#35 独白(4)
中学校に入った頃には自然と私達をお父さんお母さんと呼んでくれていて、学校のお友達とも仲良くしていましたから「ナオ君」の事はあまり言わなくなっていました。
そして中二の春、彼女の身体に異変が現れたのです。少しの運動でも疲れやすくなり、腕も脚も痩せ始めました。私は兄が通っていた病院に直ぐ連れて行きました。
検査の結果は、たった一割、その一割のために・・・。
何故優妃子のような優しくていい子がこんな得体の知れない病気にかからなければならないのでしょう。本当の親があんな悲惨で惨めな末路を辿り、その悲しみを漸く乗り越えた彼女に何故また苦難を与えるのでしょう。
その時ほど運命というもの、神様というものを怨んだことがありません。
私は辛くて苦しくて、気がふれそうなほど泣いてしまいました。
しかしこんな境遇に立たされても尚、優妃子は私にこう言ったのです。
「ごめんねお母さん。でもね、私は大丈夫だよ。だからお母さんも元気だして」
優妃子は運命も神様も、ましてや本当の父親をも怨む事はしませんでした。
私が優妃子のような境遇に落とされたのであれば毎日泣いて過ごすか、やけっぱちになって自分を目茶目茶に傷つけることでしょう。
しかし彼女は定められた道を臆面もなく歩き続けようとしているのです。
その道は真っ暗で、もしかすると一歩先は崖になっていて深い谷底へ落ちてしまうかも知れないのに。
どうしてそんなに強いのか私には不可解でなりませんでしたが彼女の変わらない澄んだ瞳と私達を幸せな気持ちにさせる笑顔を見る度に私自身の弱さを思い知ったのです。
ですからどんな事があったとしても優妃子を守り、ほんの少しの明かりでも彼女の足元を照らして行こうと夫と誓い合いました。
程なくして彼女に対する私の疑問が解ける時が来ました。
中学二年の冬の事です。進路に関する面談で私は学校に行くことになりました。
それまで私は優妃子に将来の事など聞くことはタブーのように思えて避けていました。
幸い薬のお陰か病気の進行は遅く普通の生活が出来ていましたが何時病状が悪化し、兄のような姿になるか分かりません。
だけども明日先生との三者面談をしなければならないというその日、私は勇気を振り絞って優妃子に聞きました。
「どこの高校に行きたいの?」
私の質問に優妃子はいつもと変わらず普通の女の子のように平然と答えました。
「清明学園に生きたいんだけど、いいかな」
私は心の中で驚きました。それは合格できるかどうかということではありません。
彼女の成績からすれば難しいことではありませんでしたから。
「良いも悪いも、受かったら近所の人たちに自慢できるからお母さん嬉しいわ」
「でも、私立だし、学費高いよ・・・」
「そんなの気にしなくていいわよ。その分お父さんに頑張ってもらうから」
優妃子は心から嬉しそうに「ありがとう」といいました。
私はもう一歩勇気を持って優妃子に聞きました。
「清明学園に行きたいって事はその後大学へ行って・・・、将来何かやりたい事でもあるの?」
「そうじゃないよ」
そう言った優妃子の表情は今思い出しても胸が引き裂かれそうです。
「私に将来なんてないし、やりたい事なんてないよ。ただ、約束したんだ」
小学生の時に交わした約束。そのときやっと彼女の支えになっているものを知りました。
そして同時に危ういものも感じたのです。それまで優妃子は自棄にならず我侭も言わずただその約束にしがみついて生きてきました。
入学した後はどうなるのか、それより肝心のナオ君が居なかったらどうするのか。
心の支えはその瞬間消えて無くなるのですから。
「でも、ナオ君、覚えているかしら」
思わず言ったその言葉に私ははっとし、後悔しました。
しかし優妃子は全く気にせず、信じる心は揺るいでいないようでした。
「絶対大丈夫。だってナオ君、約束破ったことないもの」