#38 晩秋(4)
奈津美が放ったタオルはプールから上がったばかりの尚也の頭を包んだ。
「調子はどお?」
「まぁ、ぼちぼち」
「疲れてない?最近がんばってるから」
「大丈夫です。大会まであと三日しかないし。疲れてなんかいられないでしょ」
奈津美はくすくす笑いながら言った。
「安住さんの分まで頑張らなくちゃね」
尚也は「そんな訳じゃ・・・」と呟きながらジャージを羽織った。
「今日も行くの?」
「ええ。まぁ」
今から病院に行っても面会時間は過ぎていたが仲良くなった看護士が内緒にしてくれた。
「でも、会話も出来ないんじゃ、辛いわね」
「それでも俺の言っている事は理解しているみたいだし、なんとなく、目で分かるんですよ」
優妃子は声帯だけではなく顔の筋肉までもが病に侵され表情も無くなっていた。
「そう・・・。今度私も見舞いに行くからって安住さんに伝えてね」
尚也は笑顔で受け答え、荷物をまとめて更衣室へ急いだ。
着替えを終え、外に出るともうすっかり暮れていて自然と早足になる。
尚也は薄闇のなか校門に亜季の姿を見つけた。
「待ってたのか」
「うん」
「そうか。俺これから行く所があるからさ。ごめん」
「そう・・また、明日、ね」
亜季は夕闇に消えてゆく直弥の背中を見送った。
尚也は急患の出入り口から病院に入りナースステーションで何時もの看護士に会釈をした。
静かにドアを開けベッドに寝ている優妃子の顔を覗き込む。目は開いていて尚也の顔を見ると瞳がゆっくりと動いた。
尚也は椅子に腰をかけて優妃子の手を握った。
「今日は何の話しようか、ユキ」
そのとき、亜季は人の行き交う雑踏の中を宛てもなく彷徨っていた。
清明学園に入学してから毎日が楽しくて明日が早く来ればいいのにと何時も思っていた。
小春がいて、良介がいて、そして尚也がいた。
中学のときは早く一人になりたくて家路を急いだが今は一人が無性に淋しい。
商店街のアーケードの中は買い物をする人々や寄り道をしている学生で賑っていた。
流行の音楽が鳴り響き喧騒は渦を巻いて、その中に埋もれそうで更に孤独が募った。
亜季は携帯電話を取り出しボタンを押した。無意識に小春の名前を画面に映し出す。
夜の公園、尚也と二人・・・。あのイメージが掠めて行く。
亜季はそれを振り払い思い切って発信ボタンを押し、耳にあてた。
小春が出たら何て話しかけようか戸惑った。しかしまだ母親の実家にいるのなら出ないかも知れない。出て欲しいという気持ちとは裏腹に出て欲しくないという気持ちが入り混じっている最中何時もの陽気な声が耳をつんざいた。
「あきぃー!私も今電話しよう思ってたんだよ!凄い偶然!」
亜季は変わらない小春の声を聞いてなんだか心が少し落ち着いた。
「亜季、今どこに居るの?」
ふと横を見るとそこには新しい店が出来ていた。
「今ね、商店街に居るんだ。なんか新しいお店で来たみたいで・・・」
「ふーん。なんの店?」
「ケーキバイキングだって」
「ケーキ!!」
小春は亜季にそこで待っているようにと絶叫した。