#37 晩秋(3)
ナースステーションの前にある待合所で尚也は長椅子に腰を掛け優妃子の継母である里美の話をじっと聴いていた。
面会時間は過ぎていて廊下は暗く自動販売機の灯が二人を照らした。
「俺、学校辞めようと思っていたんです。入学してからずっとユキのこと探してたんだけどどうしても見つけられなくて。どうしようもない馬鹿ですよね、俺・・・」
ユキとの約束の為に受験し、そのほかには何の目的も無かった。
まぐれで入学出来たに過ぎない進学校に尚也は違和感さへ感じていた。
「そんなこと無いわ。あんな痩せちゃって、苗字だって違うんだから仕方ないわ。それに、優妃子から話しかけたら良かったのに、あの子、病気の事すごい気にしててね、ナオ君に迷惑掛けられないって。逢えただけで充分だって・・・あの子こそ馬鹿よ」
優妃子も目的は同じだった。
けれどもし尚也が入学していなかったら彼女はどうしただろうか。
尚也はそう考えた途端に胸が苦しくなった。
「でもね、水泳部のマネージャーになったって聞いたときは、本当に可笑しかったわ」
尚也は楽しそうに話す里美を見上げた。
「ナオ君がとても泳ぎが上手だって聞いていたから・・・。口ではああ言ってもナオ君に会いたくてお話したくてしょうがなかったのね。でも本当にナオ君が水泳部に入ったとき、優妃子ったら・・・」
素直に話しかけたくてもそうできない優妃子の姿を尚也は思い出していた。
「どうして俺、気づいてやれなかったんだろう・・・。もっと早く気づいていたら、こうなる前に気づいていたら・・・本当に、すみません」
「ナオ君が謝る事なんて全然ないのよ。優妃子の方こそなんだかナオ君に辛くあたってた見たいね。あの子、部長の石田さんのこと、尊敬していたみたいだし、水泳部のこと、本当に心配していたのよ」
恐らく優妃子は一生懸命頑張っている部員の姿に自分を重ねていたに違いない。
羨ましいとか嫉妬とかではなく夢を追っている人達を素直に応援していたのだ。
里美は尚也に向かって頭を下げてもう一度「ありがとう」と言った。
教室はたおやかな陽の光に包まれて温度が徐々に上がってきた。
少し汗ばんだ時、教科書を読みながら担当の教師が窓を開けると涼やかな風が入り込んで来てクラス全員の眠気をさらって行った。
亜季はその風を頬で感じながら尚也の方を見た。
後ろの席では良介が鼾をかいている。
尚也は頬杖をつきながら窓の外を見ていた。
ここ二日間尚也とは殆ど会話をしていない。朝と帰りの挨拶だけ。
それでもどぎまぎして尚也と目を合わすことが出来なかった。
何故だろう。亜季は教科書に目を落として考える。
(藤村さんの気持ちは分かってるの。でも、あなたしか頼めないし・・・ほんとうにごめんなさい)
優妃子が入院したあの日、亜季の部屋に現れて伝えたその言葉が脳裏を駆け巡る。
命いくばくもない優妃子の願いにどう答えたら良いのか。いや、それより優妃子の願いを叶えることで尚也が手の届かない遠い所へ行ってしまうのが怖いのだ。
教室の中は緩やかに時が流れていた。先生の質問に誰かが答えている。
その声の他はペンを走らせる音だけが鼓膜を微かに震わせていた。
亜季はもう一度尚也を見た。そのとき少し強い風がカーテンを煽り尚也の頭上で舞った。
(何を怖がっているの)
心の中でもう一人の自分が問いかける。
(いいじゃない。もう彼女はこの世から居なくなるのよ。だったら・・・)
でも、そうしたら柴田君の中に住んでいる安住さんが一生消えなくなる。
(そんなことないわ。直ぐ忘れるに決まっている)
違う。違う。違う・・・。
七年もの間互いに思い続けた二人だから、約束を果たした二人だからこれからもずっと思い続けて行くに違いない。そんな柴田君の心に入り込むなんて出来やしない。
(じゃぁ何故見舞いに行くように言ったのよ!)
それは・・・
(安住優妃子がかわいそうだから?それとも柴田尚也に私はいい人よってアピールしたかったから?)
私はただ、前みたいに楽しく一緒に街を歩いたり、お話したいだけ。それだけ。
(嘘!あのときのお願いは嘘だったの!)
夏休みに尚也と行った神社でのお願い。
亜季は持っていたペンシルを強く握った。