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#43 奇跡(3)

優妃子は尚也を見詰めた。夏休みの頃から急に病気が進行して痩せ始めてから自分自身が近い将来どうなるのか分かっていた。

だから尚也に一言だけ、たった一言だけ言いたかった言葉。

あの時、言えなかったその言葉を伝えなければ尚也に許してもらえない。

しかし、身体の中から湧き出る感情が喉でつかえてどうしても言葉にできない。

優妃子は口をつむぎ、胸元を手で押さえ、眉間に皺をよせた。

「どうしたの?優妃子さん」

「なんでもない・・・」

優妃子は直ぐに穏やかな顔になって尚也の方に顔を向けた。

「今度の大会、頑張ってね。ナオ君」

「ああ。どこまでやれるか分からないけど・・・、石田さんと約束したらな」

優妃子のその偽りの言葉に亜紀は胸を痛めた。

しかし、彼女が本当に言いたかった事は分からない。

消沈している優妃子をかばうように亜紀が言う。

「でも柴田君、プールに飛び込めないのにさ、頑張るって、ねぇ」

亜季がそんな意地の悪い言葉に尚也は面を食らい「うっせぇなぁ」と呟くしかできなかった。

「ナオ君、あの時の事がトラウマになっているんでしょ」

「え?何かあったの?」

「実はねぇ・・・」

優妃子は目を細めて子供の頃の話をした。


尚也が海で泳いでいるとき、ユキは砂浜で何時も一人で遊んでいた。

小学二年に初めて出会ってから一年後の夏休み。

尚也は海から上がってユキの隣に座った。

「なぁ、せっかく海きてるんだからいっしょに泳ごうよ。それとも水着持ってないのか?」

「ユキちゃん泳げないからいらないの」

尚也は大声で笑うとユキはほっぺたを膨らませて怒った。

「だって、海、怖いんだもの!」

「じゃぁさ、プールだったら大丈夫か?」

「プール?」

それから数日後、水着を買ってもらったユキは大喜びで尚也とプールに出かけた。

その日もとても暑かった。更衣室ら外に出たときの日差しが目に痛みを覚えるほど強く、床が焼けるように熱かった。

尚也は初めて水着を着てもじもじしているユキの手を取ってプールサイドまで駆け出した。

「見てろよ!ユキ!」

スタート台に尚也が上がり得意げな顔をした。

「だめだよナオ君。飛び込み禁止だよ」

監視員の目が気になったユキが引き止める。

「大丈夫さ!」

プールの中には大勢の子供達が戯れていたが、尚也は隙をついて勢い良く飛び込んだ。

「ナオ君!」

水面を叩きつける大きな音と水飛沫。尚也は胸と腹を強く打って水中でもがいていた。


「それで止めておけば良かったのに、よっぽど悔しかったのね」

「え、また飛び込んだの?」

「そう、そしたらね今度は角度がつきすぎてプールの床に思いっきり頭をぶつけたの」

亜季は必死で笑いを堪えようとしたが我慢し切れなかった。

「でもねそのときしばらく浮かんでこなかったから、私ものすごく心配になって泣いちゃったのよ」

「ええー!そんなに強く頭打ったの?」

「あの時はほんと、死んだかと思ったよ・・・」

尚也の言葉に優妃子と亜季はまた顔を見合わせて笑った。

「そんなに可笑しいのかよ」

尚也は少しむくれた。

「だって柴田君、可愛いんだもの」

亜季は、優妃子に良い所を見せたくてプールに飛び込んだ尚也の上気した様子を想像した。

「う、うるせぇよ」

「だったら今度の大会もユキちゃんのために頑張らなくちゃね」

「ああ・・・」

遠泳大会のとき誰の為に泳いでいたのか。尚也の胸にはそのときの気持ちが込み上げてきた。

「ユキ。来てくれるよな」

優妃子は躊躇い、目を伏せる。水泳部のマネージャーとして、そして何より尚也の為に秋季大会には這ってでも行きたい。しかし尚也にまた出会えたこと、こうして昔のように話が出来た事自体充分過ぎる幸せなのに一人では寝返りさえ出来ない身分の自分がこれ以上の物を欲するのは罪だと感じた。

「でも、私・・・。きっと先生だって許可しないわ」

「医者がなんて言おうが関係ないだろ。亜紀も協力してくれるよな」

亜紀の胸にも色々な思いが交差する。しかし今まで見たことのない尚也の真剣な表情に嫌とは言えなかった。

「ええ、もちろん」

「よし、決まりだ。いいよなユキ」

「うん」

「じゃぁ、明後日、またな」

優妃子は顔を上げ尚也を見詰めた。その笑顔はあの時のままだった。


まるで水中から水面へ浮かび上がるような感覚。意識が体に充満して行き、やがて目が覚めた。

病室の中はすっかり暗くなっていて優妃子はベッドに横たわり、亜紀は尚也と優妃子の手を握ったままうな垂れていた。

「亜紀」

尚也がそっと声をかける。

亜紀は大きく息を吐き、頭を上げると優妃子にもう一度心の中で挨拶を交わして手を離した。

「俺、今から担当の医者に話しして来る。亜紀も一緒に来てくれるか」

「うん」

「じゃぁ行こう」

尚也は亜紀の手を引いて病室を出た。

亜紀は尚也の手を、その暖かい手を離したくは無いと思った。


担当の医師は最初拒否したが尚也と亜紀の真剣な言葉に最後は折れて時間の制限付きで外出することを許可した。


それから暫くして里美が戻って来た。当然里美は優妃子の願いを知っていたから少し不安を残しながらも尚也の気持ちを快く受け止めた。


そして翌日。尚也は奈津美と部員にその事を話すと皆一様に喜び合い、優妃子の為に皆、健闘を誓い合った。


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