた感触ではない。

布きれに沈み込んでいくようなふわっとした感触。


瞼を開き、効果の程を確認する。

目の前になびく白い衣服。

ちょうど奴の腹部の中心から右脇腹にかけて今まであった肉体(霊体?)が消失し、空洞となっていた。


いける!

そう思い追撃をかけようとした瞬間、


「駄目だ!一旦退け!」


再び岬の声が後ろから聞こえてくる。

一瞬、何故という思いがよぎるが、すぐにその意味を理解する。

奴に空けた空洞が、みるみるうちに塞がっているのだ。

効いていなかったのか?

鏡夜は目の前の脅威を見上げる。


やつの表情はひどく穏やかなものだった。

その目からは慈愛とも思える程の優しさすら感じる。

なんだ、この感覚。

ついさっきまで、恐怖に怯えていたはずなのに。

まるで全てを包み込むような柔らかさは。


急に鏡夜の肩を強い力が掴む。


「馬鹿、目見るな!!取り込まれるぞ!!」


その声と共にそのまま後ろへと思いっきり引っ張られる。

途端に自分を包む空気がひんやりとした外気へと戻る。


ぱんっ。

鏡夜の頬を強烈な衝撃を受けとめる。


「おい、しっかりしろ!」


それが岬の平手打ちという事にしばらくして気が付いた。


「何が…起きたんだ…?」


「あれが奴のやり口だ。目を見るだけで対象の存在をどうとでも出来ちまう。いわばメデューサの目だ。悪い、少しばかり敵を見誤った。」


そう言いながら岬は札を数枚取り出し、口元につける。

念を込めるという動作なのだろうか。


「お前の一撃は効いていない訳じゃない。ただまだ念が弱い。渡した札を使え。そして奴を倒すと強く念じろ。」


「そんな感情論でどうにかなるのか!?」


「なる。奴がここに存在するのも理由が分からねえが強い思念があるからだ。その思念を打ち破るにはこっちも相応の思念を持ってぶつける。形は違えど、俺達が存在するのも強い想いに結び付けられているからだ。」


そういうものなのか。

理屈じゃないって事か。


「でも怖いよ…近づける気がしない。」


「しゃきっとしろ。大丈夫だ。俺が近づけるようにフォローしてやる。」


ぽんぽんと今度は優しく肩を叩く。

叩かれた頬のじんとした痛みに自分の手を添える。

やらなきゃ。涼音を助けると決めたんだろ。


「…分かった。どうしたらいい?」


岬はよしきたとばかりに口元を緩める。


「いいか。俺が合図したら、お前はあいつに走り寄って札を握りしめて、思いっきり殴れ。」


「それだけ?」


「それだけだ。」


改めて奴に視線を向ける。

何事もなかったかのように奴の体は元に戻っている。

そして、先程感じたあの聖母のような優しさはもはや微塵もなく、黒髪から覗く奴の瞳には怨念で満たされていた。


「えらくご機嫌斜めだ。思ったよりお前のパンチ効いてたみてえだな。」


岬が手にした札を構える。


「走る準備しとけ。いくぞ。」


そして、フリスビーを投げるように岬の手から札が散弾する。

強襲する札は青白い炎を身にまとい奴に直進していく。

奴の体に何枚もの札が炸裂する。


「もういっちょ。」


更に岬の手から札が突進する。

その一手が、奴のちょうど目元にべったりと貼りつく。


「いいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!」


今まで聞いたことのない地をも揺るがすようなけたたましい悲鳴が轟く。


「今だ!!」


奴の目が塞がれている。

今ならいける。


「了解!」


地面を蹴り上げ、一気に速度を上げる。

札を全身に受けたダメージもあるのか、奴は苦しそうにもがき続けている。


奴との距離が縮まっていく。

鏡夜は札を握った拳を更に強く握りしめる。

握った拳の間から眩い光が溢れはじめた。

ここでお前を消し去る。

覚悟も決まった。


「うああああああ!!」


駆けるスピードそのままに、右拳に勢いを乗せる。

大きく振りかぶり、そのまま体当たりするかの勢いで拳を振り下ろす。

拳から放たれる光が鏡夜の気持ちに応えるかのように更に輝きを増していく。


「消えろおおお!!」


弧を描いて打ち下ろした拳が奴のみぞおち部分に深々と突き刺さった。

闇雲に振るった先のパンチとは違い弾力性の強い感触が右腕から伝い全身へと振動していく。


「あごああああああああああああおおああ!!」


絶命の叫び。

そして次の瞬間、放った拳から爆発するかの如く光が散乱し、周囲は閃光で埋め尽くされる。


闇から明へと世界の色が変わる。

やがて光は弱まり、明から闇へ。そして闇は平穏とした静かな夜へと落ち着きを取り戻していく。


「…倒した、のか。」


ほんの僅かな時間の戦いだったかもしれない。

しかし鏡夜の肩はぜえぜえと吐き出される荒い呼吸に合わせてせわしなく上下を繰り返していた。


「一応はな。」


岬が鏡夜の横に並ぶ。しかし、その顔はあまり優れているものではなかった。


「一応って?」


「退けたって感じだな。あれは、一種の神的なもんだ。」


「神って、神様!?そんなのを相手にしてたのか?っていうかそんなの倒して大丈夫なの!?」


神という言葉に途端に恐怖が蘇る。悪霊であれば成敗した所で何の罪悪感もないし、善い行いをしたと自分の中で整理もつけられる。

しかし神となれば別だ。人がすがり、許しや願いを乞う絶対的な存在だ。

そんな物に触れるだけならまだしも、鏡夜はそれを退けた。


神に背いた。

今後自分の身は大丈夫なのだろうか。

後味の悪いどんよりとした想いが腹の底に重くのしかかる。


鏡夜の考えを悟ったのだろう。岬は表情を緩めた。


「心配すんな。神と一口に言ってもいろんなタイプがいるんだ。強い弱い、良い悪い。そしてそういったものに伴って、序列といった組織的配置。普通の神仏の類はちゃんとした系列の中で神としてあるべき勤めを果たしている。でもこいつは、悪霊がそのまま成り上がって神的力を身につけた、いわば神もどきだ。本当の神じゃない。」


「ただの悪霊じゃなく、強烈に性質の悪い悪霊って事?」


「そんなとこだ。だが、ここまでの力を持つとは相当だな。それにしても、すっきりしねえな。」


「あいつはまだ消えてないって事だよね。倒せないって事なの?」


「あの様子だと普通には倒せないだろうな。方法はあるはずだが、何にしても妙だ。前にあったガキの悪霊と同じもんを感じる。」


「え?でも、あの霊は倒せたじゃないか。」


「あいつはちゃんと消滅出来ている。そういう事じゃないんだ。あのガキにも今回の女もどこか自分の想いが足りてねえ気がするんだよな。」


鏡夜には岬の言っている意味がよく分からなかった。

あの二体の悪霊。

そこには何か共通点があるようだが、それが何なのかは鏡夜にはさっぱりだった。


「まあいい。それより。」


岬は右手を鏡夜の前に差し出した。


「お疲れ。よくやった。」


とりあえずは、合格なのかな。

鏡夜も岬にならい手を伸ばし、その手を握る。

岬の握り返した力強い拳は少し痛かったが、それが自分の戦いぶりを褒めてくれているようで少し嬉しかった。


「いや、岬君がいなきゃどうなっていたか。僕の力だけじゃとても。」


「正式な初戦としては、少し酷だったな。悪かったよ。」


恐怖は一旦去った。

そしてこれで僕はまた、涼音の為の一歩を踏み出せた。


「約束通り、お前に協力する。」


「ありがとう。頑張った甲斐があったよ。」


「まあ、ある程度もう調べてはいるんだがな。」


「え、そうなの!?」


思わず大きな声を出してしまい、岬が指を耳に突っ込みながら顔をしかめた。


「まだちゃんとは分かってない。もう少し待ってくれ。」


まさか岬がもう既に行動を起こしてくれていたとは。

やっぱりこいつ、良い奴なんだな。


「じゃあな。また連絡する。」


まるで遊び終わった友達と別れるかのような軽い挨拶を済まして岬はすでに石段に足をかけていた。

しかし、その動きを一旦静止する。


「お前さ。」


背中を向けたまま、岬は静かに呟く。


「何?」


体はそのままに、首だけをこちらに向ける。

相変わらず鬱陶しい前髪のおかげで表情がよく見えない。

しかし彼の表情は真剣なものだった。

何を言われるかのかと鏡夜は少し身構えた。

じっと岬の表情を注視する。

彼の口元がいつもの意地悪そうなにやけた形に変わる。


「全部終わったら、俺の下で働くか?」


「絶っっっっっっっ対やだ!!」


鏡夜の本音に岬はぷっと吹き出し、やがて耐え切れなくなり腹をかかえて笑い始めた。

こんなに豪快に笑ったりもするのかと最初は驚いたが、すぐに鏡夜にも笑いは伝染し、気付けば二人して大声で笑い合った。


さっきまでの恐怖は吹き飛んだ。

鏡夜に残っていた恐怖の感覚をやわらげてやろうという、岬なりの冗談だったのかもしれない。


それよりも、久しぶりに人間の友達が出来た気がして鏡夜は嬉しかった。

幽霊の友達の次は、悪霊退治の友達か。

人生、本当に何があるか分からないな。


暗闇の神社の中で、場にそぐわない大きな笑い声はしばらくの間止まる事はなかった。


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