#26 深淵(2)
見えなくていいものまで見えてしまう。聞こえなくていいものまで聞こえてしまう。
知らなくていいものまで、知ってしまう・・・。
優妃子から伝わったイメージは本当に違いない。
(あした、またな)
(うん、またあした)
必死で祈る少女。やがて発症する死に至る病。
彼女は尚也との約束を支えに生きてきた。けれども・・・
「おい、どうしたんだ?ぼーとしてさ」
ハンバーガーショップで尚也と亜季は向かい合っていた。
「ごめん。ちょっと、そう、小春どうしてるかなって」
尚也は少しばかり狼狽した。
「ああ、そうだな・・・あの調子なら大丈夫さ」
一体何が大丈夫なのか、尚也は自分で言った言葉の浅はかさに戸惑った。
「柴田君、寮で夕飯食べるんでしょ」
尚也は二つ目のハンバーガーに手をつけた。
「今日の献立見たら魚だったからさ。今日は肉が食いたい気分なんだ」
無心にハンバーガーを頬張る尚也に少年の頃の尚也の顔が重なる。
(しょうがねぇな。ほら)
少年は少女に小銭を渡した。
(いいの?)
少女は満面の笑みを浮かべて賽銭箱にその小銭を入れ、手を合わせた。
(何お願いしたんだよ)
少女ははにかみながら答えた。
(ナオ君と同じ高校に行けますようにって)
そして、少年は誰も居ない家の玄関で少女の名を叫ぶ。
「おい、亜季」
亜季はストローに口をつけたまま宙を見詰めていた。
「さっきからどうしたんだよ。全然人の話聞いてないよな」
「え、何の話だっけ」
「いいよもう」
「ごめんなさい・・・」
亜季はウーロン茶の入ったカップをテーブルに置いた。
「あのさ、ユキちゃんって、誰?」
「まだ覚えてたのかよ」
尚也は包み紙を丸めてトレーに落とした。
「だって、寝言で言うくらいだもの。大切な人なんでしょ」
何時もそうだ。何か適当にはぐらかそうとしても亜季の大きく澄んだ目を見ると嘘が言えなくなる。尚也はかいつまんでユキとの事を話した。
「あの時突然居なくなったからな・・・だから多分ずっと心に残ってるんだ」
「その子、学校には居ないの?」
尚也の頭の中に優妃子の顔が思い浮かぶ。
「さあ・・・居ないんじゃないかな」
「そうなの。残念ね」
亜季はそう言うと胸の奥に痛みを感じた。
「腹も膨れたし、帰ろうか」
「あ、いいよ。私が片付けるから」
尚也がトレーを持って立ち上がろうとしたとき尚也の手に亜季が触れた。
そのときまたイメージが伝わる。
夜の公園。女性に抱きつかれる尚也。
そして、熱い吐息・・・小春!?
亜季は息が苦しくなり、目の前が歪んた。
「いや、もう・・・いや!」
尚也は走って店を出て行く亜季を追いかけた。
「亜季!どうしたんだよ」
人の行き交う歩道で亜季の腕を掴み引き止める。
「いや!ついてこないで!」
亜季はそれを振り払い自分でも驚くくらい大きな声で尚也を拒絶した。
尚也は呆然と喧騒の中に立ち尽くした。