#32 独白(1)
この小説を書き始めた当初の思惑とはかなりズレた章がこれから続きます。流し読み危険!(笑)
兄の会社の経営状態があまり良くない事は聞いていましたがあれほど早く、まるで坂道を転げ落ちるような速さで倒産の憂き目に立つとは思っていませんでした。
入院する前の、何時もの兄であればそんな逆境も跳ね除け、どんな借金を抱えても家族のためなら寝食を問わず働いたことでしょう。
けれど心身ともに疲れさせさ、れそんな気力をも奪ってしまったのは一年前から発症した病気のせいでした。
体中の筋肉が痩せ細り、やがて呼吸も出来なくなる不治の病。
当然会社が倒産してからは入院費どころか毎日の薬代さえままならぬ状態で、土地も家も車も、財産の全てを失った訳ですからどんなに辛くて、惨めで悲しいのか、私の想像の範疇ではその深さを計り知る事は出来ませんでした。
実際朝早くレンタカーで私の家にやってきた兄と兄の連合いの変わりようは同情する事さえ憚れる有様でした。
兄はまるで骸骨の標本のように痩せ細り、兄を抱えている連合いの優美さんは私より三つしか違わないはずなのにまるでお婆さんの様相で、倒れこむように敷居を跨ぎました。
経済的な援助など我が家の家計では当然ほんの少ししか出来ませんし、出来ることと言ったら三度の食事を充分に、美味しくさせる事ぐらいでした。
勿論家に居る間は家賃や食費など頂くつもりは毛頭ありませんでしたが、返ってそれが兄と優美さんの気持ちに負目を被せる結果になったようです。
兄は一人で歩くのはかなり不自由していて、食事も別に軟らかいものを作らなければなりませんでしたから兄の世話だけで優美さんは精一杯で、我が家の手伝いもあまり出来ず、それも精神的な負担になっているようで何時も私達に遠慮していました。
常に綱渡りをしているような、あるいは薄いガラスの器に水を一杯に入れて遠くまで運ぶような緊張感が我が家を支配していたのです。
私達は以前みたいに普通に笑って楽しく過ごしたいのに、兄と優美さんの私達に対する負目が私達にも伝染して、何気ない言葉や態度が彼らを傷つけているのではないかと思うになり、段々私達の神経も磨り減っていくようになりました。
そんな毎日の中で私達夫婦と兄夫婦を繋いでくれたのは兄夫婦の一人娘、優妃子でした。
私達夫婦に子供がいませんでしたからたまに遊びに来る優妃子がとても可愛くて仕方ありませんでした。
優妃子はとても頭がよく優しい子ですから、親の立場や私の家の状況をよく理解していて私の手伝いも父親の世話も嫌な顔一つせず実によく働いてくれました。
それはある種の義務感を伴った行動ではなく実に自然で、見ているこちらを妙に落ち着かせ、何よりその場を一瞬で明るく優しい気持ちにしてくれる優妃子の笑顔がとても大きな救いだったのです。